庵野秀明さんが凄すぎる。
凄すぎて感動して、二回連続で見てしまった。
何が凄いと感じたのか。
あまりエヴァンゲリオンについて語りたくはない。
エヴァ好きな人が、あまりにも深く作品を愛しすぎていて、浅いところで好きなぼくなんかが語ってはいけない作品なのだ。
だからエヴァについては語らない。
だけど庵野秀明、って変なおっさんだよね、っていう井戸端会議はしたい。
させていただきたい。
めっちゃくちゃ偏食で、お肉とお魚は食べないから体臭は臭くないらしい。
いや、どうでもいい事を語ってしまった。
どうでもいいところは置いておいて、すごいと感じたところ。
でも偏食っていうのも伏線である。庵野秀明という男を語る時に偏食、っていうのはキャラクターを示しているような気がする。
映像の角度を探すシーンが、このドキュメンタリーの中で再三繰り返されている。
しまいにはドキュメンタリーのカメラ撮影にも口を出す。
「ジオラマごしに撮って」
「ぼくばっかり撮ってても仕方ないだから、周りの人が困っている姿を撮って」
ぼくは知らなかったけど映画監督というのは角度を探す仕事らしい。
そういえば主人公が間近の映像と、遠巻きから撮っている映像では印象が違う。
間近の映像は喜怒哀楽がわかるけど、どこで何をしているのかはわからない。
遠巻きの映像はどこで何をしているのかはわかるけど、喜怒哀楽がわかりにくい。
そんなレベルではなく、監督様は角度を探している。
映画を見ていて、映像が小さく揺れているシーンがあったりする。
固定カメラじゃなく、手で撮影されているシーン。
『シンゴジラ』であったと思う。
携帯電話で撮影されたシーンで、あえて映像が小さく揺れていることによって、戸惑いとか提示していたり、不安を提示していたり、というのを聞いたことがある。
モキュメンタリー映像とかって、追っている主人公が焦っていたり逃げていたりしたら、映像が揺れている。(庵野作品にはモキュメンタリーはないけれど)
そんな心理がアングルに示されている。
すごく角度を探している。
そして庵野秀明は松本人志の対談で、監督とは諦めることである、と語っている。
さよなら全てのエヴァンゲリオンの中で、ジブリの鈴木さんが出て来て、「庵野は作家である」と語っている。
彼は監督という職業でありながら、諦めることを止めた作家なのである。
諦める監督、諦めない作家。
彼は作家だった。
そして彼は大人になれない子供だった。
それが食事にも出ている。
だからドキュメンタリーの映像で庵野さんの食事のシーンが多い。
お菓子ばっかり食べているのだ。
スタッフが軽食を持って来たら、自分で買って来るから気を使うな、と言って、次のシーンにはポテチを食べている。
ジブリが示したお食事三原則というものがある。
食事シーンを描くことによって、キャラクターを示すものである。
①豪快に食べる。←性格は良く、主人公。
②汚く食べる。食べ物を粗末にする。←悪役。食べ物を粗末にすることによって、対人関係にも雑に扱うことを示す。
③食べない。←謎の人。
たしか、お食事三原則、ってこんなんだったと思う。
庵野さんは確実に③。
食べても偏食で、お菓子ばっかり食べる。人が食べているお肉とお魚を食べない。
このお菓子を食べる、っていうのが少年であることを提示しているように思う。
庵野秀明さんは好き嫌いが多い。それは食事でも示されている。
好き嫌いが多いからは、自分が嫌いなものを作品に入れたくないと言う。
面白くない、と思うものは一ミリも許さない。
死んでもいいから作品のために生きる。
作品を完成させて、お客さんに届けることができるんだったら死んでもいい、と語っている。
作品絶対主義である。
そしてロボットに惹かれた理由について、庵野さんは、こう語っている。
父親が片足がなかった。
だから欠損しているものに魅力を感じる。
ロボットは欠損させることができる。
だからロボットが好きなのだ。
エヴァンゲリオンには庵野さんの人生が含まれている。
ぼくはエヴァの事は語れないけど、エヴァは全部見ている。
そしてシンジが庵野さんなんだ、とドキュメンタリーを見ていて、思った。
っというか、ジブリの鈴木さんが言っていた。
彼はずっと中学生のように悩み苦しんで作品を作っている。
あと、あのシーンもすごく好きで、ジオラマを作っているシーンで、これがリアルであるかどうか? って語っているシーンがあるんだ。
ジオラマの仮設住宅の上に、仮設住宅を乗せていて、「嘘っぽい」って語っているんだ。
重機が入れるかどうか? って考えて建物を配置しているんだ。
電柱の位置が本当にここで合っているのか? って確認しているんだ。
小さいディーティールまで目を光らせている。
あと、庵野さんが映像を見て「アングルが逆転している」と語っているシーンがあって、たぶんエバンゲリオン:Iの最初のシーンなんだと思うけど、あのシーンを初めに見た時、この数分のシーンを見れただけで、エヴァンは十分に満足できた、と思った。
すごいにゅるにゅるなアングルに仕上がっていて、おしっこ漏らしそうだった。
あと、編集室にいるときに距離を示すためにトンネルを重ねる、って決めるシーンが好き。
別々のトンネルの繋がりだけで、距離を示すのだ。
たしかに遠くまで来たみたいな感じがした。
その画像を見たとき、すげぇーーって感動したよ。
こんな風に考えるんだ、って感心した。
あとね、あとね、(お前、おっさんに興奮しすぎ)
人の事を絶対に悪く言わないんだ。
全部、映像がボツになる時も、「色々やらなくちゃな、って思いました」と言うのだ。アイツがどうこう、なんて言わない。
誰かが言ったんだ。「腕を掴んで振り回すっていうのはどうですかね? 雑かな」苦笑い。すると庵野さんは「雑でいいんじゃない」と言うんだ。
あっ、ちょっとわかりにくいですね。
「そんなんじゃダメ」って言わないんだ。
一旦作って見て、「これじゃない、っていうのはわかった」って言うんだ。
だから死屍累々を作り出し、最後に叩き上げらえれた映像だけが残る。
松本人志さんとの対談で、監督は諦めること、と言った庵野さん。
その次のシーンで、文字が出る。一瞬だけだったから、読みにくい。
「あとみんなを認めること」と書いていたような気がする。
それに、それに、「わからない」ってめっちゃくちゃ言う。
この立場の人で、「わからない」ってなかなか言えないんじゃないかな。
どうですか? わからない。
それじゃあどうしたらいいんですか? わからない。
今は何もわからない。
わかってないから、わからない、と答える。
わからないことでも、答えを出そうとして、間違った答えを出して、めちゃくちゃになっているのをよくみる。
そうなるぐらいなら、わからない時はわからない、って答えれる大人になりたい。
カッコよかったな。
すごくカッコよかった。
エヴァ好きな人、浅い浅いところで好きなぼくが庵野さんの事を語ってしまってごめんなさい。
庵野秀明さんが大好きです。