世の中には、理屈では説明できない「心の特効薬」というものが存在する。
私にとってそれは、薬箱の中ではなく、リビングの陽だまりの中に転がっている。
家事の合間や、創作の手が止まってしまったとき。
あるいは、日常の些細な出来事で心がささくれ立ち、どうしようもなくイライラが募ったとき。
私は吸い寄せられるように、窓際で丸くなっている「彼ら」のもとへ向かう。
今日のターゲットは、一番大きなあくびをして、春の柔らかな光をその毛並みにたっぷり蓄えているマロンだ。
そっと近づき、無防備に放り出されたマロンの背中やお腹に、深く顔をうずめる。
いわゆる「猫吸い」という儀式の始まりだ。
鼻先から伝わるのは、干したての布団のような、どこか懐かしくて香ばしいお日様の匂い。
深く息を吸い込むたびに、肺の隅々までその清らかな温もりが満たされていく。
人間より少し高い、三十九度近いその体温が、私の強張った心を雪解けのようにじわじわと溶かしていくのがわかる。
「ゴロゴロ、ゴロゴロ……」
喉の奥から響くその微細な振動は、どんなセラピー音楽よりもダイレクトに脳の疲れを解きほぐしてくれる。猫の体に触れ、その匂いを嗅いでいるだけで、脳内に「幸せホルモン」が溢れ出し、さっきまでの棘(とげ)だらけの感情が嘘のように消えていく。
ふと顔を上げると、窓の外には那須の春の景色が広がっている。
冬の厳しい風に耐え抜いたオールドローズの枝先には、小さな、けれど力強い生命の芽吹き。
猫を吸い、その命の温もりに触れる。
ただそれだけのことが、私にとっては明日を生きるための、何よりのエネルギー源なのだ。
「さて、マロン。もう一仕事しましょうか」
満足げに伸びをするマロンの頭をひと撫でして、私は再びパソコンに向う。
私の書く世界に、きっとこの「お日様の匂い」が、ほんの少しだけ混じっているかもしれない。
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