こんばんは、中樫です。
コピー演技(7話のアレ)って作者の描写の技術の無さ的になんなのかよくわからない方もいらっしゃると思うのです。いませんかね? とりあえず解説します。長いと思うので、読まなくても大丈夫です。教科書のつまらないコラム程度に留めておいてください。飛ばして「ではなぜ〜」の段落から読んでもOKです。
まず始めに断っておくと、僕は演技法とかメソッドとかはほとんど知りません。というより、自分の周りに演技法の本を買ったり、調べたりする人はいませんでした。だったら高校演劇に線引きすればいけるだろ! というノリで書いてます。なんなら演劇パートは心理描写のバトルだと思っていただけると。
話をコピー演技に戻します。当然、上手い役者のコピーをする事がこの方法の根幹なのですが、普通の指導者であればこれは薦めません。他人の努力の上澄みを使っていては、演者は成長しないからです。自分で悩みながら役作りをして、苦しみながら試行錯誤してたどり着いた演技にこそ、魂とか情熱は宿ります。この世界に脚を踏み入れて大した年月は経ってませんが、それだけはわかります。
デメリットばかりのコピー演技ですが、メリットもあります。それは素人でも割とそれなりの演技ができることです。だとすれば、模倣から入ることはスタートとしては悪くないのかな、とも思います。特に楠は入部経緯が特殊ですし。
皆さんももしかしたらやった事があるかもしれませんが、漫画とかアニメのセリフを家で一人の時に練習したり読んでみたりしたことあるのではないでしょうか?一番イメージしやすいのはそれだと思います。
そこで言った(コピーした)セリフの言い方や演技を後々練習のときに持ってくる。これもコピー演技になります。練習方法ですね。作中でも触れました。
ではなぜ足利が薦めたのかという話になると思うのですが、当然理由があります。詳しくは伏線になるのですが、簡単に言うと『勝つため』です。
教師や顧問の立場なら、精神的な成長を促す為に勝ちよりも大事なことがあると考えますが、足利は違います。
ここの所が明かされるときが、actのターニングポイントな気がしてます。そこまで書ききりたいです。
長文失礼しました。