※先に挙げたのとまったくの同文。アチラは単なる抽選エントリー用ですので気にしないで
まずは、読了、心から御礼申し上げます。
目立ったあとがき欄が見当たらないので、本来の用途とは違うかもしれませんが、こうして一文を残す事としました。
この作品は、私にとっては処女作に当たり、あらすじの稿でも触れていますが、私自身の人生を投影した部分や、実体験を元に描写した、私小説の意味合いも含んでおります。
さて、実に面白みに欠ける内容であった事は、重々理解しています。
思えば、入院中にPCで文章を打つ事をリハビリに取り入れ、私自身の病気と障害の体験をまとめ上げ、小説として綴ろうと思ったのが、この作品の根本でした。
そこから、ストーリー性を持たせるための題材に選んだのが、大好きな競馬でした。
しかし、馬主や競馬サークルに生きる人々のロマンを描くのではなく、ギャンブル要素やお金の要素を濃くするのでもなく、自分の立場である"ただの競馬ファン"を描きたく思い、こういう展開となりました。
ファンレターを題材に加えたのは、昔のアイドルの方のインタビューとかで"ファンレターの内容って、意外とちゃんと覚えているモノで、ブレイクする前のものなら、特に印象が強い"、そんなお話を聞いた事があるからでした。
最後に――世間からの障害者へのイメージが、某チャリティー特番に出てくる様な人や、パラリンピックに出場する人とか、あの"五体が不満足な方"の様に、誰もが前向きで、活動的に暮らせている人ばかり――私は、それが凄くイヤでした。
あの人たちは、障害の程度こそ、私とは比べ物にならないほどに重度なのでしょうが、あの人たちが、そうして前向きに生きられるのは、周りの理解や支援と、何より、生まれた時からや、障害を負った時点から、しっかりとした経済的なバックボーンを持っているからこそ、ああいう活動が出来るのです。
それが障害者の『普通』であると、錯覚している意見を多く聞くので、私の様な『底辺』の障害者を描き、伝えたかったんです。
優斗の得た幸せとは、逆説的に言えば、あの病気と身体で、尚且つこういう現状では、どんなに頑張っても、幸せになれるとしたら、作中の様に、事実上の"ヒモ"にでもなるか、大穴馬券でも当てるしか、打開するコトは難しい――そんな"現実"を、この作品から、解かって頂けたなら幸いです。