しかし、転生もないガチの歴史小説とは難しい。
初めは塚原に転生した話でも書こうと思ったが
チートはそぐわない。むしろ幕府側も塚原も頑張ってたんだよ。
と書きたい。
江戸に乗船時に「敗軍の大将、何の面目ありて乗船するや」と言われたらしいが・・・文献見る限りあの書き方は継ぎ足した話では?と推測される書き方である。
いわゆる明治になって聞き取りした浅野談話である。
しかも言ったのが新徴組と書かれている。
新徴組って江戸でお仕事してましたよね?という。
もし仮に記述間違いで新選組が発言した内容だとしてもおかしな話。記録も見つからない。
そもそもここの文法。取って継ぎ足したような記述である。誰かが意図的に継ぎ足したのか何なのか?
仮に本人がそういったであろうとしても。
明治になってからの思い出し談話では色々と「その人の思想が入っているもの」でして。
ある人は美化した言い訳であったり、本当に記憶がおぼろげになり混同して話をしてたりとか。
ただ一つ言いたいのは後世に残る書にあたかも本当のように書き残すのはいかがなものか。
恐らく当時の政治的思想や、周辺の上下関係や配慮もあるのだろう。または会津視点、新政府側視点、勝側視点、幕府側視点と色々あるのもわかる。敗者は悪とされるのもわかる。
しかし良くないのが、信憑性が低い文献、または1つの発言だけで現代の名のある歴史学者、歴史家のかたが単純に間違って引用して語るという。
1つの文献だけで「書いてるから」「文献としてあるから」という単純な思考。
刑事事件の捜査のように、周辺の状況、関係性、人間性、組織、地域の情報を収集していくつもの証言を重ね合わせて、推測して導き出すもので合って、ただ1つの発言をみて「書いてあるから」という雑な歴史学者、歴史家が多い。
これは問題である。
さら公共電波の歴史紹介や、ドラマものでも引用してる先がWikipediaであったり、そのWikipediaの引用先がWikipediaであったり。元の引用先を探したら歴史家だけどブログの発言だったりというもの。
なんだこれは?というのが所感である。
歴史学者、歴史家のかたはもう少しね。
ちょっとね。
調べ事してから発言してほしいという愚痴である。