コンニチハ、中村青です。
前々に書いていた小説を、公開しました。
きっとこれが私が書く最後のファンタジー……
まさにファイナルファ(省略)
——はい、おふざけはココまでに。
ただ、この小説……おそらく「ここで⁉︎」って場所で終わりますが、個人としてはココがクライマックスでした。
それと同時に、ちょっとしたスピンオフも書いています。泣ける話を書きたいと思うけど、どうなるか少し怖いですね💦
もしかしたらお蔵入りになる可能性もありますが——……。
あ、ちなみに明日、その花も執筆中です。
普通に出会いの展開を描こうと思っていましたが、ちょっと考えさせられる話になってきたので、私自身も驚いてます。
発達障害の子供に対して、どこまで手を貸すべきなのか。
そもそも発達障害って、症状の幅が大きいんですよ。病気と違って確実に診断できないし。
とはいえ、理解がとても必要で、自分の物差しで解釈するとかえって苦しめてしまう病気でもあります。
一つの例として……うちの娘はファミレスに行くと騒がしさで刺激されて落ち着きがなくなります。
普段、家にいる時もソワソワ足を動かしがちですが、外食すると特にです。
けれど娘の年頃の子を見ると、ほとんどが席について食事をしている。
そして娘自身も言えば一時的に改善する……。
けれどその注意が三回、四回と連なるんです。
それを主人はよく叱ります。私からしてみれば「自分はスマホばかりしてるくせに……」です。
——って言う小言は別にして。
特性を理解してあげれば、多少その場でソワソワするくらいは大目に見てあげてもいい範囲なんです。
もっと言えば、他人に迷惑をかけない範囲なら。
聴覚過敏で言えば、普通の人なら気にならない音でも、過敏の人には耳元で叫ばれているような音に聴こえるらしいです。
そりゃ、落ち着かないなと思います。
だけどそうなると、次の問題は「どこまで許す、手を差し伸べる」になります。
人よりもハンデを抱えているからと甘やかしてしまうと、逆に成長の妨げになってしまうかもしれない。
もう歩くことができないと診断された人が、リハビリを続けた結果、歩くことができるようになった事例のように、続ければ改善されてるかもしれない……。
理解することと甘やかすは紙一重だなと思います。
とは言え、母としては辛い思いは極力させたくない。壱嵩くんの苦悩、とても理解できるなと思いながら執筆しています。