チート様とお料理のお話
「ヴェルリッド様、ご飯食べる?」
その日、エドアルドくんは意気揚々と王子宮にやって来た。第三王子宮ではなく第一王子宮にである。
後ろに幼馴染くんと護衛騎士を引き連れ、なぜか鍋を背負って。
初めて会ってから三年、八歳になる弟とその学友は随分と背が伸びたな、とチート様は現実逃避に思った。あの頃はあんなにちんまかったのに、鍋を背負えるくらい大きくなったとは。いや、鍋背負うか? 貴族子息が?
遠くを眺めているうちにエドアルドくんは宮にずかずかと乗り込んできた。
厨房お借りしまーす、とか言ってる。
勝手知ったる他人の王子宮。知るな、王族の住居を。
エドアルドくんは真っ直ぐに厨房に向かいたのもー!と叫んで突撃した。
残念ながら厨房の中は無人である。
チート様の王子宮にいる使用人は二人だけ、一人は老いた庭師でもう一人は中年の侍女である。料理人はいない。
しかし厨房は使い込まれ綺麗に掃除されている。チート様の食事はここで三食ともに侍女が用意していた。時々お菓子も焼いている。
チート様が側妃宮から王子宮に移された当初は料理人も使用人も十分にいたのだが、時とともに一人減り、二人減り、いつの間にか全員いなくなった。言わずもがなの嫌がらせである。チート様は何も気にせず過ごしていたが、新しい侍女が一人だけ来た。真面目すぎて融通が利かなかったせいで他の侍女たちから煙たがられ第一王子宮へ哀れ島流しとなった女性である。本宮の侍女たちは出世街道から外れてさぞや落ち込むことだろうとほくそ笑んだが、本人は無表情に第一王子に挨拶をし真面目に仕事をした。チート様は彼女の好きなようにさせた。興味がなかった。
けれど真面目で融通の効かない彼女は同時に法や儀礼に通じた優秀な侍女だった。
自由にやらせてくれた主人のもとで彼女はのびのびと大好きな規則規律のもと好きにやりたい放題やった。そもそも法や儀礼に通じるということはその抜け道も知っているということなので。
誰の文句も出ない方法で予算を確保し、本宮の調理場から送られてくる冷めた不味い食事を断って王子宮で食材を購入した。
流石に調理人を手配するのは横槍が入った。まあ、調理人たちは島流しの第一王子宮に来たがらないので仕方ない。信頼できない人間に口に入るものを作らせるわけにもいかないので侍女が包丁を握った。この頃になるとチート様もこの無表情で仕事をする侍女を認識するようになる。ちょうどこの頃、弟とエドアルドくんが宮に遊びにくるようになって侍女一人しかいないと知って一人でどうやって管理してんの? すごすぎない? と言われたことで、すごすぎるんだな、と改めて侍女を眺めた。
お前はすごいんだな、と声をかけたのは、彼女が王子宮に来てから随分と経ってからだった。
彼女はその言葉に無表情にお手本のような淑女の礼を返した。
ちなみに庭師の老爺は流石に庭まで手の回らない侍女が王宮の庭を管理する庭園長を脅して連れてきた。第一王子宮の庭が荒れ果てているなんて庭園長の仕事が疎かになっているのではないか、宮廷長官に報告してもいいんだぞ、と。
庭園長は王妃派ではなく日和見派の貴族だったのできちんと日和った。
「うちもルーディのとこも料理人がうるさいから、ここなら自由にできんじゃん? ヴェルリッド様も一緒にご飯炊こうよ!」
エドアルドくんが遠い目をしたチート様の前に鍋を置いた。
鍋の中には中身の詰まった大人の両手いっぱいくらいの中身の入った穀物袋。エドアルドくんが穀物袋の中身をざらざらと鍋の中にぶち込む。
茶色い粒状の穀物だ。チート様も幼馴染くんも初めて見る。
エドアルドくんは胸を張って鍋を掲げ持った。
「こちら! 群島諸国の最南端! 大陸の果ての果てにある島! 伝説の島にて主食として食べられている穀物! 汝は米! 苦労のすえに手に入れた俺の料理チートをご覧あれ!!!!」
なんか訳のわからんことを言うてる。
「ナダルニア侯爵のところに西方の商人が珍しいものを持ち込んだんだって。エドも一緒に見せてもらってこれを見つけたらしくて、やたら興奮して王宮に持ち込んだの」
この茶色い粒々のどこにそこまで興奮する要素があるのかさらさら分からない、と幼馴染くんは説明しながら首を傾げた。全く同感であるとチート様も頷いた。
エドアルドくんは不審げな兄弟をものともせず、水瓶から水を汲み鍋の中の米を洗う。鼻歌混じりに楽しそうだが、どう見ても子供のお料理ごっこ遊びである。
まあ、子供だからいいか、とチート様は見守った。エドだしな、と幼馴染くんも見守った。
以外にもエドアルドくんは手際よく米を洗い、水を目分量で入れ竈に置いた。
いつの間にか控えていた侍女が竈に火を入れる。予定外のエドアルドくんたち来訪のせいで宮のどこからか慌ててやってきただろうにその姿には乱れたところは一切なく、始めから控えておりましたが? と言わんばかりの顔をしていた。妙に負けず嫌いなところあるんだよな、コイツも、とチート様は思ったりした。
「最初ちょろちょろ中ぱっぱ〜、赤子泣いてもフタとるな〜」
妙な歌を歌いながらエドアルドくんは体を揺らして踊り出す。怪しい儀式を王子宮の厨房で始めないでほしい。
エドアルドくん以外の全員がそう思ったので侍女はそっとお茶とお菓子を厨房の簡素なテーブルの上に用意した。
王族と高位貴族子息のお茶会が急遽厨房で開催。侍女は優秀な侍女なので完璧な温度で美味しいお茶を入れた。そこが王宮の薔薇園であろうと厨房の作業机の上であろうと主人に出される茶の味は最高でなければならない。侍女の矜持である。
「西方のさらに南端からだからさー、保存ために皮のついた玄米のまま輸送されてきてんだよね。一応、頑張って棒で突いて8分づきくらいにはしたと思うんだけどさ、ちょっとパサパサになるかもなー」
ご機嫌のエドアルドくんはテーブルの上に両手で頬杖をついてニコニコと横に揺れてた。天使のような愛らしさとはまさにこのこと。何言ってるのか全く分からないけど。
楽しそうで結構なことだと王族兄弟は眺めながら侍女お手製の胡桃入りマフィンを口に入れた。主人好みの控えめだがコクのあるハチミツの甘み。本当に優秀な侍女である。
しばらく西方の話で盛り上がっていると、鍋から香ばしい匂いがしてきた。
「焦げた! 鍋おろして!」
エドアルドくんが立ち上がって叫ぶと同時に侍女はサッと鍋を竈から下ろした。できる侍女は先読みもする。
作業机の上に置かれた鍋の蓋をエドアルドくんが恐る恐る開ける。少し香ばしいが焦げると言うほどではなかった。
「ちょっと水少なかったかなー? 計量カップないから勘なんだよなー」
首を傾げるエドアルドくん。適当すぎー、と幼馴染くんは呆れて言ったが、コイツのやることいつもそんなもんだろ、とチート様は諦めの境地で鍋を眺めた。
木匙に水をつけて中を混ぜてと指示された通りに侍女がすると少しクセのある甘い香りが広がった。王国の人間には馴染みのない不思議な香りだった。
木匙から茶色い粒をいくつか取り分け、侍女が口に含む。毒味である。王族兄弟も高位貴族子息も慣れたものでそれを当たり前に見た。
侍女は無表情のまま、毒はありません、と言った。味については言及しない。仕事なので。
「やっぱパラパラすぎだよなー。おこげ出来たのはいい感じだけど、玄米だとおにぎりできないなー。このままだと味ないから塩かけて」
言われるままに皿に一口分だけよそったご飯に塩をかけてテーブルに出す。王族兄弟の前にも同じものが出される。
いただきまーす、と陽気に言ったエドアルドくんが口をつけるのを見てから幼馴染くんとチート様がパラパラした粒をスプーンに乗せて口に運ぶ。
無言で三人がご飯を噛む。
「なんか変な匂いする」
最初に口を開けたのは幼馴染くんだった。
「硬い」
チート様も感想を言う。
「ごめんなさい」
エドアルドくんは顔をくしゃくしゃにして謝った。
取りきれていない皮の硬さと糠臭さ、そもそも水が少なすぎて芯が残った米は半なまであった。確かに毒ではないが、まずい。
「これ合ってる? これ主食は厳しくない?」
幼馴染くんの容赦のない追撃にエドアルドくんはしょもしょもだ。
お米、これしかないのに失敗した、と半泣き。
「違うんだよお、もっと美味しいはずなんだよお。ちゃんと皮が剥けると白い粒になって、それを炊くと味の濃いおかずに最高に合う主食になるんだよお」
敗因は不十分な精米と洗米と浸水なしの水加減である。残念ながらエドアルドくんの中のおっさんは無洗米を炊飯器で炊いたことしかないのである。アウトドア好きなキャンパーでもなければ水加減なんて炊飯器のメモリでしか確認しない。
俺には料理チートもないんだああ、と机に突っ伏して泣く八歳児。哀れだね。
「こちらで処分いたしますか?」
泣いてる八歳児に侍女が尋ねる。少しだけ声が柔らかいの彼女なりの子供に対する労りだろう、無表情だが。
「だめえええええ、お米一粒には神様が七人いるのお、俺が責任持って食べるうう」
泣きながらエドアルドくんが叫ぶ。完全に自分の思うように出来なかった幼児の姿である。こんな小さい米一粒に神様七人もいたらぎゅうぎゅうじゃないかなあ、と幼馴染くんは思った。日本人みんな同じこと思ってる。
「では、少しわたくしが手を入れてもよろしいでしょうか?」
侍女がそう聞くとエドアルドくんは彼女をチラリと見上げた。別に侯爵家に阿るわけでもないいつも通りの無表情の侍女。エドアルドくんはちょっと唇を尖らせて、いいよお、と頷いた。
ちなみにチート様はそれを眺めながら生にえの玄米をひたすら噛んでいた。よく噛むと甘みが出てくるのがちょっと面白いなとか思ってた。お米の澱粉を唾液に含まれるアミラーゼという酵素が分解して糖に変えているからとかなんとか。
鍋を竈に戻した侍女が食品庫から食材を持ち出す。
手際よく野菜とベーコンが刻まれていく。米の隣で玉ねぎ、ニンニク、トマト、ベーコンを炒めて米と混ぜる。水とブイヨン、数種類のハーブを足してコトコトと煮込み始めると厨房にはベーコンの油で炒められたニンニクのいい匂いが広がった。匂いは完璧。
「しばらく煮込みますので、皆様はサロンでお待ちください」
侍女にそう言われてしょもしょものエドアルドくんはチート様に小脇に抱えられて厨房を出た。
羨ましそうに弟が見ていたので弟も小脇に抱えた。両脇に八歳児。
何が楽しいのか分からぬが、さっきまで泣いていた八歳児と弟がキャッキャしてるのでまあいいかとチート様は思った。
「ちゃんと! 食べられるお味! しごでき侍女しゅごい!!!」
エドアルドくんは歓喜した。
固い皮の食感は少し残っているが米は柔らかく蕩け、糠臭さはトマトの酸味とベーコンの旨みで誤魔化されていた。
普通に美味しいトマトリゾットである。
「これなら普通に食べられるね。でもたまに固いのある」
「皮全部ちゃんと取れば固いのなくなるからもっと美味しくなるよ!!!」
幼馴染くんの言葉にエドアルドくんが叫ぶ。
魂の叫びを幼馴染くんはふーん、と聞いた。
チート様は無言で食べていた。チート様は食べ物に基本的に文句は言わない。毒でなければいいのだ。料理人も使用人もいない王子宮で五歳になったばかりの子供は一人で固くなったパンを齧っていた。島流し侍女が来るまでの数日間、固い小さなパンと水のみで過ごしていた子供に侍女が初めて作ってくれた温かいスープの味さえもあの頃のチート様にはどうでもよくて、あまりよく覚えていない。なんとなく勿体無いことをしたような気がするとトマトリゾットを黙々と食べながら思った。
「侍女! すごい! 天才! さすがはヴェルリッド様の侍女! ヴェルリッド様に仕えるに相応しい優秀さ! 褒めてつかわす!!!」
エドアルドくんがビシッと指を突きつけて侍女を褒め称える。人を指さすのやめた方がいいよ、と幼馴染くんが言うと、あ、ごめん、と素直に指を下ろした。
そんなエドアルドくんに侍女はいつも通りの無表情で、しかし、少しだけ誇らしげに深く礼をした。
その後もエドアルドくんは侍女を褒め称え、鍋いっぱいのリゾットを三人でなんとか平らげた。
「また手に入ったら今度は精米から一緒にやりましょーね! 絶対美味しいから! ほんと! 俺、嘘ついてないから!」
そう言いながらエドアルドくんは大きく手を振って王子宮を去っていった。
また持ってくるのかアイツは。
それから、ちょっとだけ面白くないなという気持ちがした。
背後に控える侍女に振り返って目をやる。
「カミラ、料理を教えてくれ」
主人のその言葉に、侍女はかしこまりました、と無表情に応えた。
その無表情のうちで、うちの主は本当に負けず嫌いだな、と思ったとか思わないとか。
有能な侍女の内心を知るものは誰もいない。
立ち並ぶ幕屋の合間から煮炊きの煙が上がったいた。
ヴェルリッドはそれを眺めながら腕を組む。
「前から嫌がらせは多かったが、奴さんらとうとう物資に手をつけてきたぞ」
立場上は上司であるトルト旅団長がヴェルリッドの隣でぼやいた。王国軍に移動してから率いる人数が増えるとともに厄介ごとも増えていく。苦労性の伯爵は眉間に深い谷間が出来た。
「王位継承権は返上したが、王族籍から抜けた覚えはないんだがな」
呆れた口調でヴェルリッドは返す。
王宮から連れ攫われた弟の命の代わりに差し出した地位になんの未練もないが、軍上層部のあまりにあからさまな態度には呆れを通り越して感心すらする。
「脳みそに藁が詰まったカカシ野郎どもはそんなことも分からんのさ」
王族であるヴェルリッドに対する不敬には不敬罪が適用されることも忘れているらしい。トルトは鼻を鳴らして吐き捨てた。王族警護の任に当たっていた時代では想像すらできない野卑な仕草だ。王都の妻子の前ですれば軽蔑の目で見られること間違いない。
しかしここは戦場。お行儀の良い上司なぞ舐められるだけ。
「何が足りない?」
「すべて」
ヴェルリッドの端的な問いにトルトも短く返す。
「武器の類はまだマシだな。流石に戦線を後退させたくはないんだろう。だが医薬品から食料から馬の餌まで、何もかもが足りない。兵站本部に文句を言っても今まで通り送っているの一辺倒だ」
帳簿上だけは今まで通りなのだろう。調べて告発したところで末端が切り捨てられて終わるだけだ。時間と労力だけかかって大して状況が改善するわけでもない。ヴェルリッドは無駄なことはしたくなかった。
「医薬品は王都で買い付けさせろ。請求は王宮に持っていけ。俺の王族費から支払えるように印章の写しを渡しておく」
「いいのか?」
「継承権の返上とともに宮は閉じた。経費の使い道もないのだから余ってる分を俺が自由に使って何が悪い?」
何も悪くない。本人が王都にいないのをいいことに経費を懐に入れている人間以外には。
言いたいことが伝わったのかトルトは苦い顔で頷いた。
「わかった、医薬品はそれで行こう。だが食料はどうする? ナダルニアのビスケットのおかげで多少は余裕があるが、王都で買い付けるには量が多すぎる。輸送に部隊を割けばどこかに穴が空くぞ」
「近隣で買い付けるしかないだろう」
「他国の略奪に怯える村で自国の兵士が略奪しろと?」
国境沿いに点々とある村はどこ裕福とは言い難かった。金があれば村を離れて安全な街へといく。残っているのはいつくるとも知れない隣国の襲撃に怯えながら細々と生を繋いでいる人々だ。
三千の国軍兵士の腹を満たす糧食などあるわけがない。
「買い付けるのはまずは大麦と燕麦だ。小麦は余剰があれば」
「馬の餌か?」
「スープに入れて嵩増ししろ」
げんなりとした顔でトルトは主婦の節約の知恵かよ、とぼやく。
「平民の兵士からも不満が出そうだな」
貴族出身の騎士は言わずもがな。
そんなトルトを見たヴェルリッドは少し考えてから口を開いた。
「俺が調理場に入る」
何を言っているのか意味がわからずトルトはヴェルリッドを見た。
ヴェルリッドは珍しくも悪戯げに唇を歪めてトルトに言う。
「俺が作って兵士たちに振る舞おう。文句を言うなら不敬罪にあたるだろう?」
文句の一つも言わせない、と。
「おま、本気か!!!???」
厳格な軍人貴族のはずだったトルト伯爵は今は遠く。小さな暴れん坊たちに長年振り回された中年はすっかり言葉も乱れて不敬罪になってもおかしくない叫びを上げた。
「うちの侍女が言うには、トマトとベーコンがあれば大抵のものはどうにかなる」
後に王国東部の郷土料理として愛される将軍のスープをチート様がお作りになるお話。