もし文字を書いた分だけ土地をくれるというのなら、
それはすきなだけ文章を書くことがかなうなら、
文字の空間を拡大できるならそれだけ美しいことは無いだろう。
でも文章に埋め尽くされてしまえば、
文字の空間にひとりぼっちになってしまう。
ささやくのは悪魔か、それとも天使か、
いつだって居場所を与えてはくれる、
その居場所を住みよくしたいとこころでは願うのに、
実際は大量の文字列に流されてしまって辛く、
孤独な戦いが強いられる。
今は天使が通り過ぎることを願おう。
文字を書くというのが近しいことになって、
文字を読むというのが近しいことにもなるが、
両方が出来るなら書くにも読むにも事足りる。
けれど熱心さや、好奇心が好きままに働くなら、
の話である。
両方が無くなってしまっている状態で、
書きつづけ読みつづけるのは酷だ。
そんな時、かすかな望みとなるのは自由である。
自由になれたら何ものにもしばられずに、
書くということは縛りを増やすことにもつながる。
とある事象に括りすぎるために、
自然に発達ができなくなるのだ。
読むということもがんじがらめになることにもつながる。
人が書いた文章を多量に摂取すると、
頭の中で、
その人の描いた世界を構築できるようになるものだが、
想像力にも限度や限界がある。
実際に吸収したことでなければ前へ進むことに、
つながらないようにも思えてくる。
そんな時はすべてを悪竜なのだと思うようにしている。
大量の文章で体が構築された竜が叫んでいる、
ゴォオォ、ゴォオォと運命づけられて、
その運命は苦しそうであり、ひも解いてやらねば、
可哀そうだともおもうが、
竜は竜なりに生きているのであって、
それに同情することを人間は真には出来ない、
鳴くままにしている悪竜に立ち向かうのは、
さながら竜騎士と気取らなければとてもでなければ、
読み解くことかなわない、
ただページを開いて入ってくる文字列のままに、
すればいいんだよ、と与えられても、
どうやっても、人の文を躱してしまう、
そうやって斜め読みしか出来ないので、
熱心にその人がもっているおどろきや、
発せられた感情の全部を受け取れず、
本を読むときは、
いつだって時間を気にして終りを待っている。
ひと固まりの悪竜ならば、それは一目目にした時に、
なんとなく、これをこなして、扱えそうだと、
大喜び出来るのだが、
まだ尾が見えない、未だ顏を出していない、
まだまだ先がある、となった時に、
ここまでで終いだ、手っ取り早い策に出るぞ! と、
早い方を選んでしまう。
没頭できるチカラを与えたまえ、
この悪竜と戦う力を願わくば、とした時、
それぞれの部位が見えてくるような、
文章構造になっているなら、
ストンと読み進めて楽なのだが、
やはり文章の塊を与えられても、
窮屈になっていく一方な心持にもなる。
もし得れるのなら、
なるべくだけ多くの土地を得れるなら、
そこに何もかもを植えて育ててしまえるのに、
それが適わないのが何よりも残念である。
文章の中で世界を経巡る経験を最後にしてみたい、
空を飛べるわけでもないけれど、
文を書いてるあいだは自由になれるはずだと、
確かに心に思うことも出来るのだから。
枷を取っ払ってみよう、
足枷と手枷がつけられてきたので、
今まで自由がきかなかったのだ、
話をしてみよう、何が分からないのか分かるはずだ。
ただそれだけで世界を経巡っている気分にもなれる、
どこが分からないのか教えてくれれば、
幾らでも細かく話せるし、
どこを読み飛ばしてしまったのかも分かるものだが、
そこまでは観測出来ないし、
そんな時間に余裕があるわけでもないのが枷なのだ。
外してしまいたいものが山ほどある、
与えられても、自由を主張したい時だって一杯ある。
変化を望まないことが悪いことだと教えられても、
変えたくない自分が一杯あって、連なっている。
もぞもぞと動き出した食指に沿って、
物語を描くように、自分で啄むことの出来るのは、
一枚の葉っぱのほんの少しであって、全部ではない。
もし自分が生きている場所の全てを食べてしまえば、
残っているのは悪竜となった自らの体のみであり、
竜騎士にたちまち突かれてしまうというなら、
成長にそぐわないというのなら、本当は、
三歳児の姿のままで、なにもかもを教えて貰いたかった。
歳を重ねるごとに、老いを痛感するなら、
若葉を常に食まなければ生きられない人のサガがある。
ほんのすこしを食べて生きていられる文章は、
本当に厄介なことではあるかもしれないが、
大半のものはほんのすこしだけ食べて生きてる。
目一杯、沢山を食べて生きていられる文章は、
もっと食べなければならない宿命にあるようで、
さらに容積を増してぎゅうぎゅうに詰めなければ、
生きていることが実感できない様子である。
実はほんの少しだけが欲しいだけだけれど、
贅沢を言いたくあるから山ほど言わせてもらおう。
冬も夏も温度の変わらない部屋で過ごしていたい、
足を延ばしてつかれるお風呂が湯船が欲しい、
自分の部屋が欲しい、
全てのひとに一軒ずつ上げれる、
大きな家が欲しい。
決して事故の起きない車に乗りたい、
あらゆる公共インフラをパスできるカードが欲しい、
あらゆる才能をいくらでも育めるように、
ずっとAIが相手してくれたらいいのにな、
そんな期待や望みが若い世代で開花すればなおいいのにな、
そうしたら、やっと自由に旅が出来る、
恋も出来るかもしれない。
そんな小さい野望や夢のようなものが詰まった、
甘いものがたりなら別腹で食べてしまえそうで、
主食としてどてんとドラゴン御膳をだされたら、
ごちそうの食べ方もわからずに、
切り分けられて、ドラゴンでなくなってしまいそうだから、
それなら、怖いことよりかは離れて、
ゆっくり眠れる夢をみたい。
育むならそんな夢、
ゆっくりと休んでいてもいいし、
寝ていていいし、話さなくてもいいから、
そこにいるだけで、何となく楽しい、
役立たずかもしれないけれど、
理想はほんの少しだけかじって生きていられること、
まるのまま飲み込むことは出来ないから、
すこしかじって見える世界を、
好き好んでいられることが嬉しい。
全部をかじるのは難しいことだから、
ほんのひとかけらずつ、集めて、
美味しいものだと知れたら嬉しいかもしれない、
何もかもが長くある世界なら、
見て流せる物語があるならいいのにな、
本当に。
読むのに100時間掛かる物語の全てを、
覚えていられるのはすごい記憶力だから、
そんな物語を作れるのは羨ましくもある反面、
お終いの無い世界に浸るのは辛そうでもある。
読むのに10時間掛かる物語全てを、
一気に読んでしまえるだけ優れた能力はない、
いつも時間を気にしている。
一時間で読めてしまう世界はやさしい世界かもしれないが、
本当はあらすじだけの世界が一番やさしいのかもしれない。
10分掛かってやっと読んでる気になれるのかもしれないが、
本当は一分間違う温かさに浸ってたいだけなのかもしれない。
10秒で分かることを欲しているし、
1秒で伝わると信じている。
それよりもっとはやく読み終えられるなら、
どんな大作であっても話すことができるのにな、
世界がもう少し自由になるには時間がいる、
急激ではないかもしれないが、
確実に変化していって、
最後には良く話すことが、
それぞれのひとを助けることになると信じて疑いたくない。
近況とはもっと近い景色というのは、
大体が日々の積み重ねで出来ている。
だけども、
何の重荷にもならない自由が欲しくてさ、
ずっと飛び回っていられる翼があったら、
どれだけでも自由をたしかめられるはずなのに、
文を紡ぐと不思議と逃げてしまう声が聴こえる。
違うものを書きたいと願う心がある、
もっと自由になりなさいという言葉もある。
そんな文字列に勇気を与えられて、
また立ち直ることになるなら、
気持ちがあふれるのは素晴らしいことだ。