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王様

人を頼りにするのもあるひとつの余力なのでは無いか、と考える事が有ります。

私には本当に幼少の頃から自分が王様、という確かな感覚が有って、それが未だにまったく変わらない。自分が王様、これは少し難しい感覚です。他者ありきの王様では無いからです。何はなくとも私は私として愛されて当然だと言う確信に近いかも知れません。

青春時代から世の中に理不尽や不幸が存在する事を許せませんでした。世の中の人はみんな一定の幸福に預かって当然であり、一定の幸福からこぼれてしまった他者が居れば助けられて当然だとしか考えられ無かったのです。

これは私を非常に苦しめました。当然の事ながら世は常に闘いに満ちています。人より多くを労をせず得られることが偉くて幸福だと考え及ばずとも行動する人が世間には常に一定数は居て、それは大抵人から奪うことを意味しています。

目前に奪われそうな人が居ると黙っていられない。反射的なものです。私は王様で、実に寛大でもあるのですから。しかしながら、私は内面的には王様でも、現実的には一定の力にさえ満たない存在です。王様である為に世間を知らない。助けを呼ぶ人、それはあらゆる言葉で。時には真逆の言葉さえ有りました。その人こそが盗人なのが世間だと言うことを、私は知らなければならなくなりました。

人生におけるピンチを数えればキリがありません。大きなものに限って思い出すに、本当のピンチのさなかで私は一言も叫べなかった。これは多大な誤解を呼び、私は何重にも苦しみました。

なぜ、世間では人に理解されないと生きて行けないのか、私には皆目分からない。根っからの自由人と言えばそうなのかも知れません。

ルールと良識の範囲内で豊かさや個人の楽しみを追求していれば誰も傷付けずにいられると思うのですけれど。

世の中には私の知らない他者の生活がおびただしいほど有ります。これを考えるに、震えおののく。自分の無知に恥じ入ることもしばしば。

自分が正しいと信じたことを、正しいと信じ続けて貫き通すのは時には非常な危険を伴うと言う事も、私は知らなかった。

歴史や宗教や神話や昔話の中で、王様はひとり葛藤のためにお城をあとにします。絵物語になった王様の孤独が私のさみしい気持ちに勇気を与えてくれるような気がしてなりません。

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