秋犬さんの企画【絶望のショートショート season2】に参加した、
短編「贈り物」
https://kakuyomu.jp/works/2912051598296310418/episodes/2912051598296345449
に講評を頂きました。
コチラ↓
【感想】絶望のショートショート season2【もうやめて】
https://note.com/anony_mous3/n/nf3f6b4759e5f?sub_rt=share_pw
頂いた講評を読んで、思ったことを書きます。
まずは、秋犬さん。大変面白い企画をありがとうございました!
長文でがっつり講評を頂く企画は、これが初めての参加です。
私の小説初投稿は今年の4月20日からなので、気づいたら、私が投稿を始めてから丁度1か月くらい経ちました。
この「贈り物」という作品は4月24日投稿となっています。
今読み直してみると、視点がよくわからないし、後半急にマイクを持った解説者が登場したみたいな説明強度になっていて、うーん、という感じですが……。
秋犬さんの講評にある通り、ざっくり言うと「いいことをしたつもりだったのにダメだった」というお話です。
私は割と他の作品でも「善意が悪い結果に繋がる」という流れはちょこちょこ描いています。多分、現実にそういう構造の経験を何度もしていて、それをいろいろなキャラクターに経験させることで「そういうことあるよね」という気持ちになりたいのかな、と自己分析。
ともかく。
秋犬さんに言及頂いた、
「母親なら娘をひとりにするとなると何かしらの手を打つ」という点。
言われて思い出したのですが、確か最初は「母親の遺書が足元にあって、中を見ると見つけてくれた人への感謝と、娘をお願いします的なことが書かれている」という内容を書こうとしていた気がします。
ただ、よく考えたら腐乱死体を前にして冷静に遺書を読むシチュエーションがちょっと可笑しいと思えてきて、その要素はごっそりカットしました。
これを書いていた時は純文学的な「説明しない」書き方をあまり考えておらず、むしろ「説明できない要素は設定から削る」という思想で書いていたような気がします。なので遺書があるのに中身を説明しないのはあり得ない、と。
でも今考えてみると、遺書が置いてある描写とかはあった方が良かったかなと思いました。
で、遺書が置いてある場所は足元じゃなくて、牛乳受けの箱の内壁に張り付いていて、実は最初に贈り物をした日からずっとあった、とか。
母親は自分が死んでからそれほど経たずに恋人が家を訪ねてくると思っていて、だから鍵は開けていたし、遺書を入れた牛乳受けも開けていた。子供も恋人が見つけてくれるはずだから、大人しく家に居させるために、「なんでもないことの様に」首を吊った、とか。
もっと丁寧に、ゾッとするような描写ができたなぁと思いました。
でも、「絶望」のテーマに対して根本的に描きたかったのは、
「善意が悪い結果に繋がることがある」という部分と、
「簡単にできたはずの行動を、しなかったことで悪い結果になった」という後悔。
このリアルな構造でした。
講評の文面から、この「描きたかった構造」自体は秋犬さんにも伝わっていたと思っています。
後はそこに「ゾッとするほどのクオリティ」を載せるだけ。その課題はまだまだ解決しそうもないですが、少しずつ前進しております。
やる気が出ました。ありがとうございました!