先日、本作のタイトルでエゴサーチをしていたところ、作曲家・ピアニストの横山智明さんによるnote記事「ビートルズのいない世界と、《第九》のない音楽史。」(2025年6月30日)を見つけました。
[リンク: https://note.com/wakudoki_music/n/n13626a53c3bd]
映画『イエスタデイ』(ビートルズが世界から消えた音楽ファンタジー)に触れつつ、「もしベートーヴェンの《第九》が存在しなかったら」という発想から、ブラームスが交響曲第1番の完成に20年以上苦しんだ逸話や、ドヴォルザーク、ブルックナー、マーラーら後世の作曲家たちが《第九》という「巨大すぎる山」の影響下で「交響曲を書く」こと自体に苦悩してきた音楽史を振り返る、という内容の記事です。
本作『ベートーヴェンのいない世界で』は逆に「ベートーヴェンがいなかったら」という設定から出発していますが、根っこにある問い——《第九》がいかに巨大な存在として音楽史を規定してきたか——は、この記事と重なる部分があり、思わず読み込んでしまいました。同じ「もしも」でも視点の違う切り口として、ご興味あればぜひ。
本作の主人公・アキラも、いつか《第九》を演奏するその日まで、長い道のりを歩んでいきます。どうか最後まで見守っていただけたら嬉しいです。