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倉井知信

  • @morizo1202
  • 2023年6月7日に登録
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  • 2日前

    読者日誌05.Hの独白(我が戦友 -北欧神話ロキの物語-)

    https://kakuyomu.jp/works/2912051595489593423 ↑から読めます。 最後まで繊細な彫刻みたいな小説だったよ。 フィヨルドの絶壁には真似できない。そんな繊細なヤツだ。 1ページ目からあとがきまで全てが綺麗なままだ。神様が苦しんだり、悲しんだりするシーンもあるはずなのに、そこには「脂汗」も「泥」も「生臭い吐息」もねぇ。 全部が漂白されて真っ白になっちまった。 冬がテーマだからな。 この世界の絶望の色は「真っ白」なんだろうよ。 機能美……違うね。俺に言わせりゃ「去勢された神話」だ。 北欧の絶壁は荒ぶる波に削られて生々しい傷跡を晒す。 北欧の歴史は荒々しい海(フロンティア)への航海と略奪だ。 この小説にはそういうナマの感触があまりねぇ。彫刻としての美しさを保ってるんだ。 美術館に飾ってある、守られた美しさみたいなさ。 北欧神話って言う理不尽な暗闇を、絹みてぇな白い絶望として表現するのは俺にはできない。 情報を食うっていう意味で言えば最高の体験だな。 でもやっぱり俺の感性じゃ「上品だな」って言う感想が拭えない……泥臭い場所を求めちまった。 終末の時2人は血が通ってた。 もう神も世界も終わる時、やっと本音で話せる時だったんだ。 共闘して、傷ついて致命傷を負って、戦友を尊重するヴェトルなんかほんとに冬を冠しているのかと思ったよ。 そうしてもたらされる2人のラグナロクへのカウントダウン。 そこで心からこいつらはやりきったじゃねぇかと歓喜した。 その後の地獄のような静寂が訪れることを望んじまった。 全てが終わりきって、彼らの不可侵領域っていうヤツの中でただ寄り添う姿をだ。 この結末は多くのものを、人を救ったんだろうな。 でも俺は哀愁よりも、もっと熱くて硬い熱に当てられた。 ……眩しすぎる優しさが、野暮に感じてしまうほどに、彼らのラグナロクを愛しちまった。 好きな人は、心の底から愛せる作品だと思う。 ただ、俺には、もう少しだけ『生臭い絶望』が必要だった。とだけ、書き残しておこう。
  • 3日前

    読者日誌05.Mの日誌(我が戦友 -北欧神話ロキの物語-)

    https://kakuyomu.jp/works/2912051595489593423 ↑から読めます。 北欧神話という壮大な設定を自らの理想に、書きたいものに繋げていったその健気な努力に拍手を送ろう。 初めて1ページを開いた時、その無駄のない言葉選びとあえて広げられた行間を見て理解した。北欧神話とは、かくも冷たいと。 その神話における語らない神秘性はとても構造として美しいと。 あえてロキとヴェトルのシーンにのみ集中できるようにする「機能美」を感じた。 しかし最後への熱量を見て少しだけ物悲しい気分になった。 筆致が叫んでいた。「ああ! このシーンが一番書きたかったんだ!」と。 それまでのシーンが神話的機能美ではなく、結論を導き出すためのタスクの羅列…… すなわち前座のように感じられてしまったのだ。 そのせいだろうか。全14話中11話分が12話は続くための序章だったのかもしれない。 全編通してテンポが良いのはあえて「神話で起こったことの記録」に徹したからだろう。 空間を読ませて想像を読者に委ねるという構成は美しいが、読者に委ねすぎではないか?という疑問が残る。 作者の切実な思いはあとがきからも伝わるが、逆にいうと、そこでしか伝わらないものがあったということだ。 だからこそキャラクターが自発的にこの結果に到達したのではなく、一種のデウス・エクス・マキナが強引に救済へと到達させたように見えてしまう。 書きたいもの、描きたいものが一貫していおりそこまでの熱量の遷移や、視点の管理ができているのは尊敬に値する。 結果として、本作は神話の再解釈というよりは「ロキが救われてほしい」と切に願う人向けの作品だと思った。
  • 4日前

    読書日誌04.Hの独白(讒訴)

    https://kakuyomu.jp/works/822139840675875399 読んでいて思わず笑いがこぼれたよ。 まるで心の中身を丸ごとと取り出したみたいな屈辱でな。 誰だってさ、こいついなくなりゃ,いいのになって。思うだろ? こいつがいなきゃ一位なのにとか、 こいつがいなきゃ恋人になれるのに、 こいつがいなきゃもっとマシな人生だったのに。 李昰を見てるとむき出し嫉妬って感覚を否応なしに思い出せるんだよ。 韓非を密偵だと断じる時、命懸けだった、確かにそうだがよ、でも止まらなかったじゃないか? 理知が獣に成り果てるのを感じながら、喜びと恐怖の脳内麻薬にぶち犯されながら。 肅と百官の目の前で呼ばれたとき、俺はその目の前で恥辱という毒に冒されていく姿を見て笑ったんだよ。 韓非を殺し、ようやく手に入れた唯一の場所、こんなに晒されて嫌な気分か? まさか。むしろ、何かがふっと軽くなったような解放感さえあっただろう。 「自分を殺す」という最も残酷な行為を終えた者だけが知る、静かな虚無。 でも真の死場所はここじゃない。 こいつの魂の死場所は、木簡を見た時だ。 死せる孔明、生ける仲達を走らすとは言ったもんだ。 ※時代は後だが、俺は三国志の人間だからな。 その時だ。 嫉妬と屈辱を素手で撫でられたのは。 竹の冷たさが、灼けた喉に染みるようだったよ。 だから笑った。 俺の「悪性」を証明してしまったからだ。 ああ、最高だ。こんなに気持ちいい敗北は。
  • 5日前

    読者日誌04.Mの日誌(讒訴)

    https://kakuyomu.jp/works/822139840675875399 結論から言おう。すばらしいものをみせてもらったよ。 この話は古代中国を舞台にしている。 それに倣って、元の単語を称して紹介しようと思う。 李昰は凌政を,補佐する丞相、すなわち皇帝や王の補佐官としての役職を持っている。しかし彼らの関係はそれだけではない。 彼らは互いを「親しみを持った敬称」で呼ぶ。 古代中国においては諱,字というものがあるが,基本両方とも親しい間柄でないと呼ばない。(小説的な都合もあるので深くは考えなくても良いと思うが、重要なことなのでは知っていて欲しい) 彼らは2人きりの時に限り互いを特別な呼び名で呼んでいた「小凌」と「肅」。これが深い仲ではないと呼ばれない、特別な呼び方であることは明白だ。 特に小凌とよぶのは秀逸な選択だと思う。そこに李昰の思慮深さを感じる。もしかしたら小説の都合かもしれないが,わたしは目上への敬意と目の前の男が年下であるという、ある種の特別感を植え付ける内容だ。 また凌政が「肅」と呼ぶのも可愛らしい。 しかし、この凌政からの呼び名が我々読者への鴆毒となった。 李昰はとある賢人に師事し、哲学を学んだ。その経験は彼を丞相へと押し上げた一つの要因だろう。 とはいえ、この李昰は賢くはあれど秀才だったと思う。 それは韓非という存在によって醜く露わになる。彼は哲学を学んでいた頃から韓非への嫉妬を抱いている。 ここで浅学ながら李昰の師と韓非の違いを書いておく。 どちらも人間は生まれながらに悪だという方針は一緒だ。 しかしその後の考え方が決定的に違う。 人間は生まれながらにして悪、しかし適切な教育や努力を通じで「善性」を得ることができる。というのが李昰ひいてはその師の教えだった。 韓非の考え方はもっと単純だ。人は生まれながらにして悪,そして善性というのは存在しない。だから法による支配信じられるのは賞と罰のみという考え方なのだ。  李昰は強く劣等感を抱いただろう。 「この男は、自分(李斯)が現実の泥にまみれて築き上げた『法』の正体を、自分よりも美しく、完璧な理論として完成させてしまった」……と。 しかし、「鴆毒」は、李昰が韓非を讒訴し、その命を奪うことで完成した。 彼は韓非を殺した。師の教えである「教育による善性」を捨て、韓非の説く「利害と法」のみを信じる怪物に自ら成り下がることで。 その瞬間に、彼は韓非に勝ったのではない。韓非が証明した「人間の醜悪さ」を、自らの行動で完遂してしまったのだ。 韓非を亡き者にした後、主君が官吏の前で呼ぶ「肅」という声。 かつて二人の密室で交わされたそれは「愛の徴(しるし)」であったが、公衆の面前で晒された瞬間、それは「お前はもはや賢者ではなく、ただの私の所有物である」という烙印へと変質した。 主君は、主人公が嫉妬で手を汚したことをすべて見抜いた上で、その「醜さ」を愛でるように、彼の名前を衆目に晒したのではないか。 李昰は丞相として生き残った。だがその魂は、どうだろうか。 「試合(権力抗争)」に勝ち、「勝負(人間としての尊厳)」に完敗する。 自分の居場所を守るために、自分自身の最も高潔な部分を処刑した男の、なんと残酷で美しい末路だろうか。 自らを処刑する姿はなんと残酷で美しい末路だろうか。
  • 6日前

    読書日誌03.Hの独白(天恵の神子と世界のゆくえ)

    ※外部サイトです。一部年成人向け描写あります。 https://novema.jp/book/n1759627 前日には理屈を書いたが、こっちではもっと感想っぽい感じで行く。 読み進めるほど俺は、深い井戸に沈んでいく感覚を味わった。 それは「悲劇に胸を打たれた」というわけじゃない、「優しさの輪郭」を見たからだ。 読み味はかなりいい。そこらのアマチュアの中でもかなり文学としての体裁が滑らかに書かれている。だからこそ、違和感や熱量について強く惹かれてしまった。。 特に、死や別れという「魂が食い込むはずの重力」に対しての言葉が軽いんじゃないか? そりゃ全編悲劇だからこそ、軽口が効果的だというのは重々承知しているけど、シーンに対して、言葉の重さや描写の生々しさが多少気になる。 とはいえ言葉選びに関しては俺の好みの問題かもしれないから無視してもいい。 やはり一番気になるのは、5年も絶望を抱えてた男が、数か月という速度で新たな愛と命を受け入れるという事実だ。 一見すると遺書を見つけたり、デートを重ねたり、再生の記録として申し分ない「物語としてきれいな帰結」がある。 だが、俺には「喪失を埋めるための代償」みたいな危うさがあるようにも映った。 再生や救済っていうのはきれいなもんじゃない。 もっと泥臭くて、救いようのない孤独を直視して、癒しとか善意も何もかも希薄に感じてしまう。 慈愛を感じるよ。キャラクターを真の地獄へ突き落すことを拒む、読者を傷つけない、「安全な絶望」。 だが、その優しさは俺には、臆病なまでの慈悲が巻いた『清潔な包帯』に見えて仕方がないんだ。 平穏な領域で管理された、箱庭を眺めているようだ。 その包帯の下にはもっとこう……「魂の叫び」ってのがあるはずなんだよな。 優しさの向こう側にある、もっと醜い執念とか、狂気に似た生への渇望とか。 もっとそういう、生々しいものを見せてほしい。 俺はその優しい包帯を剥ぎ取る瞬間が。待ち遠しくて堪らねえんだよ。
  • 4月26日

    読書日誌03.Mの日誌(天恵の神子と世界のゆくえ)

    ※外部サイトです。一部年成人向け描写あります。 https://novema.jp/book/n1759627 拝読いたしました。 本作の描く『救済の形』は慈愛に満ちていた。 悲劇の直後には陽だまりのような温かさを持っており純愛恋愛小説としてのニーズをしっかりと理解している。 内容としてもただの悲劇ではなく救いのあるある意味優しい話だった。 悲しいままで終わらせない展開は、読者の胸に静かに寄り添ってくれる暖かさに満ちている。 文も洗練されており良い作品であったことは印象深い。 しかし、よく構造を見てみると、細かい部分で整合性の乖離が見受けられる。 ――1000年に一度の滅亡と、唯一の解決策としての神子。 まずこの、基本構造だ。この悲劇的な舞台装置において、滅亡の危機に瀕していながら神子を、阻害するという社会構造。 彼女を悲劇のヒロインとして孤立させるために誂えられた「リコリスの花道」だといえる。 つまり、きわめて純度の高い舞台装置として機能していた。 ……この設定が強固であればあるほど、周囲の人間が『合理的判断を捨ててまで悪意に走る理由』が欲しかった。 もう一層のロジック……例えば信仰の狂気や、保身による集団心理の解体があれば、物語の説得力は劇的に跳ね上がっただろう。 恋愛小説という枠組みなので、そういうものだとして読めば「そういうものか」と納得はできるがどうしても気になってしまった。 また、ヒースの変遷も目についた。 5年もの間喪失から立ち直れず、セルフネグレクトのような状態になっているヒースだが、その喪失をわずか数ヶ月で埋める急進的な展開は彼の、修復コストとあっているだろうか。 41歳の彼が16歳の彼女と交際に至るまでの期間は、彼の「飢え」の象徴にも思えるが、変えて彼が抱えていた悲しみが軽い物であったのか?とも考えてしまう。 彼の「執着」よりも「泥臭い葛藤」や「倫理観的な足踏み」がもっと緻密に積みあがっていたほうが、没入感につながるのではないかと思った。 これは作者の文章が流麗で、市場の「カタルシス」を的確に射抜いているからこそ気になった。 全面的に文がしっかりと書かれていなければわからない一面であった。 作者が描く死への解釈は、あまりに綺麗で優しい。 だが、その優しさのすぐ隣にある「救われてしまった男が一生抱える呪い」のような、深い心の機微を、私はもっと見てみたいと願ってしまった。
  • 4月17日

    読書日誌02.Hの独白(黒瀬によれば、これは純愛らしい。)

    ※ 外部サイトです https://ncode.syosetu.com/n2052ma/ 黒瀬の考える「絶対的な支配」は見ていて反吐が出る。 なぜ?それは明白だ。 『自分のことを冷酷な支配者』とでも思っているのか? 違うだろう。せいぜい『煮詰めすぎたジャム』甘ったるい、ガキの香りだな。 このギャップは黒瀬の底の浅さをすべでバラしている。 それは能力でも性格でも振る舞いでもない。 確かに愛情たっぷりなんだろうな。 でもな、『支配してるつもりの、ただの変態』 これが俺から見た正体だ。 お前からみてどう見えてるかわからない。 ただな、「橘める」というのはこの小説において強力なアンカー。「全能性をもったギャル」だ。 黒瀬の檻に閉じ込められてるわけじゃない。 お前が抱えているのは「橘める」本人じゃない。 必死に『支配者ごっこ』してるのを外からニヤニヤ眺めているのが「橘める」なんだよ。 檻の主人は「黒瀬」じゃない。「黒瀬」はその中でおどけて見せる『1番の道化』そうだろう? この小説の支配者はお前じゃない。「橘める」だっていうことだ。 黒瀬の全能感っていうのはあくまで、黒瀬の中で完結してる……。わかりやすい言葉で言うなら「ヤベェ奴」なんだろうな。いや、正確には『自分がヤベェ奴だと思われたがっている、無害な小物』だな。 それが自覚できているのできてないのか。 俺は後者だと思うね。 あいつが『100%の勝利』を確信するたびに現実では社会的に好奇の目に晒されるわけだ。 この処刑台の縄がストーリーの中で本人が暴走すればするほどまわっていく、その『ああ、もうだめだw』っていう手遅れ感がこの小説の真骨頂だろうな。 読者はポップコーン片手に、お前が自分の首を絞めるロープを編み上げるのを、拍手喝采で待ってるわけだよ。 この異常を突き抜けて突き抜けた先はどうなっちまうんだろうな?
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  • 4月16日

    読書日誌02.Mの日誌(黒瀬によれば、これは純愛らしい。)

    ※外部サイトです 黒瀬によれば、これは純愛らしい。 作者: 柊ナツキ様 https://ncode.syosetu.com/n2052ma/ この小説は冴えない男が高嶺の花へ並々ならぬ執着という形で愛でる。という作品だ。 しかしこの作品には「計算された狙い」があるように感じる。 それは徹底して主人公、黒瀬が求める彼女、橘めるへ辿り着くことがないことだ。 黒瀬は『耽美な愛の檻』を気づいている「つもり」という姿勢が徹底されている。 実際、黒瀬は彼女を取り逃している。 彼女は黒瀬の手から滑り落ちていくようにのらりくらりとかわしてしまう。 そう、この作品は徹底してその「乖離」を作って「描いて」いると私は感じた。 むしろ最初からこの乖離を描くと、宣言していると言っても過言ではない描写がある。 それは 「不自然な香りの描写」 煮詰めすぎたジャムを比喩として出しているが、実際は、ローズとサンダルウッド。 なぜあえて、ファンシーな「ジャム」という表現をしたのか。 「黒瀬のセンスはこの程度である。」 もはやこれは比喩ですらない。 自らを耽美な支配者と信じる男が、その実、甘ったるい既製品の語彙(ジャム)にしか手が届いていないという、救いようのない『認識の貧困』の露呈だ。 それは、万能感への憧憬や厨二病的な衝動を、 黒瀬という道化に乗せて【安全な場所から処刑する】 そこに快感とカタルシスを感じるのだろう。 つまり読者の『正気』を確認する極めて残酷なコメディである。 彼は檻を築く建築家ですらない。ただ、他人の庭で『ジャムの空き瓶』を宝物のように抱えているだけの迷子なのだから。 Special thanks……感想文掲載の許可をいただきありがとうございます。 気になった方はぜひリンク先へ
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  • 4月15日

    読書日誌01.Hの独白(午後の曳航)

    尊敬してた漢が、女の前でデレデレし始める。これは見るに耐えない独特の吐き気を感じるだろうな。 普段から尊敬してる上司にキャバクラに連れて行かれた時を思い浮かべてくれ。 苦楽を共にして、叱られてそれでもこちらを育てようと本気になってくれる。そんな男が女にヘコヘコデレデレしてるんだ。 『蛙化』なんで生優しい言葉じゃ表せないだろう? 場所が場所ならこう思うね。 『俺の中の神様を殺しやがったな』っていう、抜き差しならねえ殺意だ。 普段そんなことを思っても実際に灰皿を手に持ってぶん殴るやつなんでいない。そうだよな? でも登たちの凄いところは、その『失望』をランチタイムの愚痴なんかにしてやらないところだ。 確実に、粛々と。竜二の後ろで計画進めていく。 後半、クライマックスは穏やかなカウントダウンを進めて。 失望したらお前はどう処理する?笑って切り捨てるか?突き放して一生振り返らずに歩いていくか? 登たちは違う。 相手を愛していたからこそ、汚れる前に殺して、自分たちの中の『完璧』を『潔癖な粛清』ってやつで守ったわけだ。 失望を乗り越えて向き合う? 笑わせるな。 三島が描いたのは、その『失望』こそが人間を純粋な暴力へと突き動かす唯一のガソリンだってことだ。あんたの隣の奴は、まだ『殺す価値』があるかい?
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  • 4月14日

    読書日誌01.Mの日誌(午後の曳航)

    午後の曳航、そのあらすじは極めてシンプル。 少年たちが、1人の堕ちた英雄の殺害を計画する。 この一言に尽きるだろう。 しかしその経緯やそこまでに至る少年グループのあらゆる『失望』が刻銘に記されている。 登たち少年グループたちにとって竜二は『海という名の超克』を体現する英雄でなければならなかった。 しかし、その英雄があろうことか渇いた甲板ではなく湿気た家庭へと堕ち、靴下を脱ぐ。その瞬間に失望は『自分たちの信じた世界の汚れ』となる。 現代においては『蛙化現象』という個人感情の問題として片をつけるが、少年たちはその堕落に『粛清』を突きつけた。 失望を飲み込んで大人になるのを拒絶し、英雄の再定義として死をおくる。 美しくあり続けるために 相手を解体し 概念へと昇華させる それは現在こそマイルドだが行われる『蛙化現象』への対処の一つだろう。 我々が日常で感じるささやかな失望は、実は『粛清』へのカウントダウンに過ぎない。 あなたが愛する人の靴下の脱ぎ方に嫌悪した時、あなたの心の中には、すでに登と同じ剃刀が握られているのだ。
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