午後は、食事を終えた後でみなとみらいエリアから小一時間電車に乗って、八景島シーパラダイスへと足を踏み入れた。
どの施設も休日のため大混雑しており、しばらく並んだ後で、ふたりはアクアミュージアムへ入場する。
館内は、薄暗い照明の中青々とした水槽の光が人々の顔を幻想的に照らし出していた。
「わぁ……綺麗」
巨大なガラス越しに水槽を覗き込みながら、晴恵が感嘆の声を漏らす。
眼の前を悠々と泳ぐマンタや、銀色の魚群がキラキラと輝いていた。
その水槽の光を浴びた晴恵の横顔を、美那子は隣でじっと見つめてしまう。
美那子によって施されたメイクが、青い光の中で晴恵の伏し目がちな瞳をどこか色っぽく見せていたからだ。
(晴恵って、こんなに綺麗な顔をしてたんだ……)
美那子は今更ながらに思い知らされた。
高校時代からずっとそばにいたのに、自分が晴恵の可憐さに気づいていなかっただけなのだと。
そして同時に、得体の知れない黒い感情が胸の奥で鎌をもたげる。
もし、この「偽装同棲」が終わったら。
晴恵は、他の誰かとこんな風に水族館に来るのだろうか。
他の誰かのために、こんなに綺麗におめかしをして、他の誰かに向かってこんなふうに微笑むのだろうか。
「……嫌だ」
「え? 美那子、何か言った?」
思わず口からこぼれ出た言葉に晴恵が振り返る。美那子は慌てて首を振った。
「う、ううん! なんでもない! それより、あっちにクラゲの展示があるみたいだから行こう!」
ごまかすように晴恵の手を引き、くらげりうむエリアへと進む。
そこはさらに照明が落とされ、周囲を取り囲むような水槽の中で、ライトアップされたクラゲたちが、ゆらゆらと妖精のように漂っていた。
狭い通路は人でごった返しており、向こうから歩いてきた集団に押されるようにして、晴恵の体がよろけた。
「あっ……」
「危ない!」
美那子は咄嗟に晴恵の腰に強く腕を回し、自分の体へと引き寄せた。
ドンッ、と二人の体が密着する。
晴恵の柔らかな胸が美那子に押し付けられ、お互いの心臓の音が直接伝わってくるほどの至近距離。
薄暗い中で、美那子の吐息が晴恵の頬をかすめた。
「大丈夫? 晴恵」
「……っ、うん。ごめん、ありがとう」
晴恵は美那子の腕の中から抜け出そうとしたが、美那子はその腰を抱いた腕を緩めようとはしない。
むしろ、逃がさないとばかりにさらに強く引き寄せる。
「み、美那子……? もう、大丈夫だから」
「だめ。またはぐれたら困るでしょ。このまま、こうしていよう」
美那子の声は、いつもより一段低く、どこか熱を帯びていた。
その強引さに、晴恵の中で限界を告げる警報が鳴り響いた。
これ以上は駄目だ。
こんなに優しくされて、こんなに触れられてしまったら、もう二度と元には戻れない。半年後に「お疲れ様」と笑って別れることなんて、絶対にできなくなってしまう。
「……美那子、もういいよ」
晴恵は、震える手で美那子の腕をそっと、しかしはっきりと振りほどいた。
「写真、もう十分撮れたよね。親御さんを納得させるだけの証拠なら、さっきのカフェの写真で事足りるはずだよ。だから……そんなに無理して、恋人っぽくしなくても、大丈夫だから」
強がって見せた晴恵の顔は、泣き出しそうに歪んでいた。
自分を突き放すようなその言葉に、美那子は目を見開いた。
「無理して、って……晴恵は、私が無理して晴恵に触れてるって思ってるの?」
「だって、そうでしょ? これは偽装なんだから。美那子には迷惑かけてるし……」
「違うわよ!」
美那子の大きな声が、周囲の水を打ったような静寂に響きかけた(慌てて美那子は声を潜めた)。
「無理なんかしてない。私は……私が、晴恵とこうしていたいから、してるの!」
「え……?」
思いがけない美那子の言葉に、晴恵は息を呑んだ。
美那子自身も、口に出してから自分の本当の気持ちに気づいて愕然としていた。
アリバイ作りなんて、とっくの昔にどうでもよくなっていたのだ。
ただ、晴恵に触れたくて、晴恵の笑顔が見たくて、この「デート」という口実を利用していただけだったのだと。
気まずい沈黙が、二人の間に降り降りた。
ゆらゆらと漂うクラゲの光だけが、ふたりの複雑な表情を無言で照らし続けていた──
おまけ小説・おわり
→本編第05話 「今夜ちょっとさ」へつづく
本編第07話は、今日の18:00に更新予定です(ↀ⩊ↀ)