【制作裏話③】「常無」が「トコナシ」になった日
『遷移のアポテオシス』制作裏話、三回目。最終回です。
今回も本編の結末に触れます。
最後は、二つの小さな仕掛けについて。
気付いた方はいたのでしょうか?
■漢字が、カタカナになる
常無の名前は、本編を通して「常無」と漢字で書かれています。
ところが、最終話。折神が常無を呼ぶとき、表記が変わります。
「トコナシ」と、カタカナになる。
これは、誤植ではありません。
常無《とこなし》という漢字には、意味があります。
常に無い。定まらない。移ろい続ける。
名前そのものが、彼の本質を表していました。
ところが第9話で、常無は貫井の鑑定を受けます。
「氏名は?」
「常無」
「漢字は?」
「ない」
おかしいですね。
本人は自分の名前に漢字があることを知らないんです。
■名づけたのは、津玖茨だった
本編では書いていませんが、常無の名づけ親は、津玖茨《つくし》です。
百年前、常無を庇って測られ、測り間違えられて死んだ、あの兄貴分ですね。
裏話②で書いた通り、折神がもともとは鑑定の神ではなく、ただ営みから生まれただけの、何者でもない神だったとしたら、鑑定が確立する前から折神は存在しています。
なので、津玖茨と折神は面識があり、常無の名付け親は津玖茨であることを折神は知っていると設定が出来ます。
そうだったら、兄貴分の津玖茨はきっと折神にこういいます。
「常無の奴、自分の名前にも頓着を持たねぇ。悪いが折神、あいつの名前、覚えてやっててくれるか?」
このやり取りがあるから、折神はきちんと漢字を認識して常無と呼ぶことができる。第3話で初めて常無の名前が折神から呼ばれたときに漢字で表記できたのはこのためです。
■最終話でカタカナ呼びになった理由
漢字はないと聞いた貫井は紙にカタカナで「トコナシ」と書きました。
その結果、最終話で折神が「トコナシ」とカタカナで呼ぶことになります。
これは、折神自体が「鑑定の神」に戻っており、そこに記載された事項に対してプライドを持って順守していることの表れでもあります。
ラストのシーン、本編では「左右の靴が変わるとき」という表現でしたが、「トコナシが常無を取り戻すとき」という言い方も出来ます。
■なぜ、葉月には「常無」が見抜けて、貫井には見抜けなかったのか
もう一つ、よく訊かれそうなことを書きます。
常無は、姿も声も性別も変える神です。誰にも同一人物だと気づかれないはずでした。
それなのに、小学生の葉月は、一目で「あのときのカミサマ」だと見抜く。一方、ベテラン局員の貫井は、20日間傍にいたのに気づかない。
この差は、何でしょうか。
葉月は、第1話で常無に関心を持ち、記憶しました。
その記憶は「靴が左右で違う」という1点で、目の前の人物と、記憶の中のカミサマを、結びつけています。子供の認識は素朴で、そして強い。彼女の中で「靴がバラバラなのは、あのカミサマ」という像が、1度できてしまいました。
第6話で葉月に看破されたこと自体の説明はされているのですが、じゃあなんで貫井は見破れなかったのでしょうか。
第2話の貫井との初対面のとき、常無は女性、しかも小柄で聡明な美人でした。
貫井は会話が終わり立ち去るときに「洒落てますね、その靴」と左右が違うことをファッションだと解釈しています。
その後も常無の様々な姿———路地の年寄りや警備員、同じ局の誰か、など遭遇しまくっているんですが、まったく同一人物と気付くことはありません。
これは大抵の大人はそうですが、目の前を通り過ぎるものに、いちいち引っかからないようにして生きる。とるに足らないことは流して忘れる。大人だからこその「他人への踏み込み過ぎない配慮=無関心」が故ということになります。
その配慮の結果、遭遇しても、都度都度で別人として情報処理されてしまっていたということになります。
ちなみに、もし貫井が早い段階で葉月のように気が付いていたらどうなっていたでしょうか?1人目の美女で固定できればいいですが、下手すると美女から老人へ切り替わっていき、さらに違う人物へ……と、かなりオカルトな光景となり、作品の方向が変わっていたかもしれません。
■認識が、像をつくる
では、なぜ貫井は、第7話以降、徐々に常無を捕捉できるようになったのでしょう。
これも割と単純な理由です。
「この神は、姿を変える者だ」———その事実を目の当たりにした瞬間から、貫井の認識が変わったんです。姿を変えるという性質を、彼は理解して意識するようになりました。
初めは「どうせ近くにいる」という確信から始まり、「この人物だった」と特定が出来た後は無意識に共通点を探します。見た目以外、常無独特の雰囲気、オーラ、匂い、フィーリング……そして、脳が誤認識しているという違和感。そういうものから「姿を変える、あの雰囲気の人物」として、常無を感じ取れるようになったと考えます。姿ではなく、姿を変えるという働きや自身の感じる違和感のほうに、フィルターの焦点が合ったということになります。
これは、この物語の根っこにあるテーマそのものです。神格は、観測者の認識によって在り方が決まる。関心を持って「こういう者だ」と認識すれば、その通りに見えるようになる。葉月も貫井も、常無を「認識した」からこそ捉えることが出来ました。
ちなみに———
常無が意識して存在を薄くしていない、素の状態でいるときは、話が別です。彼の基本の姿は6つあります。そのうち、貫井がまだ見たことのない姿でいられたら、さすがの貫井も分からないでしょう。
認識は万能ではなく、あくまで「知っている像」の範囲でしか働かない。そこは、ちゃんと穴として残してあります。
■おわりに
3回にわたって、裏側を書いてきました。
力の位相差、折神の出自、名前と認識。
どれも、本文ではぼんやりとさせた部分だと思います。
説明しなくても物語は立つし、書いたら書いたで脱線して読みにくくなる。
でも、掘るときっと面白いんだよなぁ。
こういう設計が下に敷いてあるんですよーって。
気づかないほうが自然で、気づいてくれていたら嬉しい。
そして気付いてなかった人はこの裏話を読んで「そうだったの?」と思ってもらえたのだとしたら、それはもう「しめしめ」です。
次回作はかなりの長編になる予定です。
もとは初めに書き出した初めての小説だったのですが、第1章を書き上げたタイミングで「アルケミー」を書きたくなり、終わって投稿の準備してたら「アポテオシス」を閃いてしまった。
なんだかんだでリリースが遅れに遅れている状態です。
第1章はもう推敲も終わっているので出すばかり。もう一度準備をしたらXでリリース日決めてお伝えさせていただきます。
今後も楽しんでもらえれば幸いです!
『遷移のアポテオシス』全10話・完結済み
https://kakuyomu.jp/works/2912051606240687248