また人様の近況ノートのネタを拾いつつ(ぉぃ
よく言われることとして、『たくさん本を読んできた人はいい文章を書けることが多い』というのがあります。
これが事実であるかは分からないのでとりあえず置いておくとして。
自分自身に当てはめると、多分私は読書量は少なくとも『多くはない』部類だと思ってます。
ただ、自分の文章力を高める本は読んできた記憶がありません。
というか読んでません。
多分ですが、一番本を読みまくっていたのは小学生まで。
幼稚園くらいから大体の文字がすでに読めてたので、実はシートン動物記とかファーブル昆虫記とかは、幼稚園の頃に全部(もちろんその年齢向きの奴を)読みました。
ちなみに当時一番のお気に入りは『名犬ラッシー』でしたね。
何回読んだか覚えてないくらい。
今でもぼんやり、当時持ってた本の装丁を覚えてるくらいです。
まあ当時は今のようにスマホもネットもないし、テレビゲームもないから子供の楽しみなんてすごろくとかか、テレビか、あとは本くらい。
うちは厳しくて漫画なんてほとんど買ってもらえなかったし。
当時住んでいたマンションに同い年の友人(同じく本好き)がいたのでお互いの本を(主に親が示し合わせて)貸し借りして読みまくってました。
そのおかげで、小学生に上がる頃にはある程度の漢字すら読めるようになってましたね。
その後も、図書室で本を借りては読むのをやってまして。
で、決定的なのは小学3年の夏休み以降、海外(リオデジャネイロ)に行ってしまったこと。
これにより、『放課後に友達と遊ぶ』という事すらほぼ不可能になり……。
学校で本を借りまくって読むくらいしかすることがなかったとも。
なんせテレビすら見ない(画質めちゃくちゃ悪いし当然全部ポルトガル語だし)
まあ家でもいろいろ遊んでましたが、読書量は大分多かったと思います。このころに小学生向きのシャーロックホームズとか怪人二十面相シリーズ(要は江戸川乱歩)とか、あとは世界の偉人とかのシリーズとかほとんど読んだ気がする。
まあ……なぜか家にあったドリトル先生シリーズだけは肌に合わなかったのか全く読まなかったんですがね。
何故だろう……相方も不思議がっていた。
訳が合わなかったのかなぁ。
あと家に学研の図鑑シリーズがあったのですが、多分ほとんどに目を通してます。
このころに日本中の都道府県の特徴とかもほとんど覚えたくらい。
ところが。
中学に上がる時に日本に帰ってきた後は、テレビ(というかほぼアニメ)を見るのに夢中になって、あとは少しお小遣いもあったからそれで買った漫画とかばかり読んで、多分ほとんど本を読みませんでした。
ホントに教科書くらいだったんじゃないかと。
その後、高校に上がった時にロードス島戦記とか、あとは田中芳樹を知りまして。
そこからそれらにハマって、あとはフォーチュンクエストとか宇宙皇子(これは30巻くらいまでで限界だったが)、スレイヤーズ!とか読みましたね。
あとは十二国記とか。
大学以降はまあ……色々……だったんですが。
直近だと『働く魔王様!』と『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』くらいしか出版物は読んでませんが……。
見てわかる通り、所謂『文学作品』というのは(教科書以外では)全く読んできてないんです。
夏目漱石とか森鴎外とか芥川龍之介とか太宰治とかあのあたり。
全く、これっぽっちも読んできてないんです。
海外のものもほぼ読んでません。
タイトルしか知らないものがほとんどです。
まあ社会人なってからアガサ・クリスティーとかは読んだりしてますがあれも文学作品とは言えないでしょう。
そんなわけで口が裂けても『読書家です』とは言えないんですよね。
ただ、小学生の頃から『読書感想文』とかに苦戦したことは、記憶する限り一度もありません。
というかあれは面倒なだけで苦労するものではなかったと思ってたので、自分に子供が出来てから苦労する人が多いと知った始末。
なので、文章を書くのはなぜか得意だったのかもしれません……が。
今でも覚えてるのですが、小学生の頃(リオです)クラスでも一番成績がいい方(まあどんぐりでしたが)の女子が、夏休みの自由課題で『物語』を作ってきたんですよ。
で、そんなことをやった子はその子一人で、先生が読み上げてくれた(もちろん本人了承)んですが……。
時間切れで途中までになった後、土日(リオは当時から週休二日)挟んだら先生が忘れちゃったんですよね……続きがすごく気になったのだけは覚えてます(話はさすがに忘れましたが)
その時、『物語作れるなんてすごいなー。自分は絶対無理だな』と思ってたのはよく覚えてます。
まあそれがこんなやたら作ってるのは、きっかけは先日書いた通りFE聖戦の二次創作が始まりですが、さらに辿ると、物語を作れるようになったのは、TRGPのマスターを大量(軽く100回以上)にやったからだとは思います。
あれで『自分で話の筋を考える』というスキルはついたと思うので。
FE聖戦とTRGPの経験がなければ、創作小説に手を出していた可能性はおそらくないでしょうね。
ただまあ、上記の通りいわゆる上質な文章にあまり触れてきてないので、私はいわゆる高尚な文学というのは絶対無理で、基本娯楽小説しか書けないのは確か。
ただ、それであれば自分でも書けるとは思ってます。
極論『自分が読みにくいと思わないように書く』ようにさえすればいいと思ってまして。
実際私は、一度書いてからかなりの回数見直します。
まあそれでも誤字見落としたりするし、急いでるとおろそかになりますが、アップ後も何度も読み直してこっそり修正とかよくやります。
その中で、違和感をできるだけ感じない文章にするようには心がけてます。
時として本当に細かいところ修正してて、多分気付かれてすらいないこともあるかと。
例えば『~してる』を『~している』に書き換えたり、とかも。
たった一文字の違いで、意味も全く同じではありますが、前後ともつなげて読む場合にその受け取られ方が微妙に違うようにはなることもあるんです。
これを言うと書けない人には怒られそうですが……多分ですが、小説を書くことは誰にでもできます。
よほどの事情がある場合を除いて、文章を書けない人というのはまずいないはずなので。
こうしたいと思う文章を書けば、自分が面白いと思えればそれでいいかと思ってます。
私も普段、『まず自分が面白いと思えなければ絶対他人も面白いとは思ってくれない』と思って書いてますので。
所詮娯楽小説。楽しませてなんぼです。
ただ、絵はそうはいきません。
ちなみに私はいわゆる芸術系の能力は絶望的なレベルで壊滅してますので、マジでそのあたりできる人はめっちゃ尊敬します。
ピアノやってたのに、笑えるレベルで音感がない(=音痴)だし。
絵なんて子供の頃から壊滅的だし。
なんせトレース以外で真横に手本があってもその通りに描けない。
頭の中だけにあるものを描くとかは絶対に(×100)不可能ですし。
ああ、ドラえもんなら描けます。絵描き歌で(マテ)
あとリラックマはある程度いけるか(ぉ
そんなもんです。
まあそれはともかく、『文章を書く』という行為自体は誰にだってできると思ってます。
ただ、それで人を楽しませるところまで行けるかは人それぞれでしょう。
その前提として、『まず自分が楽しむ』文章を書くのが第一。
で、それにはやはり自分が楽しいと思う『出版された本』を読むのが一番だとは思います。
実際、私の作風は、かなり田中芳樹の影響を受けてると思います。
あと、ラブコメに関してだとおそらく『お隣の天使様~』の影響がかなり。
というかアレなければラブコメ書いてないしね。
ただ、あのあたりの『読みやすい』文章はやはり手本にはなると思うんですよね。
そういうのに慣れれば、きっと読みやすくて楽しませることができる文章は自然と書けるようになっていくかと。
私の様な偏った読書歴では、あまり参考にはならないかもですが(オチがそれか)