15話目part10

 大体というか、ほとんど全ての悲劇は、自分が他人ではなく、他人が自分ではないことに端を発しています
 気持ちと認識は必ずすれ違い、二人の人間がいれば勘違いまでも生じますから、自らに都合良く物事を解釈してしまったり、誰かを実際よりも邪悪な人間と信じることで排斥を始める、などということが繰り返し随所で起きてきたわけです
 自分ではない誰かを理解したい
 その源は純粋な思いだったのでしょうけれどね。。。
 

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