※これは、ホラー映画『ミッシングチャイルドビデオテープ』と同じ世界線を描いたものです。
「なぁ、今度ここ行かないか?」
透がひび割れたスマホの画面を向けて言った。
日曜のお昼。透は私のアパートでくつろぎ、私は二日後の会議に向けたプレゼン資料を作成するため、機械のようにパソコンのキーボードを叩いていた。
それに比べて透は、人の家のお菓子を勝手に引き出しから取り出し、コンビニで買ったエナジードリンクを飲みながらずっとスマホを眺めている。
しばらくして透が投げかけてきた言葉に、私は一旦手を止めて画面を見つめた。
「なにこれ? 山?」
窓から差し込む太陽の光が反射してよく見えなかったが、そこには一枚の山の画像が写っていた。
「合馬山(おうまさん)って言うんだけどさ」
透はスマホを自分の方へ戻すと、画面から目を離さないまま言葉を続ける。
「ここ、ちょっと変な噂があってさ。普通の山なんだけど、オカルト界隈じゃ少し有名なんだ。なんでも、あるはずのない廃墟があるらしくて」
「なにそれ。私、怖いのは苦手だって言ったよね?」
「あー、そうだっけ。でもちょっと行ってみたいんだよね。お願い」
透は私の拒絶を、まるでどうでもいいと言わんばかりの生返事で流した。
少し腹が立ちそうになったが、久々に透と過ごせる時間だったこともあり、多少のわがままには付き合ってあげようと了承することにした。
当日、私は昔使っていた登山服とリュックを引っ張り出し、透の車に揺られて数時間かけてその山へと向かった。
透も手慣れた様子で登山服を着こなしており、山に登るなんて意外だなと少し驚いた。
山の入口に入り、透が前、私が後ろという陣形でのぼり始める。整備された山道は歩きやすく、最初はそれほど険しくもなかった。
しかし、次第に木々が生い茂って周りが薄暗くなり始めると、私の心にも薄暗い鬱屈が広がっていった。
薄っすらと霧が立ち込めはじめた頃、山道の外れに無数の白い影が見えた。
気になって目を細めようとしたが、透が足を止めずに先へ進んでしまうため、私は確かめるのを諦めた。
「なんだろう、あれ。壺みたいだったな」
ぼそりと呟く。
さらに歩き続け、空が夕暮れ色に染まり始めた頃、私は前の背中に問いかけた。
「ねぇ、どこまで行くの?」
「もうすぐだと思う」
返ってきた透の声は、いつものそれとは違う、ずっしりと重い響きを含んでいた。
それからまた数分歩き、空気が薄くなって息が上がり始めた頃、透が突然足を止めた。制動が利かず、私の体が彼の背中に軽くぶつかる。
「あった……」
透がまた、あの重い声で呟いた。
彼の肩越しに前方の視界を開くと、そこに「それ」はあった。
医療施設か何かを思わせる建物。本来は灰色のはずの廃墟が、内側から黒く濁っているように見えた。
「中に入ってみよう」
そう言う透の額には、緊張からか湿った汗が浮き出ていた。
「ほんとに入るの……?」
「せっかくここまで来たんだ。入らなきゃ意味がない」
透は真っ直ぐに廃墟を見つめたまま、迷いなく歩き出した。私も彼の後に続く。まるで巨大な怪物の胎内に飲み込まれていくような圧迫感と緊張感が身体を締め付けた。
廃墟の中は埃っぽく、壁のあちこちにひび割れが走っていたが、一般的な廃墟にあるような落書きやゴミはほとんど落ちていなかった。
肌を刺すような冷気が漂い始め、耐えかねた私は透に問いかけた。
「ねぇ……本当は、なんのために私をここに連れてきたの?」
口にしてはいけない言葉だと思った。けれど、訊かずにはいられなかった。
彼はその場でピタリと足を止めた。
「俺さ、嘘ついてたんだけど……ここに来たの、初めてじゃないんだ。昔、父親と来た」
私は立ち止まった透の後ろ姿をただ見つめている。
「俺が元々児童施設で育ったのは知ってるよね?でもその前の話はしたこと無かったよね?
まぁ俺がしないでくれみたいな雰囲気出してたからか君も聞かなかったけどさ、
母親、俺が小さい頃に出ていってさ。それから父親と二人暮らしだったんだけど……その生活が本当に地獄でさ。毎日ぶたれるし、飯もくれない。毎回殺してやろうと思ってた。でも出来なかった。そいつがいなきゃ生きていけないってのもあったから」
不意に、周囲の暗がりから無数の視線を感じ始めた。
「そんなある日さ、父親が俺を車に乗せてこの山に連れてきたんだよ。俺を捨てるために」
ひそひそと、周りから人の声のようなものが聞こえ始める。
「もう無理だと思ったんだろうな。山で俺を殺して埋める算段だったらしい。そこでこの廃墟を見つけて、二人で中に入った。……そして父親はいなくなった」
透の言葉が重く落ちる。
「……連れて行かれた、って言った方が正しいのかな」
分かってしまった。彼がこれから何を言おうとしているのか。
「ここはね、色んな『もの』が捨てられる場所なんだ。だから俺はここに……」
やめて。それ以上、言わないで。
「捨てに来たんだよ。君を」
——そうだ。透と私は不倫関係だった。
透には妻がいた。そして私は、彼に奥さんと別れてほしい一心で、「子供ができた」と嘘をついたのだ。
変わってしまったのはそこからだった。
透は目を合わせてくれなくなり、私が嫌がるような態度をとるようになった。
別れたかったのだろう。
それでも、私はそんな透が好きだったのに。
「ごめんな、やっぱ俺、君と一緒にはなれない、
家族は捨てられないもん、、、」
老若男女、様々な無数の声が耳元で鳴り響く。
体が動かない。ここはあまりにも冷たく、暗い。
不意に手を強く掴まれ、力任せに暗闇の奥へと引っ張られた。
すがるように顔を上げると、透と目が合った。
久しぶりに見た彼の瞳は、ただただ冷え切った、濃い黒色をしていた。
〈終〉