知らない曲が、夜のどこかから流れてきた。
隣の部屋か、向かいの建物か、
それとも窓の隙間から入り込んできた風の悪戯なのか、
出どころは分からないまま、
思わず少し耳を澄ませた、
いつもなら選ばないもの今日は何故か気になる。
カーテンの向こうには、午前零時を過ぎた住宅街。
ああ、無人島で三十日ぐらい漂流していたら、
いまあることの半分ぐらいは、
きっちりと結論を出せるだろうかって問う、
いやどうだろう、
そもそもまずそんなに会社の休みはないし。
有給休暇をまとめて取るには、申請の理由が必要だ。
理由欄に「自分の人生について考えたいので、
無人島に三十日間漂流してきます」と書けば、
上司は困った顔をして、総務は困った顔をして、
たぶん産業医か人事面談の案内が届く。
漂流は休暇ではなく、
事故として扱われる可能性がありよりのあり。
たまにトイレや、洗濯物を干しているときに、
わけもなく恥ずかしいんだ、生きていることが。
忍耐フェーズ、
本音と建て前の迷路を通り抜けておいで。
あの人に言うべきだったこと、
言わないままにしたこと。
本当に欲しかったもの。
欲しいと思い込んでいただけのもの。
仕事を辞めるべきかどうか。
誰かを好きになることを、
もう少し自分に許していいのかどうかも。
行ったことのない店で見たことのないものを頼む。
思ってた味と違うけどそれもそれで悪くない。
コンビニでポテチを買いコーラを買う、
人間としてどうなんだろうって思いながら、
深夜のベランダで洗濯ばさみのように僕の思考を留めていた、
怠惰を貪るインマイヘッド。
まだ知らないものがある。
まだ見たことのないものがある。
これから何を知って何を好きになるだろう?
そう思うだけで、これからも悪くない。
ねえ、これから始まる新しいストーリー、
眼をぶっ開いて見つめなよ。
あ、う〇こ踏んだ。
僕の耳元で重なる憂鬱に、
過去に失敗した言葉の選び方や、
相手を傷つけるつもりはなかったのに、
結果として傷つけてしまった言い回し。
理想論だけを並べ、
現実に手を汚すことから逃げていた時間。
甘さに襲われた夜がある、
苦さに救われた朝もある、
で、結局あれは何だったんだろうって思い返す、
つれづれなるままの今日がある。
バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主がいて、
飼い主がちょっと可愛いので何か見えますかって聞いたら、
空が綺麗でって言われた。
ヘップバーンみたいな笑窪がいい。
犬は、毛の長い大型犬でさ、
首輪には小さな金属のプレートがついていて、
車の振動に合わせて、かすかな音を立てていた。
犬も空を見上げ、耳を少し動かし、
飼い主の真似して何かを見つけようとしていて、
可愛いんだ。
そうですねって言いながら、
心の中のチャック・ベリーがギターを弾き始めたんだ、
明日もここへ来ようと思う。
犬にはズボンや服を舐められるけど、
もふもふは正義だ。
なんだこの弛んだ顎の肉は最高じゃないか。
連絡先を交換したわけでも、
次に会う約束をしたわけでもない。
ただ、世界の音量が一瞬だけ上がっただけさ。
降りたことのない駅で何となく改札を出てみる。
冒険だ。改札を抜けると、駅前には小さなロータリーがあり、
ベンチの上に雨粒の乾いた跡が残っていた。
タクシー乗り場には車が一台もなく、
時計の下に貼られた自治体のポスターだけが、
風で端を揺らしていた。
でも冒険でしょ?
意味もないようなポエトリーを紡ぐ、
木漏れ陽がまるでドリアンみたい、
ああ、いまならカボチャスープに、
鶏肉を入れて食べられる。
ちょっとワクワクしながら歩いて、
数十分後、
ここには何もないなって笑う。
この川の合流地点はいい。
僕は欄干に手を置いた。
鉄の表面は日差しで温められていて、
亀の甲羅みたいだ。
そうさ、知らない通りを選んで、
気になる方へ歩いてみる。
靴の底が、古いアスファルトの小石を一つずつ踏んでいく。
住宅街の角には、使われていない自動販売機があり、
取り出し口に枯れた葉が詰まっていた。
塀の向こうから、犬の吠え声が二度だけ聞こえた。
誰かの家の換気扇から、炒めた玉ねぎの匂いが流れてきた。
いつからやってるのか分からない、
スーパーマーケットで総菜眺めてみる。
靴の先から、踊る、歌う、
そうやって子供の頃から、
生きて来た、インマイソウル。
薦められていた映画なんとなく見る気になって
思ってたより良かったとなんだか得した気がする。
むしろ、知らなかった誰かの人生を一つ借りて、
返却期限までに返せたような感覚が残った。
顔洗おう、歯を磨こうで、いつもの靴履いて、
回転したディスクの指の皮脂、
凡庸な鏡の中の凡人にポンジュールって言えば、
重たい鞄は何を背負い込んでるんだろう、
いつか宇宙人が部屋に来てくれたら嬉しいと思います、
人類皆兄弟だと語り、
戦争や差別や搾取については、
うまく説明できないふりをするだろうか。
ああ、また残業だ。
昔なら選ばなかった色を着ててみたり、
似合わないと思ってたこと、意外と悪くなかったり。
ぐるぐる回る惑星の上で溺れるように進んできたからか、
苦手だったものだって久しぶりなら変わっていた。
塾が嫌いだった。
学校が嫌いだった。
人も嫌いだった。
変わったのは自分なのか気にしなくなったかは分からない。
季節が変わり、髪が伸び、
古い友達の連絡先が消え、
親の声が少しずつ低くなった。
目隠しのなかでパズルを解いているみたいな気がする。
でも際限なく続いた夢を破って、
まもなく世界は転がり始めるさ。
知ってることが増えても、
初めてのことはなくならない。
病的なまでに美学を詠ったって、
胡散臭いことはなくならない。
美しい言葉を並べても、
言葉の裏にある打算や見栄や恐怖は消えない。
むしろ、言葉が綺麗であるほど、
その隙間から漂う胡散臭さが目立つんだよ。
マニフェストみたいにさ、
あのドヤ顔した政治家みたいに。
でも賞味期限の切れたゼリー食べるんだ、
納豆はまあいけるだろうって食べたんだ、
ああ、鉄橋の扉は鎖で閉鎖中だし、
窓から隣の工場の屋根にいた猫と目が合っても、
その距離は、十メートルもなかったけど、
どうしてそんなところにと、
こんな休日の昼に何故か目が合った不思議をどうしよう、
だけど、ごめん、
そこまで行けるわけじゃないし。
化けの皮剥がれたあとの澄ました芸能人は、
そのあともやっぱり嫌いなままだった。
グロいフロウを連ねるルサンチマンは、
多分そのまま信頼を裏切られた結果そのものだ。
立派じゃなくていい。
賢くなくてもいい。
誰かを裏切らない人間になれたらと思いながら、
間違えたときに、間違えていないふりをしないこと。
誰かの弱さを知ったあと、それを利用しないこと。
相手の秘密を、自分の話の面白さのために消費しないこと。
ふと気付く、みんなストレスが溜まっていて、
余裕がないのかも知れない。
行った場所が増えたって、
行きたい場所もまた増えていく。
割れたスマートフォンは黙秘を貫いているし、
ドンキやコーナンで、
変なものを探す癖は抜けないし、帰るときには、
用途の分からない小さな工具や、妙な形の収納用品、
誰が買うのか分からないぬいぐるみ、
季節外れの花火などが袋の中に、
入っているものさジ・エンド。
華やぐシナリオと裏腹なセンチ、
知らないものを見つけたらその時少し触れてみる。
違っていてもそれでいい。
それでもどうせならその中の一つぐらい、
残ればいい。
バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主と、
話し友達になって、
独身らしいぞという情報を聞き出す。
スーパーマーケットでも会った、家が近いらしい。
「また会いましたね」って言われたけど、
場合によっちゃ「ストーカーですか?」もありえたので、
そこは警戒したいお年頃。
外で犬は「なんだお前じゃないか」
みたいに飛び掛かられて大袈裟に転ぶ、
膝をつき、両手を広げ、犬の体重を受け止める。
毛が鼻に入り、くしゃみが出そうになった。
顔舐められた、飼い主は慌てて犬の名前を呼び、
僕は笑いながら「大丈夫です」と言った、
それも一つのビビッドマインド、
なんというかビビッドマインド、
よくは分からないけど子供の頃から、
大型犬に飛び掛かられたいと、
妄想してきましたと話しながら、
さりげなく、
本当にさりげなく、
状況を寄せていく。
まだ知らないものがある。
まだ見たことのないものがある。
これから何を知って何を好きになるだろう?
自分を知るにはまだ少しかかるかな。
気持ちをガソリンみたいに満たせたらいいのに、
給油ランプが点滅してから慌てるのではなく、
いつでもタンクの半分くらいまで満たされていたらいい。
何かに腹を立てる前に、何かを諦める前に、
少しだけ走れる余力があればいい。
ああ今日ふと思った、
明日この街や世界が許されなくなったって、
抱える涙や孤独が混ざりあったとしたって、
鋭利な虚像の正体が、最後まで分からなかったとしても。
まだ楽しいことが残っているって。
来月の自分が今と同じものを好きとは限らない、
シンドロームなんだ、蜃気楼なんだ、
そう思うだけでこれからも悪くない。
もう一生、徒労と踊っていようぜ。
閉め忘れた蛇口をさ確認しなきゃな、
水の溜まったシンクを眺めながら栓を抜く。
知らない曲が流れて思わず少し耳を澄ませた。
また一つ好きなものが増えるかも知れない、
小さな蜘蛛がいるけど、知らないふりしてほっとこう、
開けっ放しにした青い蝶がいるけど、
まあ、そのうち勝手に外へと出て行くだろう。
バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主が、
この家へとやって来る、
部屋の掃除は入念にした、二回もやった、
え、二回も?
でも手は出しちゃ駄目、がっつくのはルール違反、
ああでもそんな余裕、ゆとり、
もうちょっと若い頃に欲しかった。
ガタガタうるさい室外機が最高だね、
冴えない日々をぼやくようだぜ、インマイヘッド。
さあ、スパゲティとシチューを作った、
炭水化物と煮込み料理が同じ食卓に並ぶ。
味の組み合わせとして正しいかどうかは分からない。
けれど、二つとも作りたかった。
もしかしたらスパゲティシチューだって、
合体させたくなるかも知れない、
戦隊シリーズみたいなものだ。
ピザは注文して、棚にはちょっと高い粉コーヒー、
プリンが好きだという情報はありがたい、
ほねっこを用意して、足を拭くタオルも用意して、
いやもうなんだったら、
靴のまま這入ってもらってもってボケも考えつつ、
あの頃と変わらない気持ちで、
心の中には春の花が咲くだろう、
ああもうちょっと、人生が明るくなるといいね、
もうちょっとだけ、嫌なことが少なくなるといいね。
さあ、インターフォンが鳴る。