「ゲームなら“わからん”と言いながら進められるのに、小説は懇切丁寧に整理整頓されてないといけないっていうのは固定観念じゃないのか?」
「思いつきで遊んだら駄目なのかな……」
「書きたかっただけものを人に見せたら駄目なのかな」と、ついつい考えてしまいます。
その許容の差異が当たり前なことは勿論承知の上で、ゲームは視覚聴覚は勿論、台詞を聞いてアイテムを集めて、歩く速さに至るまで、すべてのディテールを体験できます。
小説という一つの世界を文章で作り上げる以上、説明が整理整頓されている方が、その世界観の構成を違えることなく提供できるコース料理の作法であることも理解しています。
だけど「序盤つまらん」「説明長い」ってマンガですら言うのに、なんで小説には徹底的な寄り添いを強いるのさ!?変だよ!!
ということは、整理整頓されたコース料理でないと書き物を出したらいけないのかな……怖いな……
でも、世界観も全部「最序盤で」説明することが前提で、ゲームの取扱説明書スタイルのようであるべしというのは固定観念じゃないの……?
キャラクターの心理まで全部説明しないといけないのは思い込みじゃないの?だから全部説明しないと不親切って言われるんじゃないの? と思ってしまいました。
正しくないと書いちゃ駄目なのか?!
私だめなことしてる?!と混乱し続けていました。
技術面で足りていないどころかその知識もない、初心者マークを顔面に貼り付けた私が「ディディーコングレーシングではこの要素あった!」と言って、マリオカートで逆走しているような大やらかしであり、指摘の山でお叱りを受けるしかない頓珍漢のハリボテであることも自覚しています。
私はプロットすら書いていませんし、映画やアニメのようにワンカットの映像がぽんと思い浮かぶのをそのまま文章にアウトプットしているだけで、それすらも繊密にできているわけではありません。
「ああしたい、こうしたい」だけが先行しているのが丸出しでお恥ずかしいのですが、自分のための創作として好き放題やっております。
話を考えるのも苦手で、短い文章しか書けなくて、何故かいつも台詞が少なくなってしまう自分の文章でも、全体の形を変えればいいのでは。物語が作れなくても、これなら一つの形にできるのではと考えて試した次第です。
結局この作品にも、オムニバス同士を繋いだ大きな物語はつくれませんでした。
「小説を書いているんじゃなくて、短い映像作品やゲームを作ろうとしているのに近いんだな」と思って頂ければ幸いです。
でも、たとえ高グラフィックのCGがで動いてなくたってフレーバーテキストを楽しめる人達や、ノベルゲームが好きな人達は沢山いるのに、小説だけ、作り方に遊びが許されないように見えるのはどうしてだろうと不思議に思うんです。
むしろ顔面に初心者マークを貼り付けた自分だから、知らないままの自分だからそう感じたということなのでしょう。
お気を悪くされた方がおられましたら本当にごめんなさい。私が勝手に自由にやっているだけで、小説の書き方そのものや、小説というコース料理の構築などを否定したいわけではないんです。
私が思ったことを自分でやってみたかったという我儘の形がこの作り方なだけです。
攻撃の意図も、批判の意図もありません。
一番怖いホラー媒体は小説だと思っています。
それができるってことは、ゲームにできることも小説にもできるのではと考えたかったんです。
勿論そんな難しいことを私がやって成功すると判断したわけではありませんが。
映像や音やキャラクターの疑似操作でとことん記憶に介入してしまうゲームには絶対にできない
「周回したことでしか脳内に現れない映像」が
つくれるのは小説じゃないのかと思ったんです。
私が、はじめて人前に公開する文章としての創作がこの作品です。自分にとっては大切なもので、どうしても自分の脳味噌から直接的に引き摺り下ろすことで表現することを最優先したいと決めていました。
オムニバスといいながらも連作の短編になり、
しかもオムニバス同士を繋ぐストーリーもなく、
思いつきを思いつきで繋げたばかりの代物ですが、
私は自分の創作を自分で組み立てられることに非常に面白さを感じました。
読者の方に寄り添う体験としての提示ができないことは、力量不足故であり、まだこのような方法を取るべきではなかったということの証明のようになってしまったかも知れませんが、私は自分の創作として、自分のための創作として、やって良かったです。
立ち読みで寄って下さった方、たくさんのエピソードを読み進めて下さった方、拙作にお付き合い頂き本当にありがとうございます。