こちらは王子とカサンドラの王宮デート(?)の後日談です。
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「なんだ、アーサーも同じだったのか」
ラルフは友人の姿を見つけ、そう声を掛けた。
――週明けの午後のことだ。
昼食を終えた後の選択講義が、たまたまアーサーと重なった。
彼は幅広く様々な分野の講義に顔を出しているので、会わない時は本当に会わない。
歴史学の講義だからシリウスも一緒かと思ったが、生憎彼は別の講義を選択してしまったようだ。
座学を選べば大抵シリウスの顔を見る事になるので、彼と同席する機会は多い。ラルフも社交系の講座に出る事が多いが、そろそろ勉学にも本腰を入れるべきかと今学期は座学を多めにとる予定だった。
窓際の前方の席に座るアーサーの隣に、ラルフも着いた。
折角彼が同室なのだから離れて座る意味もない。
だが、講義が始まるまでは自分達に話しかけてくる多くの生徒達の相手をするため互いに忙しい。
話しかけて来た相手を露骨に無視する事は出来ないし、かと言って理由もなく話を遮れば『さっきの子の話は聞いたのに』と不満を抱かせることになる。
周囲の雑音など一切気にせずマイペースに休憩時間を過ごすことが出来ればいいのだが、他人からの心象悪化は出来る限り避けたい。
もう面倒くさい、うんざりだと無言を貫くシリウス程吹っ切れればいいのだろうが、ラルフやアーサーには中々そのような態度を他人にとることは出来なかった。
八方美人と言われればそれまでだが、『傾聴する』という行為は自分達にとって大変重要な習慣である。
人の話を聞かない奴だと思われることのデメリットを考えれば、愛想よく話を聞くだけで勝手に好印象を持ってくれる分気楽と言えた。
漸く講義の始まりの鐘が鳴り、生徒達は慌ただしく自席に向かう。
だが担当講師が講義室内に姿を見せず、その間ざわざわと私語が飛び交うことになった。
まぁ講師が五分十分遅れて来るなど、さほど珍しい事ではない。
壁掛け時計の長針に目を遣ったラルフは、次に隣に座る友人に視線を向けた。
「……?」
……どこか物憂げな様子で頬杖をつく彼の様子にぎょっとする。
大体、先週からの彼の行動が奇怪過ぎてラルフ達は驚き戸惑っている最中なのだ。
聞きたいこと――主にカサンドラ関係のことで知りたいことがあったが、聞くに聞けないまま現状に到る。
彼が以前より婚約者の事を憎からず思っている事は勘付いていたが、まさか新学期早々あんなに親しげな雰囲気を出されるとは予想外過ぎて絶句する他ない。
もはやラルフにとっては奇行としか思えなかったが、本人は毎日楽しそうなので敢えて問いただすこともしなかった。
恐らくシリウスやジェイクも同じで、遠巻きに彼の変化を見守っているのだと思われる。
「アーサー、どうかしたのか?」
つい先週までは”テンションが高い”としか言いようのない状態だったというのに。
今隣に座るアーサーは、やや落ち込み気味だ。
その落差に戸惑って話しかけた自分の行動は間違っていなかったと思う。
「……ああ、ラルフ。
実は今、悩んでいることがあって」
「悩み?」
ついラルフは鼻白む。
近年稀にみるレベルで楽しそうな挙動の彼が、今度は一体どんな悩み事だと言うのだ。
何となく嫌な予感はしたものの、友人が落ち込んでいるのなら話を聞かないわけにはいくまい。
幸い、まだ講師が訪れる気配もなさそうだ。
「実は昨日、キャシーを王宮に招待したのだけど」
「………へぇ。」
もう今更突っ込むのも嫌になって、その愛称呼びを聞き流す。
一瞬誰の事を言っているのかと脳内で変換作業をしなければいけないので、出来れば以前のように呼んでもらいたいのだが。
本当に一体アーサーとカサンドラの間に何があったんだろう。
ただ、聞いたところで一層閉口するような惚気話を聞かされてしまう気がする。
沈黙は金だ、とラルフはそれには触れないことにしていた。
アーサーの話によると、彼はカサンドラに宝飾品や何着ものドレスを新調してやったのだという。
本当に頭の配線がどこか捩じ切れてしまったのではないかと心の中で冷や汗を流す。
平然とした顔をしつつも、彼の変化に戸惑うばかりだ。
いや、彼が楽しく幸せに過ごせているのなら構わないのだけど。
友人の知らない一面を見てしまった気まずさに襲われる。
王国に春が訪れたと同時に、彼の頭にも春が訪れてしまったのだろうか。
やたらと彼の行動変化の理由が気になるのは、もしかしたらその原因がラルフ自身にあるのかもしれないと薄々勘付いているからだ。
自分がこの間――カサンドラを焚きつけたからではあるまいな? という疑念が思考の端にチラついてしょうがない。
あの時は良く分からない事態に驚いてカサンドラに檄を飛ばすような形になってしまったものの……
まさか自分の一言が連鎖しての結果だとしたら……
取り返しのつかないことをしてしまったのではないか? という後悔さえ噴き出してくる。
「成程、折角プレゼントをしてもあまり喜んではもらえなかったと」
アーサーはどうやら彼女への贈り物がさほど心に響くものではなかった事に少々落ち込んでいるようだった。
……確かに彼女は少々変わっている女性だと思う。
それらを好きな男性からもらって喜ばない女性など、ラルフは今まで見たことが無かった。
「そう気を落とす必要はないだろう?
――贈り物を貰って嬉しくないわけがない、彼女も十分感謝していると思うけれど」
何で自分がカサンドラのフォローをしなければならないのだ、と内心で自嘲する。
「ああ、それは分かっている。
ただ……彼女は私がそれを贈る際に、かかる費用の事を凄く気にしてくれて」
「へぇ」
「王族が使用する経費を国庫だの税金だのと意識した発言をされて、驚いたんだ。浪費に当たらないのか、と。
貴族の――それも女性の口から簡単に出てくる言葉とは思っていなかったから」
「……そういうところは確かに変わっているかもしれないな。
別に吝嗇の性質があるようには見えないが」
地方だ中央だに限らず、貴族のお嬢様が自分の領地経営の心配をすることも珍しい話だと思う。
それが一段階上租税の話になってくれば猶更だ。
レンドールの一人娘なら、いくらでも望む物を手に入れることが出来るだろうし。資金の出所など考えるようなタイプには見えない。
商人の娘ではあるまいし。
ケチではないが、金銭感覚は意外としっかりしているということだろうか。
本当に彼女の気質が良く分からない。
入学前に聞いていた様々な評判は一体何だったんだ。
「次はどうすれば喜んでもらえるのだろうか」
そう言いながらも、彼は自身の婚約者に対する謙虚な姿勢や考え方、価値観などそれとなくラルフに語って来る。
そこはかとなく、自慢げに感じるのは気のせいか?
これは……と、ラルフも悟り瞑目した。
さては、相談という形をとった惚気話だな?
「……アーサー、それは本人に聞いてくれ。
私は君の婚約者の好き嫌いなど一切興味がない」
一片の誤解を与える余地もなくラルフが真顔でそう言い切った。
それは「遅れて申し訳ない!」とドタバタと足音を響かせて講師が講義室に飛び込んできたのは全く同じタイミングのことだ。
この気まずい時間を何とかやり過ごすことに成功したらしい。
ラルフは素知らぬ仕草で、正面を向いて講義に臨む。
だが未だに動悸が激しく背中に汗も流れている。
この十年以上も彼と友人をやっているが、ここまで彼が恋愛気質な人間だとは全く知りもしなかったし知りたくなかった。
願わくば――
友人が変わってしまった原因に、自分が関わっていませんように。
講義中、真剣に女神様に祈りを捧げるラルフだった。