小さい頃はお人形遊びが好きな女の子でした。
母は(私の4つ下の)弟の育児に手一杯で、父は仕事で帰るのが遅く、一人で部屋で遊ぶことが多かったです。
確か架空の物語を作りながらお人形をトコトコ歩かせたりしていました。寂しくはなかったです。
母曰く、幼稚園児の私に「送迎バスでなにしてるの?」と聞いたところ、「家でお人形たちがなにしてるか考えてた」と言ったそうです。
そんな私が小説を書き始めたきっかけは、自分の一言の比喩でした。
カウンセリングを受けていた時期があり、カウンセラーに「クレヨンで描いた感触はどんな感じでしたか?」と聞かれた際、私は「解凍してないバターを擦った感じです」と言いました。それが自分の中でなんとなく印象に残り、本好きの彼氏にその話をしたところ、小説を書くのに向いてるんじゃないか、という話になったのです。
最初は私小説を書いていました。
処女作といくつかの作品は退学する前に家のコピー機で印刷して担任の先生に渡しました。
処女作の内容は自分の自殺未遂の話でした。
あの時、(双極性障害で)躁状態だったから、なのか、半年ぶりに学校に行けて嬉しかったからなのかは自分でも定かではありませんが、なんとなく、学校に爪痕を残したかったのです。
ですが、その『後』に私が家庭の相談をしたのが話のきっかけでした。
そもそも小説の内容が自死に関するものだったので仕方ないですが、拍車をかけるようにそれが重く受け止められてしまいました。
「今教頭先生に家庭の話をして、スクールソーシャルワーカーの方に連絡を入れました。小説はまだ読んでいません。」
と言われたのを今でも覚えています。
後日学校に行き、「あれはあくまで創作物です」的な内容のつらつらした文章を印刷して提出しました。
職員室でこんな話をしました。
「あれは半分ほんとで半分うそなんですよ、はは」
「だろうな!だって経験した人にしか書けない…」
ですが、希死念慮に関することを大人に話して否定されなかったこと、受け止めてくれたのは初めてでした。
その後はいろいろあって、現在は、家庭のことと鬱が重なって辛い時には直接電話をかけて相談に乗ってもらってお世話になっています。全日制の高校生活は人間関係と家庭のことなどで辛かったですが良い先生に出会えて良かったです。
最近は実際にあった話、実際に居た人物をベースにしながら、架空の話を書いています。
あの人はこういう性質(性格)があるからきっとこの場面ではこう言うだろう、そんなことを考えながらです。
鬱が落ち着いてきたので自死に関する内容の文章は自然と書かなくなりました。まだその文章は残っています。今度、修整しながら一部出してみようかとも思っています。