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214話の補足として

いつも国以下略をご愛顧頂きありがとうございます。

今回も軽く補足です。

1557年の防長経略において、沼城の戦いでは毛利 元就が編竹と筵を用いて沼地を埋め立てたと言われております。この編竹は本来竹束として使用する予定だったそうです。つまり1557年の段階で、竹束は西国では鉄砲の防御盾として認知されていたとなります。

なお西国の鉄砲は、海戦での使用を想定しているために威力よりも飛距離を優先していました。それがあって口径は小さく銃身はやや長めになったと言われております。結果、竹束でも防げる程度の威力に落ち着いたものと思われます。

余談ですが薩摩製の鉄砲は、口径が大きく楽勝で竹束を破壊する威力を持っていました。

もう一つ余談として、竹束に身を隠して前進していても死傷者続出だったという史料はきちんと残っています。

竹束の存在は甲陽軍鑑によって知られるようになりましたが、所詮は甲陽軍鑑といった所でしょうか。口径や距離といった実験を行わずに記載した内容だと思われます。

一応甲陽軍鑑では50m程度離れていれば有効らしいです。

ただ、アイアンサイトによる射撃で50m離れた的を当てるのがどれだけ難しいか分かっていれば、このような書き方にならなかったと思われます。

せめて20mの距離で検証したものであれば、竹束神話は生まれなかったのではないか。そう考えざるを得ません。

いつも通りマニアックなネタですが、少しでも面白かったなら幸いです。

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