ヒットに必要なのは圧倒的な母数である。
そう考えると、少数派であり、人とズレている僕には、ヒット作は生み出せないかもしれない。
以前のノートでも触れたけど、僕は人と少し違う。
精神科の心理テストの結果をもとに、明確に自覚した。
とはいえ、ADHDや自閉症、アスペルガーのような、明確に社会に適合するのが難しいパーソナリティーを診断された訳ではない。
凡人とはちょっと違うけど、決して天才ではない。
中途半端な存在。
そもそも、僕のPNである『三葉』には、僕は凡人であるという意味が込められている。
人をクローバーに例えると、天才は四つ葉で、凡人は三つ葉。
天才の方がカッコイイけど、世の中は凡人の方が多い。
そして、同じ凡人の方が、より多くの人に共感してもらえる物語が作れる。
売れる作品とは、共感性が高いもの。
だから、僕は自分を堂々と凡人と名乗る、『三葉』とした。
下の名前の『空』は、単純に空が好きだからである。
また、かつて活動していた野球創作サイトで『Air』と名乗っていたから。
ただ、自分を凡人と言いつつも、凡人よりは多少なりとも、センスがあると思っていた。
でなければ、創作の世界にはやって来ない。
事実、中学生の頃、その野球創作サイトにて、センスがあると褒めてもらった。
ただ、中学生、高校生で文学賞を取るような、生粋のセンス、才能がある訳ではない。
あくまでも、凡人に毛が生えた程度だったと思う。
他人とは変わっているけど、極端に分かりやすい天才じゃない。
だから、若い内に成功することが出来なかった。
人生をかけた電撃大賞の挑戦にて、一時、大きく浮上したが。
結局は、夢破れた敗北者となった。
しかし、その後も、執筆活動はやめなかった。
大いに情熱を燃やしてやっていた、という訳じゃない時間も多々あったと思う。
それでも、何事も長続きしない僕が、小説だけは10年以上もやっている。
ラノベにおいては、若くしてデビューして、成功する人が多い。
事実、若者向けのジャンルだし。
最近では、間口が色々と広がっているけど。
僕が電撃大賞に挑戦していた当時とか、まだその意識が高かったし。
筒井 康隆(つつい やすたか)さんも、かつて『30歳で作家になれなかったら、死んでやる』みたいなことを言っていて。
僕にはそれほどの覚悟はなかったけど(中途半端くん)、20代でデビュー出来なければ、カッコ悪いと思っていた。
でもまあ、僕の好きな東川 篤哉(ひがしがわ とくや)さんは、確か32、3でデビューしたから、僕もそれくらいで良いかなと。
気軽な気持ちでいたけど、正にそれくらいの歳になって、まだ結果は残せていない。
カクヨムで少しだけ成功して、作家気分になれたこともあったけど。
目標とする場所にはまだたどり着けていない。
それは悔しいことだけど、そこまで焦っていない自分がいることも確かだ。
僕は自分が大器晩成型だと自覚している。
身体能力が、1番欲しい中高生の時じゃなく、大学1年でピークに達した。
そのズレっぷりの残念さが、自分らしい。
事実、はがないが好きで、色々と縁もあったし。
まあ、その話は置いておいて。
最近は、40歳で花開くのも、全然アリだと思っている。
東野 圭吾(ひがしの けいご)さんも、デビューこそ20代と早かったけど、売れっ子になったのは40歳くらいだったし。
最近、とみに思うのだけど。
以前、ネット小説は、竜頭蛇尾(りゅうとうだび)で良いという記事を見かけたことがある。
つまり、最初さえ勢い良ければ、あとはしぼんでも構わないと。
その当時は、なろうとかで書いていたから、まあそうだよなと、納得していた。
けど、ここ最近は、全くもって考えが違う。
最初に勢いが良くて、後にしぼむよりも。
最初は地道でも、後でグンと尻上がりになる。
前者よりも、後者の方がカッコイイし、イケていると。
まあ、若い内に成功して、ずっとトップを走り続けている人もいるけど。
早熟の天才は、往々にして、後年は沈み、凡人、あるいはそれ以下に堕落しがちだと思う。
一方、なかなか売れず、永遠の書版作家なんて揶揄された人が、後年はヒット作を連発する売れっ子になっていたり。
これはまあ、小説の世界に限らず、いろんな業界でもあることだと思うけど。
早熟の天才は、パラメーターがとがっている。
ホリエモンはバランスを取るなと言ったし、与沢さんも突き抜けてぶち抜くと言った。
だから、手っ取り早く成功するなら、その方が良いんだろう。
けど、そうやって成功した人間は、人間性が未熟ゆえに、自滅している印象だ。
何かやらかして、その後はメンタルやられて、復活できないみたいな。
一方で、なかなか日の目を浴びない人は、その間にゆっくりと、着実に、良質な人間性を養っている。
真に大きな成功を収めるためには、良好な人間性が必要であることは事実だ。
もちろん、完璧に良い人はいないし、聖人になる必要はないけど。
人としての深みがないと、作品も何もかも、つまらなくなる。
その点で言うと、僕は今、自分がなかなかに深みのある人間になれていると思う。
ロクに働いていないし、社会人経験は乏しいけど。
全く働いていなかった訳じゃないから、どんなものかは分かる。
サラリーマンをしていると、思考が停止する。
彼らはベルトコンベアーの上を流れる、部品も同義。
もちろん、昨今においては、自ら積極的に副業をし、成功し、独立する人も増えているだろうけど。
安定した給料、安定した生活。
ついつい、その甘美さに負けて、自分にとってより良い人生への選択をあきらめている。
いや、目を逸らしている。
一方で、働かないことは、楽だけど、苦しい。
サラリーマンが想像する以上に、彼らが経験したことない、人生の苦みを味わう。
けど、それが僕にとっては甘美であり、また成長させてくれる。
良薬は口に苦しと言うし。
とにかく、サラリーマンよりも、僕は常に深い思考をしている。
だから、彼らが知らない知識を数多く持っている。
そのため、全くもって、彼らに対して劣等感を抱かない。
昔から、結婚して子供を作ることにも、興味はさほどない。
いや、1度くらいは、経験してみたいなと思う。
作家で成功したら、家庭を持ってみたいなとは思う。
けど、それは他のみんなみたいに、30まで結婚して、子供を産んで、親に孫の顔を見せたい。
そんな決まりきったベルトコンベアー式とは全くもって違う。
純粋な好奇心と興味の対象にすぎない。
正直、僕はそれ以上に、自分を探求することに忙しい。
もっと言うと、自分を通じて、この世界の理(ことわり)を知ることに忙しい。
だから、無理して結婚したいとは、1ミリも思わない。
以前、悲しそうな父の顔を見て、一時的に強く思ったことはあったけど。
その時、その衝動に流されなくて本当に良かったと思う。
自分の人生は、徹頭徹尾、自分のためだけに生きるべきだから。
そう、こんな考えを持つ、いや、堂々と主張する僕は、間違いなく少数派だ。
先日、最近よく見るサンデージャポンにて、武井 壮(たけい そう)さんが、フェンシングのレジャー合宿問題について、謝罪をしていた。
僕は元から武井さんが好きだったこともあり、その謝罪を好意的に受けたし、さすが武井さんと思っていた。
しかし、ネットニュースを見て、そんな武井さんに批判の声が多く、逆にバレーの川井さんの方が評価されているのを見て、驚いた。
そして、自覚した。
あ、俺ってやっぱり、マイノリティーなんだと。
だから、僕はヒット作を生み出せないかもしれない。
多くの人に共感してもらいたい、凡人だと自覚した上で。
そんな意志をこめてつけた『三葉』という名前に反して、僕は多くの人の共感ではなく反感を買うような道に進んでいる。
そのため、僕は今後、ヒット作に恵まれないかもしれない。
このまま、ロクにお金を稼ぐことが出来ず、くたばってしまうかもしれない。
けど、不思議と、そこまで恐怖はない。
僕は人が生きて行く上で大切なのは、プライドだと思っている。
もちろん、余計なプライドは捨てるべきだし、ダサいもの。
でも、人はお金よりも何よりも、プライドを失うと、生きていけない。
自分の中に確かにある、芯を失ったら、もう立って動くことが出来ない。
僕にとってのプライドは、小説である。
書籍化してプロデビューした訳じゃないけど。
あくまでも、セミプロみたいなもんだけど。
僕は自分が小説家であると、自負している。
そして、例え文字として表現しなくても。
自分の頭の中で、ずっと小説を書いている。
僕は幸せ者だ。
ミニマリスト、断捨離マンだから。
余計な物は持ちたくない。
小説家という生業は、何もなくても出来る。
己の脳みそさえあれば、物語を創造できる。
だから、僕はこれからも、ずっと小説を書いて行くだろう。