大前提だが、『ぐちすて』において、勇者は主人公ではない。
物語の中心に立つのは善だが、彼は剣を振るう英雄ではない。
善の立ち位置は、アーサー王伝説におけるマーリンのような存在だ。
導き、問いを投げ、選択を迫り、仲間が「勇者になる瞬間」を支える役割。
つまり――
勇者とは、物語を引っ張る存在ではなく、物語の中で“生まれる”存在だ。
勇希という勇者
勇希は料理人だ。
彼の根っこにある思想は、戦闘ではなく「食べること」。
食べることは、生きること
生きることは、他の命を奪うこと
だからこそ、彼は戦うことが怖い。
命を奪うことに、強い抵抗がある。
それでも勇希は、
その臆病さを捨てない。
恐怖を消すのではなく、
生存本能としての臆病さを“連れて歩く”。
それが、ぐちすての勇者だ。
勇者=アンパンマン的存在
勇希が目指すのは、無敵の英雄ではない。
空腹の子供に、迷わず食べ物を差し出せる
力を誇示するためではなく、優しさを守るために戦える
自分が傷つく可能性を理解した上で、
それでも誰かのために一歩前に出る存在。
つまり、
臆病者だけど、アンパンマンになりたい。
ぐちすてにおける勇者とは、
「勝つための力」ではなく
「優しさを実現するための力」を持つ者だ。