いつも国以下略をご愛顧頂きありがとうございます。
今回は人物の補足となります。
一条 房通 ─ 出身は土佐一条家。一条本家には養子として入った。1546年に細川 国慶が京で詐欺紛いのやり方で銭を集めようとした際に、武力衝突も辞さない構えで抗議をしようとして細川 国慶を追い出した張本人。また、土佐一条家の当主が幼かったため、何度か土佐に下向して当主代理として政務を行った実績がある。甥の子供である一条 兼定を自身の猶子とした。天文期の土佐一条家は諸大夫の源 康政やその父親が政務を仕切っていたので、本家からの下向が無くてもやっていける。
一条 内基 ─ 一条 房通の次男。兄が1554年に亡くなったために繰り上げ当主となる。土佐一条家当主 一条 兼定とは義兄弟の間柄でもあったのだが、土佐一条家が次第に一条本家に仕送りを送らなくなったために、キレて長宗我部 元親に土佐一条家を滅ぼすように唆したとも言われている(依頼したのは家臣の可能性アリ)。以後一条本家は長宗我部 元親に養ってもらっていた。
難波 常久 ─ 一条本家の諸大夫。一条 内基の諸大夫は元土佐一条家の入江 則兼が筆頭であった可能性が高いが、土佐一条家滅亡以前は難波家が有力者であったと個人的に感じたので採用。難波 常久にしたのは年代逆算から。間違っている可能性アリ。
あまり知られておりませんが、土佐一条家は公家のため、基本的に当主が政務は行いません。政務は諸大夫が行うのが一般です。
という訳でそんな状況なのに、土佐一条家が気になって下向した一条 房通は、余程仕送りが止まるのを恐れていたか、土佐一条家や幡多荘が好きだったと考えた方が自然かと思います。
また一条 内基は、仕送りのために土佐一条家を売れる人物です。そうであれば、憎い相手とも和睦できるだろうし、多少の汚れ仕事も平気でできると考えたのが今話となります。
いつも通りマニアックなネタですが、少しでも面白かったなら幸いです。