いつもお世話になっております。
この度、The Gazer 《 ゲイザー》は3年目を迎えました!
白狼と少年の出会いから始まった物語は、まだまだ続きます。
面白いと思っていただけるかぎり、お付き合いくださると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
【外伝:祝祭の日に(前編)】
荒ぶる白い闇の脅威は洪水のようにすさまじく、雪原を踏んだ旅人の痕跡を瞬く間に消し去っていく。鼓膜を穿つ風の嘶きは方向感覚を麻痺させ、呼吸をする度に無味無臭の氷結が口と鼻に入り込んでくる――北方霊峰ファリアスの冬は、生きとし生ける者をすべらからく凍りつかせる天然の迷宮だ。
その冥府と隣り合わせの剣ヶ峰を、必死の形相で行軍する若い女がいる。頬に散らばるそばかすが若干の幼さを漂わせているが、剣呑な瞳は戦士の色をたたえ、背中の剣も相当に使い込まれた業物だ。毛皮のローブに身を包み、手袋は登山用の荷物をしっかりと握りしめている。
視界を塞ぐ白い粒を忌々しそうに睨み据えた彼女は、ぎりっと奥歯を噛み締めながら苦々しそうに悪態を吐いた。
「クソッタレ、これだからミディールは嫌いなんだ!」
ミディールとは、北部を統治する国の名だ。魔導皇国の別名も冠する雪原の支配者たちは、大陸随一の技術と知恵を誇りながらも、冬の試練に逆らう気はないらしい。その事実に参政権もない旅行者が憤るのは筋違いだが、なおも彼女の怒りは収まらなかった。
空いている片手を掲げると、そこに霊力の胎動が漲る。毛皮に包まれた腕に青い紋章が浮かび上がり、不可視の波動がバチバチと雷のように弾けた。
「ファームナッハの方角はどっちだ? 首都が雪崩に巻き込まれでもすれば、耄碌した魔導士共も考えを変えるかもしれない! 穿つぞ、穿ってやる、穿つからな、穿――」
その瞬間、彼女が手にしている荷物から人型の妖精が飛び出した。
「やああああめええええれええええ! なにしようとしてんのよ、ウルカ⁉︎」
人間の頭部ほどの大きさしかない羽根の生えた少女が、流星のような速さで旅人の女――ウルカの頬に握り拳を叩き込む。
「あんた、ほんと、馬鹿で阿呆でノリだけで生きてんじゃないの⁉︎ やたらめったら穿つの禁止! なんでもかんでも暴力で解決しようとするのも禁止! あんた、息するのも禁止!」
くるくると癖のある緑の髪を揺らしながら金切り声で怒鳴る少女を、ウルカはぎろりと睨みつけた。霊力の胎動を宿したままの腕が、妖精を捕まえようと乱雑に伸びる。
「ピリカ! お前、私の荷物に隠れていたのか! クソ、どうりで重いと思った!」
「失礼ね! このピリカさまが重いわけないでしょう! べろべろばー! 人間なんかに捕まるもんですか!」
緑の粒子を撒きながら飛び回る妖精――ピリカは「あっかんべー」と片方の涙袋を指で引き、ひらりとウルカから距離を置いた。一見すれば真っ先に猛吹雪の餌食となりそうな体だが、妖精の肉体構造は人間とは異なる。体の大半がマナと呼ばれる粒子で構成されており、現実と幻想の狭間を自由に行き来できるという特性を有しているため、暑さや寒さにはめっぽう強い。
「だいたい、ひとりで行こうとするなんて水臭いじゃない! ピリカだって、ノームの宴に参加したいんだから!」
「馬鹿はお前だ! 帰れ、ピリカ! 宴の土産は参加者の人数で当分される! 人が増えたら私の分け前が減るだろうが!」
「強欲禁止! ピリカも行くったら行くんだもん! 置いてきぼり禁止!」
「私の宝を奪うつもりなら、お前だろうと始末するぞ?」
「やってごらんなさい! ピリカを侮るの禁止! 妖精の魔術はすごいんだから!」
一寸先も見えない悪天候の雪原で互いに睨み合う旅人の女と妖精の周囲に、忍び寄る闇の気配がある。
それは実像のない、黒い幽鬼。凍てつく大自然の餌食となった遭難者たちの無念が変貌した悪霊――レイスだ。
この世ならざる怪物の気配を、ピリカとウルカは敏感に感じ取った。
「ウルカ、悪霊注意! ど、どどどどどど、どうする⁉︎ 謝る⁉︎ 念じる⁉︎ ピリカを囮にするのは禁止だからね!」
「自慢の妖精魔術とやらはどうした、やかましいだけの役立たずが!」
妖精は現実世界の存在に強い反面、悪霊のような精神世界の存在に弱い。
慌てふためくピリカを指で弾き飛ばしたウルカは、荷物を手放すと、躊躇なく背中の剣を抜いた。さらに先ほど腕に宿した破邪の胎動を全身にみなぎらせ、雄々しく唱える。
「闇祓いの作法に従い――!」
刹那、ウルカの全身を精錬な青い粒子が包み込む。それは破邪の波動とも呼ばれ、闇の存在を消し去ると云われる女神の恩寵――すなわち怪物狩りの専門家《ゲイザー》の証だ。
爪弾きにされたピリカも、亜空間からオークと呼ばれる樹の杖を呼び出し、果敢に構える。
「むー! ピリカ、役に立つもん! ウルカ、戦闘禁止! でも怖いから、援護要請!」
「知るか、自分の身は自分で守れ!」
「わー、わー、わー、独断専行禁止! 禁止! 禁止! 禁止!」
しかし蓋を開けてみると、雪原の戦いに不慣れなウルカよりも、悪天候の影響を受けないピリカのほうが存分に活躍した。
「悪霊退散! こっちくるの禁止! 襲うの禁止! 存在するの禁止!」
妖精の魔術は、理不尽な奇跡と呼ばれており、たいがい現実世界の物理法則を無視する。
オークの杖をふりかざしたピリカの言葉は、そのまま呪文となり、片っ端からレイスの存在を否定した。悪霊側からすれば事故に遭ったようなもので、急にいなかったことにされるのだからたまったものではない。
実際に消滅したわけではないが――黒い気配は、どこか遠くへ飛ばされ、二度と戻ってくることはなかった。
その一部始終を見届けたウルカは、たいした活躍もなく剣を鞘にしまうと、おもむろに片腕を掲げた。その手のひらは、肩で息をしているピリカに向いている。
「ピリカ、よくやった」
「え、ウルカに褒められた? ピリカ、有頂天! へへへ、尊敬不可避! 恋するの禁止! だからね!」
「もうお前は用済みだ」
「え?」
「穿て――!」
瞬間、ウルカの手から不可視の衝撃波が放たれた。それは闇祓いの秘儀と呼ばれており、《ゲイザー》が扱う魔術とは似て非なる必殺技だ。
霊力の波動に晒されたピリカが、白い闇の彼方に消えていく。
「ウルカああああああああああ! あんた、覚えておきなさいよおおおおおおお! ピリカは、絶対にゆるさなあああああああああい!」
その断末魔が吹雪にかき消されると、ウルカは「よし!」と握り拳をつくった。
「これで宝は私一人のものだ」
宝。
それはノームと呼ばれる妖精が開催する宴の土産を指す。
その噂を聞きつけたウルカとピリカは、土壇場で仲違いした――もとい、一人が裏切った。
ひとり残った闇祓いの女が荷物を手に、再び霊峰を歩き出す。
やがて進行方向の洞窟に、火の灯りが見えた。 (後編に続く)
※後編は現在連載中の『ニーズヘグの悪夢』終了後、本編に掲載する外伝に登場予定です。