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MITHRASの補足説明は必要でしょうか

どうしましょう。必要だとして物語中に挟むのよいのか、ここで書くのが良いのか、別に補足物語をたててそちらで取り扱うか悩みます。

たとえば、サムライがギリシャ神話にでてくるところとかです。実際には出てきています。
ただ日本人はそんな馬鹿なことがるはずがないと思うかも知れません。

日本語は「侍」と書いて「サムライ」と読みます。「侍」は中国の言葉です。読み方も本来は中国の読み方をしなくてはいけません。「山」は「さん」と読みます。「やま」ではありません。中国の言葉ではそんな読み方をしないからです。
ではなぜ現在「山」を「やま」と呼ぶのでしょうか。「山」を「かわ」と呼んでも、「たに」とよんでも、「マウンテン」と呼んでも同じで、日本語では全て「山」の意味になります。
実は「やま」という音は外国語です。
日本語には中国の言葉と、外国語を結びつけて取り入れる仕組みがあります
首都封鎖をロックダウンと訓読みすれば、日本語です。首都封鎖と書いて、オーバーシュートと読んでも構いません。日本語は実は中国語の仲間で、漢字や中国の文化、儒教精神に基づいてすべての言葉が構成されます。
首都封鎖と書いて、オーバーシュートと読むのは間違いです。ですがそれを間違いだと認識できるのは英語圏の人だけで、英語が中国の人によって闇に葬られる前までの話です。
つまり首都封鎖は「オーバーシュート」ではありません。山は「リバー」ではありません。これがヤマトの言葉にも当てはまりまして、実は、山は「やま」ではありません。この二つは言語が違います、言語を形作る精神が違います。侍は「さむらい」ではありません。
言い方を変えるとすれば、「サムライ」はやまと特有の言葉です。そのヤマトには王様がいません。権力者も役人も日本王朝とはまったく形がことなります。日本王朝に本来のサムライが存在することはできません。
日本王朝がヨーロッパにあれば、侍と書いて「クルゼーダー」などと読んでいかもしれません。日本人が認識するのは常に「侍」のほうです。
つまり日本語は基本中国語なのですが、外国語をコピーしてあたかも外国語であるように装う言語になっています。ヤマト言葉と思われる音、「トリイ」「ヤシロ」「シロ」などは、鳥居や社、城などと漢字で書きますが、これらの漢字は本来の意味とは大きく異なります。
中国の人が外国語を漢字で再定義したのですが、近代のことを思いだしてみて下さい、中国は日本から漢字を逆輸入しなければ国際化が出来ませんでした。それはもともと言葉や概念がないからです。日本はいちはやく、外国語をコピーしながら概念も中国語化することをやっていましたので、国際化に必要な漢字が作られていました。しかしこれは近代の話です。
当時の中国語でヤマトの言葉を翻訳することはほぼ不可能でした。
なので、日本語のなかでヤマト言葉と呼ばれるものは、すべて語訳になっています。ほんと、てきとーに別の中国語に変えられたりしています。
(日本語には、ヘブライ語、ラテン語、サンスクリット語、タミル語、アルタイ諸語、スラブ語等、由来説が多数ありますが、どれも学説では否定されます。この理由が上記です)
ヤマトの言葉は日本人にとっては外国語なので、本来意味すべきところは日本人が認識できない場所にあります。
侍がなぜ「さむらい」という音なのかを日本人が考えたところで、100年経っても答えはだせません。ただ外国語を意味もわからずコピーしているだけだからです。飴とかいてキャンディとよめば、外国語なんてなかったしすべて最初から日本人だったと言い始めた世界では中国の文化と照らし合わせて、それをなぜキャンディと読んでいるのかがわからないのと一緒です。
サムライと言う言葉は、もともとアースガルドで使われていた言葉ですので、そのように物語に組み込んでいます。

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