こちらの作品は一〇話ぐらいまで書き溜めたら、少しずつ投稿していく予定です。
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バスケボールを素早くドリブルしながら、男はコートが世界で一番美しい場所だと思っていた。
背番号18番。小柄な小学四年生の男の子が、自分よりも遥かに背の高い上級生たちを圧倒している。
夏の小学校の体育館に、ダンダンというボールを叩く音と、キュッとシューズが床に響き渡る。
扉を開け放し、少しでも風通しを良くしているため、中の音が漏れているのだ。
一瞬の静寂、シュパッというバスケットボールがネットを擦れる音がしたかと思うと、歓声が爆発した。
コートの上で縦横無尽に暴れまわる小学生が一人。
|PG《ポイントガード》の武田駿佑だ。
「おい、誰か! 誰か18番を止めろ!」
対戦相手の監督が声を張り上げている。
残念。
いい選手が揃ってるけど、ちょっとそれは無理な要求だと思うな。
駿佑はこぼれ球を素早く拾うと、コート上の誰よりも早くドリブルをしながら走った。
ディフェンスとして向き合った上級生のフォワードの選手2人の間を一瞬で抜き去ると、ゴールまで距離があったが、構わずシュートを放った。
小さな身体の利点を活かし、相手の腰の高さよりも低い位置を鋭く通過する。
下半身のバネを利用して、その勢いをそのままボールに乗せた。
まだ新しい、空気がしっかりと入った5号ボールは、中空で美しい弧を描き、高さ2.6mのリングに吸い込まれていった。
パシュ、と快音が響くと、思わず一本指を天井に突き出していた。
あっちー!
汗だくになって、額を前腕で拭う。
外気は30度。
猛暑の暑さを知っている身からすればまだマシだが、それでも空気の出入りの少ない体育館は、体力を削ってくる。
スコアを見て、78対22、今は4Qだから、ほとんど勝利は確実だ。
息を切らしながらも、まだまだやれる、という気持ちが湧き上がってくる。
油断も慢心もない。
ブザーが鳴る最後の一瞬まで、絶対に気を抜かない。
「落ち着いてもう一本いきましょう」
「いいぞ駿佑!」
「ナイシュー!」
「あざっす!」
上級生たちの称える声に、自然と笑みが浮かぶ。
対戦相手の絶望した表情を見ながら、すぐにコートを走る。
ミニバスで怖いのは速攻カウンターだ。
ディフェンスラインを下げ、ゴール下に入れないように警戒した。
やがてブザーがなり、試合は終わった。
はあっ、はあっ、と切れる息を整えながら、俺はバスケの楽しさに心底歓喜していた。
ああ、本当にバスケが楽しい。
息が苦しくて、全身が暑くて、足の裏がジンジンと痛い。それでも、コートに立っているこの時間だけは、世界中の全部が正しい場所に収まっているような気がした。
バスケがあれば、他には何もいらない——そう思っていた頃の、純粋な俺がここにいる。
|二度目《・・・》の俺なら、もっと、もっと上手くやれるはずだ……!
本当に大切なものは、いつだって失ってから気付くんだそうだ。
親や家族、健康。――そして将来の夢。
俺はこの内の二つ、健康と将来の夢を同時に失った。
「熱ッ……!!」
それは、高校二年の初夏の夕方、何の予兆もなく起きた。
インターハイに向けたバスケの練習中、ドリブルをしながらクイックターンをしようとしていた時のことだ。
左に踏み込み、そこから右に切り返そうとしていた意識に反して、体はまるで踏ん張りが効かず、ブチッ、と嫌な音が響いたと思ったら、俺はそのまま吹き飛ぶように左側に倒れてしまった。
その時、膝にすごい熱さを感じたのを、よく覚えている。
最初は倒れてぶつけた肩とかが痛くて、何が起きたのかよく分からなかった。
「武田、大丈夫か!?」
「駿佑!? すごい音したぞ!」
「おう! ヘーキヘーキ」
バスケをしていたら捻挫や転倒はよくあることだ。
俺は慌てて駆け寄ってきたチームメンバーに手を上げて無事を伝えようとしたが、すぐに異変に気づいた。
左膝から感覚がなくなっていて、立ち上がることができない。
うまく力が入らなかったんだ。
「なんや……これ」
「大丈夫か?」
「分からへん……。力が入らへんわ……」
明らかな異常事態。
すぐに顧問の教師が呼ばれて、俺はそのまま練習を中断すると、整形外科に連れて行かれた。
その間も、まったく左膝には体重がかけられない状態だった。
「あー、靭帯と半月板をやってますね。手術が必要です」
MRIを見た医者が淡々と診断結果を伝えてきた。
俺はどこか他人事のように、その声を聞いていた。
まるで自分の身に起きたことを理解できていなかったのだ。
前十字靭帯断裂、内側側副靱帯断裂、内側半月板損傷。
通称、不幸の三徴候と呼ばれる損傷だ。
当時、まだ内視鏡手術はほとんど導入されておらず、膝を切開しての大手術がひつような、大怪我だった。
当時の俺は高校二年生。
手術をしても、まともに復帰できるのには、どう足掻いても在学中には不可能だった。
術後はギプスで数ヶ月固定し、松葉杖生活。
病室の窓から見える景色だけが、残酷なほど鮮やかに季節を変えていく。
ようやくギプスが取れたかと思えば、脚は完全に痩せ細り、地獄のようなリハビリが長期間続いた。
固まった関節を無理やり曲げる激痛と、思うように動かない自分の足への苛立ちに、何度枕を濡らしたか分からない。
自慢じゃなく、俺はチームでもエース的な存在だった。
身長は一九〇センチを超え、背が高い割には上手い、と言われていた。
インターハイで全国に名を轟かせ、将来はNBAに乗り込んでやる、なんて高い理想を抱いていた俺は……結局高校最後の大会はベンチで仲間の姿を見守ることになった。
武田駿佑の高校バスケ生活は終わった。
将来はバスケ選手になる、という夢も、あっけなく散ってしまったのだ。
コートに立てない日々というのは、想像以上に空虚だった。
ボールの感触も、シューズの音も、チームメイトと息を合わせる瞬間も——全部、ガラス越しに眺めるものになってしまった。
あんなに当たり前にそこにあったものが、もう二度と戻らないと知った時、俺は初めて、自分がバスケを人生で一番愛していたことを悟った。
それからの俺は、夢を絶たれて、これからどうすれば良いのか分からない日々が続いた。
ただ、時間とともに、自分と同じような故障する選手を減らしたい、と思うようになる。
捻挫でよくお世話になっていた柔道整復師でもあるトレーナーになろうと思い、大学に通い始めた。
本当は専門学校でも資格は取れるらしいが、当時の俺はより詳しく勉強したかった。
そうして知識が豊富になるにつれて、俺の学生時代の練習方法は、色々と間違いだらけだったのだ、ということに嫌でも気付かされた。
明らかなオーバーワーク、うさぎ跳びや水分補給の否定、筋力トレーニングの軽視。
昭和時代の古臭い根性論を引き継いだ、何も進捗していない練習を指示され、それを疑うこともなく鵜呑みにしていたのだ。
ちょっとでも俺が、より上手くなるために自分の頭で考えて調べていれば、負担は減り、実力もより伸びていただろう。
国家資格を得て、実際に学生にトレーナーとして指導をしたり、ケアを教えたり、あるいは負傷時の施術をしていく中で、俺にあの時この知識があれば、と何度思ったことだろうか。
放送されるNBAの選手たちの活躍。
皆すごい才能を持った選手ってだけじゃない、ちゃんと効果的なトレーニングを積んで、バスケのテクニックを磨き続けている。
日本人選手もまた、低身長ながら抜群の才能を武器に昇華させて、世界で戦っている。
日本でもプロリーグが毎年のように成長し、一億円プレーヤーも生まれた。
俺にもこんな未来があったんだろうか。
プロとして活躍し、華々しい舞台で、1点を争う試合に全力を尽くす日々があったんだろうか。
――どうして。
どうしてあんな無茶をして、取り返しがつかない怪我をしてしまったんだろう。
どうしてもっと自分の体の声を聞かなかったんだろう。
ただただがむしゃらに非効率な練習をしても意味がないって、当時の俺は分からなかった。
俺はNBAの舞台で輝くレブロン・ジェームズやステフィン・カリーといった選手を見ながら、思わず泣いてしまっていた。
彼らだって沢山練習はしただろう。
だが、一生を台無しにするような無茶苦茶な練習はしてないはずだ。
あの頃に、何も知らなかった頃の俺に戻って、止めてやりたい。
もっと賢く練習しろ。
古臭い監督の指導を鵜呑みにするな。もっと考えろ。
自分のバスケ人生を、自分で守れ。
そんな強い願いを抱えていたからだろうか。
俺はある日、ふと目覚めると、見覚えのある天井が目に飛び込んできた。
ここは……実家の俺の部屋?
カーテンの隙間から差し込む朝日が、学習机を照らしている。
強烈な違和感を覚えて視線を落とすと、そこには驚くほど小さく、傷一つない掌があった。
壁にかかったカレンダーの日付は1994年。
俺は、小学一年生の頃に戻っていた。
これは、バスケの神様が俺に与えてくれた、チャンスなんだと思った。
今度こそ——正しい方法で、バスケを極める。
膝を守り、夢を掴む。
誰かの膝も、俺みたいに壊れないように守る。
それが、この二度目の人生に俺が懸ける、たった一つの誓いだった。