もう7千もの出品数を超えるこのコンテスト。
星の数やフォロワー数など異次元なまでの上位作品が並ぶコンテストに化けている。
そんなコンテストを私はどう思うのかについてだが、やはり読者反応とテンプレはあい通ずるものがあり、これをコンテストの判定と審査に取り込まれるとすれば、下位作品は見事に玉砕されるという仕組みだろうなと思ってしまうのだ。
コンテストを開催する意図とその存在意義はどこにあるのだろうと思うのだ。
であればだ、テンプレを逸脱して、まるで純文学のように読者の心を鷲掴みするような、テンプレの皮を被った作品は、電撃小説大賞に応募した方がよっぽど審査対象となるなと思うのだ。
これには決定的な裏付けがある。
歴代の電撃大賞受賞作品を並べて見ていくと、電撃小説大賞の審査員や編集部の意図が少しは分かってくるからだ。
まずは、記号の様にありふれた即効性のある欲求や快感を得られるテンプレ作品を受賞させた歴史は無いのだ。
SAOや魔法科高校は大賞を受賞をしていたのかと言われたら……だが、電撃が求めて欲している作風は理解できそうなのだ。
明らかにテンプレより逸脱して、尚、読者の心を鷲掴みにして、尚且つ、人間ドラマのドロドロとした部分を描いたそんな大傑作を欲している。
私が書いてる小説ははっきりとテンプレの皮を被った、逸脱小説だが、純文学の技法で書き上げた、読者の感情をこれでもかと波状攻撃を何度も繰り返して、狂わせる怪作である。と自負してしまう。
都合よくは主人公は登場させて無双はさせない。
あくまでも、より現実的に、よりそこに至るまでの人間ドラマをここまでもかと言うくらい描ききった小説だ。
もはや戦う土俵が違うのだと認識している。
カクヨミでの読者反応なんてもはや眼中にない。
メッセージ性を含めた小説に化けさせて発信している怪作である。
だが、問題はここだ。
この様な怪作はちらほらカクヨミに存在はしている。
だが埋もれる、
それはそうだ。カクヨミにごまんといる読者は人間ドラマは望んでいない。望んでいるのは欲求や快感を満たせるテンプレ小説なのだ。
だからおのずと、カクヨミやなろうでは勿論、読者は付かない。
ましてや、現代のラノベ業界ではこのテンプレで快感を満たす即効性のある小説しか望まれていない、そしてこのコンテストも然りだ。
この様な怪作を書く作家は、カクヨミ内であるコンテストに者を向けるのではなく、電撃大賞に目を向けるべきではと思うのだ。
それか、作品の中身を査定し評価をしてくれる、Nolaノベルだ。
エージェントに提出すると、精読をしてくれてマッチする編集部をこれでもかってくらいに精査して、落とすのではなく、なんとか世に出してやりたいという作家に寄り添ったやり方で、埋もれた作家に翼を与えるのだ。