まえにも書きました通り「SF創作講座」というものに参加しています。
今回はそこで提出された小説について、ここに感想を書いてみます。
理由はツイッターなどに書くにはちょっと長くなったのと、のちに講評会で評価される作品についての感想を、講評会の前にああだこうだ言うのもアレかな?(しかしかといって感想を書かないのも……)と考えた結果です。
ので、まだ小説のほうを読んでいない方や興味がない方、講評会の前に感想はよくないのでは、と思う方はここで引き返してもらえると幸いです。
というわけで感想です。
きみのタオ
http://school.genron.co.jp/works/sf/2016/students/obakeguitar/525/
てっきり皆居視点で、彼のヒロイックな勘違い妄想がコメディな感じで描かれると思っていたので、驚いた。
予期していたものとは違ったけど、読んでみるとこっちが正解だったかもと思わされる。梗概よりかなり踏み込んだ描写が多く、これを入れるならコメディは無理だなと。
「エンタメ」としてのジャンルで言うならサイコホラーサスペンスということになるだろうか。しかしそこに留まらないものも感じる。
なゆた視点だとここまで凄惨な物語が、皆居視点だとコメディになる(であろう)ことに恐ろしさを感じる。またそういうギャップが梗概と実作の間に表現されていて、なんかこれら全体が一つの作品みたいだなと。
そしてアピール文にあったとおり、最後はカタルシスがあった。
ふたり
http://school.genron.co.jp/works/sf/2016/students/nekonoke/526/
一言で言うと感想は「難しい」だった。良くも悪くも。
内容が難しいと感じる部分が結構あり、何度か止まってしまうことがあった。一方でだからこそ読み終えたときには一定の達成感がある。ここまで理論の細部まで突き詰めてひとつの作品に仕上げる体力は自分にはないだろうなと思った。それを中学生が書くんだから、すごい。
ただ、やはり「エンタメ」という観点でみると、そのこと自体に意味があるとしても「難しさ」は障害になると思う。
一方で、最も藤井太洋先生、というかプロの作家に見てもらう意味がある作品かもしれないと思った。(他の人の作品まだあまり読めてないしわからないけど)
専門知識や抽象的な難しい思考をいかに「エンタメ」に落とし込むのか。そこのテクニックが付与されれば化けるのではないかと。
アイの認識方法を読んでるうちに『構造と力』に出てきた(と思う)「グラフィック――もはやロジックではない」を思い出した。
その解釈であってるかはわからないけど、映像そのものがロジックの代わりに機能しうるには、映像に内包される《関係性》がまさに重要なんだろうな、と、んー、どうなんだろう。
読み味としては全体を通して一定の色調で統一されている印象。それだけに宇城が狂う場面の雪崩れこむような描写は際立っていたと思う。おおっ!と思った。
神託
http://school.genron.co.jp/works/sf/2016/students/seichan0713/496/
「エンタメ」として必要な物語の起伏に富んでいて、しっかりとしたオチもあり、面白く読めた。
タイトル「神託」の由来が明らかになるときなど「なるほど~!」となった。
一方でオチ部分と別の話になってしまっている印象も。
前半を「AIを人間に近付ける話」、後半を「人間だと思っていた語り手がAIだった」とすれば繋がっているのだけど、前半部分で「政策」についての印象が強かったため、二つの話の連関が薄く思えた。前半部分の研究テーマを後半のテーマにもっと近付けてもいいのではと思った。「人間とAIの区別の研究をしていて、その成果の最終検定が開発者(語り手)がAIであるか判別すること」など。……ちょっと寓話的過ぎて興ざめか、「神託」も関係なくなってしまうし。うーん、難しい。
ロボット三原則は導入の経緯がイベントを通してわかるようになってるため、あまり気にならなかった。講評会での指摘がうまく反映されてるなぁ、と。オチの鮮烈さのためにはやはり三原則は必要だったと思うので、この選択は成功だったと思う。
といったところで、まずは選出作の感想でした。
感想は毎度そうなのですが、自分が過去に言われたことを参考にしている部分が大なので、自分にも刺さるというか、「お前がそれを言うのか」的な部分も多々ありますが……まぁ、こんな感じです。