※本作は『パンゲア ― 偽りの大地』本編とは一部設定が異なる外伝・SSです。
真白が神代家へやって来てから、一年が過ぎた。
その間、真白はすっかり神代家の一員になっていた。
朝になれば結衣の布団から顔を出し。
結衣が学校へ行けば寂しそうに見送り。
帰ってくれば尻尾を振って飛びついてくる。
そんな毎日だった。
そして、その日も変わらない朝になるはずだった。
少なくとも、神代家の誰もがそう思っていた。
「きゃああああっ!」
朝食の準備をしていた美琴は、結衣の悲鳴に思わず手を止めた。
「結衣!?」
透が真っ先に駆け出す。
隆志も宗玄も続いた。
結衣の部屋へ飛び込んだ全員が、その場で固まる。
布団の上。
結衣の隣に、小さな女の子が座っていた。
年の頃は五、六歳ほど。
雪のような白髪。
頭にはぴんと立った白い狐耳。
腰の後ろには、ふわふわの白い尻尾。
そして何より。
結衣の寝間着を抱きしめている姿に見覚えがあった。
「……真白?」
透が呆然と呟く。
女の子は透を見る。
そして首を傾げた。
「くぅ」
その場に沈黙が落ちた。
「真白だぁぁぁ!」
結衣が飛びついた。
女の子も嬉しそうに抱きつき返す。
「くぅ!」
こうして真白の人化は、あまりにも突然始まった。
◇◇◇
もっとも、人の姿になったからといって、すぐに何でもできるわけではなかった。
真白は言葉を話せない。
文字も読めない。
箸も使えない。
服も一人では着られない。
ただし。
話している内容は理解しているようだった。
そこで教育係に任命されたのが美琴だった。
結衣と明日華が学校へ行き、透も学校へ向かう。
家に残るのは美琴と真白。
「これは、お茶」
「……ちゃ」
「そう、お茶」
「ちゃ!」
「これは、ごはん」
「ごはん!」
「よくできました」
真白は驚くほど覚えが早かった。
一年間、神代家の会話を聞いていたからだろう。
言葉の意味は理解していた。
ただ、自分で発音する方法を知らなかっただけなのだ。
数か月もすると、普通に会話ができるようになっていた。
ただ、なんの影響か?「のじゃろり」口調になっていた。
◇◇◇
真白はとにかく元気だった。
朝から晩まで走り回っている。
境内を駆け回り。
木に登り。
虫を追いかけ。
鳥を追いかけ。
怒られる。
「真白ー!」
結衣の声が境内に響く。
その直後。
社務所の裏から白い影が飛び出してきた。
「結衣ねぇー!」
狐耳を揺らしながら全力疾走。
そのまま結衣へ飛びつく。
「ぐえっ!」
「おかえりなのじゃ!」
「重い!」
「腹減ったのじゃ!」
「まずそれ!?」
結衣は思わず笑った。
学校から帰ると、真白は必ず結衣の後ろをついて歩く。
まるで雛鳥のようだった。
◇◇◇
透も例外ではない。
「とおるん」
「だから何で俺だけ変なんだ」
「とおるん!」
真白は満面の笑みだった。
結局気に入っているらしい。
「遊ぶのじゃ!」
「勉強終わったのか?母さんに確認するぞ」
「終わった!」
「本当に?」
「たぶん!」
「終わってないな」
透はため息をつきながらも相手をしてやる。
真白は嬉しそうだった。
◇◇◇
美琴には特によく懐いた。
「かかさまー!」
料理中でも容赦なく抱きつく。
「真白、危ないから離れなさい」
「嫌なのじゃ」
「はいはい」
美琴は苦笑しながら頭を撫でる。
真白にとって美琴は、本当の母親そのものだった。
◇◇◇
一方で明日華には少し遠慮があった。
明日華は結衣のように騒がない。
透のように遊び相手になるわけでもない。
静かに本を読み、静かに勉強していることが多い。
だから真白も邪魔をしない。
けれど。
「真白」
「なんじゃ?」
「この字、読める?」
「むむ?」
「狐」
「きつね!」
「正解」
「えっへん」
真白は胸を張る。
明日華は小さく笑った。
勉強を教えるのは意外と好きだった。
真白もまた、そんな明日華を慕っていた。
◇◇◇
ただし。
問題もあった。
とにかく腹が減るのだ。
「真白」
夕方。
結衣の声が響く。
「またやったの?」
台所の隅で真白が固まっていた。
口の周りには餡子。
横には半分なくなった大福。
「…………」
「真白?」
「ば、ばれておる?」
「ばればれ!」
その後しっかり怒られた。
◇◇◇
そんなある日のことだった。
裏山で結衣と真白が遊んでいた。
二人とも木登りが得意だった。
競争だと言って、高い木へ登っていく。
「真白ー!」
「負けぬのじゃー!」
その時だった。
結衣が足を掛けていた枝が。
嫌な音を立てた。
――バキッ。
「あっ」
結衣の身体が宙へ投げ出される。
高さは五メートル近い。
下は固い地面。
「結衣ねぇ!」
真白が叫んだ。
その瞬間だった。
真白の尾が淡く輝いた。
白い光。
温かな光。
それが結衣を包み込む。
ふわり。
まるで見えない誰かに抱き止められたように。
結衣の身体はゆっくりと地面へ降ろされた。
「……あれ?」
結衣は目をぱちくりさせる。
怪我一つない。
真白も呆然としていた。
「今の……」
後から駆け付けた宗玄は、その様子を見て静かにうなずいた。
「やはりか」
「おじいちゃん?」
結衣が見上げる。
宗玄は真白を見た。
白い狐耳。
不安そうな瞳。
そして守るために発動した力。
「真白は守護霊獣だ」
「しゅごれいじゅう?」
「大切な者を守るために力を使う霊獣のことだ」
真白は意味がよく分からなかった。
ただ一つだけ分かることがあった。
結衣が無事だった。
それだけで良かった。
真白は泣きそうな顔のまま結衣へ飛びつく。
「結衣ねぇぇぇ!」
「わっ!」
「怖かったのじゃ!」
「ご、ごめん」
「怪我したら駄目なのじゃ!」
真白は本気で怒っていた。
結衣は苦笑しながら、その頭を撫でる。
「うん。気を付ける」
白い尻尾が、ようやく安心したように揺れた。
その姿を見ながら宗玄は静かに思う。
この小さな白狐は、偶然神代家へ来たのではない。
きっと最初から。
神代家を守るために。
そして何より――
大好きな結衣を守るために、この家へ導かれてきたのだろう。