王子宮にエドアルドくんが共の一人もつけずにふらふらやって来るのはどっかの誰かの嫌がらせである。
侯爵家から付けられた護衛は王族のプライベート空間である奥宮まで入ることはできない。そういう付き人は奥宮入り口にある詰め所に待機することになっている。武器を持った配下を連れて尊き方とお会い出来ないことは分からなくもない。
だが、五歳の子供を世話役もつけずに王子宮に来させるのは異常だった。
前世なら五歳って幼稚園児ぞ? 幼稚園児に一人で同い年とはいえ偉い人に会って仲良くしておいでって無理やろ。普通の子供ならママーって泣いてお家帰るーって床上ローリングだろ? 俺の中の人がおっさんだったことを感謝しろ、とエドアルドくんは来るたび思っている。侯爵家も侍女の一人も付けさせてもらえないことに抗議をしようとしたが、エドアルドくんが待ったをかけた。だって、多分無理なら来なくて結構とか言われるやつだもんな、これ。要するに第三王子にお友達ができると面白くない人がいるわけなので。
エドアルドくん、そういうやつが思い通りにならなくてイライラするのだーい好き! 思い通りにならなくて残念だねえってスキップしながら、ねえ今どんな気持ち? ってやりたいタイプ。
何より、王宮に来れなきゃチート様に会えないじゃん?
せっかくチート主人公様の幼少期が見られる二度とない機会なのにそれを逃すなんてとんでもない。
というわけでスーパー五歳児(もうすぐ六歳)のエドアルドくんは第三王子宮でお菓子食べたり庭で冒険ごっこしたり第一王子宮に突撃したり充実した時間を過ごしていたわけだが、その間、詰め所で待ちぼうけの護衛や侍女も全く何もしていないわけではなかった。
「んでさあ、うちの護衛が聞いたんだけど、使われてない離宮からなんとも悲しげな歌声が聞こえるんだって。その昔、離宮で暮らしていた愛妾の幽霊じゃないかって噂になってるらしいよ」
エドアルドくんがワクワクした顔で同じく五歳児の幼馴染くんに言う。
綺麗なお庭の見えるサロンでお菓子を頬張っていた幼馴染くんは急になんか言い始めたぞ、と小首を傾げてエドアルドくんを見た。
詰め所で待機中の護衛や侍従たちは歴とした侯爵家寄子の貴族なのできちんともてなされていた。特に若い護衛は侯爵家子息付きのエリート騎士として若い王宮侍女たちから熱い目線を向けられている。ちょっと顔のいいやつを選んで連れてきてるので、お茶を淹れてくれた侍女に笑顔でお礼なんて言った日にはテンション爆上がりだ。そうしてちょっとずつお近づきになり、世間話や噂話をするように。顔が良くて安定した職の男がへえそうなんだ! と興味深げに聞いてくれるとなるとついつい口も軽くなるというものだ。
そうして集められた情報は侯爵家に集められ、当たり障りのないものはエドアルドくんにも共有される。
奥宮での護衛ができないことをさっさと割り切って騎士団の中でも情報の扱いに長けた人員を送り込んでるパッパの手腕をエドアルドくんは大いに評価した。俺のパッパはできる男だぜ。
「へー、そうなんだー」
幼馴染くんは頬張っていた菓子を飲み込んでから気のない返事をした。
幼馴染くんは王族だからいっぱいお勉強してるが、エドアルドくんは時々知らない言葉を使う。
幽霊とか愛妾ってなんだろう? と内心思っていたが教育係が分からないことは客人が去った後で自分に聞くようにと教育していたので無難な返事になった。
公式の場で子供のなぜなぜ攻撃が全方位に振りまかれないように配慮した教育である。王族の体面を守る教育だったが今回に関しては裏目に出た。
「だからさあ、幽霊見に行こうぜ!」
新しくできたお友達は離宮に幽霊とやらが見に行きたいらしい。人のいない離宮なら訪問にお伺いを立てる必要もないし、見たいというなら行ってもいいんじゃないかな?
ゆうれいは歌うらしいから楽師とか、もしかしたら鳥とか動物かもしれない。
悲しい歌声はちょっと怖いけど綺麗な鳥なら見てみたいな、と幼馴染くんは思った。
ちなみにこの時エドアルドくんが幽霊ではなくオバケと言ったら幼馴染くんは断固拒否した。オバケは側妃宮にいた頃に乳母が教えてくれた。ワガママを言うと夜に出て来る怖いやつのことだ。捕まると真っ暗い穴に子供を閉じ込めてお母様に会えなくなりますよ、と至極真面目に乳母は言った。幼馴染くんはギャン泣きしたし、その日の夜は眠れなかった。オバケ怖い。
「いいよお、僕もゆうれい見る」
おっとりと頷く幼馴染くんの手を掴んでエドアルドくんは立ち上がった。
部屋に待機していた侍女も護衛も大慌てだ。殿下! と声を上げる若い護衛騎士を意気揚々とエドアルドくんは見上げた。
「お前! 西の離宮まで案内しろ! 侍女は危ないからお留守番だぞ! 女の子は危険に晒しちゃいけないんだからな!」
胸を張って言うエドアルドくんに幼馴染くんはそうなんだーと感心した。女の子は大切に、それがモテ男の必須テクよ、とエドアルドくんの中のおっさんが主張する。
可愛い天使のような子供に女の子と言われた侍女はあらまあと目を丸くした。この侍女、孫もいるお年のベテラン侍女だったので驚いた後につい笑ってしまった。
ちょっと何言ってるのか分からないなと混乱する護衛騎士の制服を引っ張ってエドアルドくんは足取り軽く部屋を出る。
なんかよく分からないけど幼馴染くんも楽しくなってきた。
つまり、これはちょっとしたお出かけなのだ。
結局、護衛騎士の制止虚しくエドアルドくんと幼馴染くんは西の離宮にワクワクピクニックに行くことになった。
敗因は西の離宮がちょっとしたお散歩によい距離だったのと、エドアルドくんが我侯爵子息ぞ? パッパに言いつけてやるぞ? と脅したからだ。
侯爵に言いつけられれば即座にエドアルドくんはゲンコツだし謝罪の菓子折りが届いたのだが、まだ学友として通い始めて間もなかったゆえにそんなことは露知らず下っ端左遷騎士たちは権力に屈したのであった。
多分後で怒られるだろうな、かわいそう、とエドアルドくんは肩を落とす騎士を見て思った。お前のせいである。部屋の前に控えていた騎士も道連れにしたのは最後の足掻きだろう。一人で地獄に落ちる気はないそのガッツ、よきかな。エドアルドくんは報告を受けた侯爵から怒られるのは自分もであることは気がついていない。
ちんたらした子供の足では疲れてしまうので、我侯爵子息ぞ!!! と主張して騎士におんぶをねだり、それを見ていた幼馴染くんが我第三王子ぞ!!! とダメな学習をして抱っこねだった。友達は選んだ方がいい、本当に。
二人とも両手が塞がるのは困るという理由で一人がおんぶと抱っこで五歳児サンドイッチになって運ばれた。
騎士すごーい! 鍛え上げた筋肉ー! と五歳児二人に惜しみない賞賛をされ満更でもない騎士を同僚は哀れなものを見る目で見た。
そんなこんなで西の離宮に着くと、五歳児たちは乗り物がわりにした騎士のことなどすっかり忘れて走り出す。
使われていない離宮の正門は閉じられていたが、庭園に通じる通用門は開いていた。住人はいないが、庭園で茶会が開かれたり来賓の宿代わりに提供されることもあるので手入れはしっかりされている。使われていない時は庭園のみだが散策路に開放されているので出入りも自由だ。しかし西の離宮は本宮から離れていてあまり人気の散歩コースではないのでちびっ子たちの貸切状態だった。
第三王子宮とは違う作りの庭にエドアルドくんも幼馴染くんも興味津々。
様々な明るい色の花が咲き乱れる王子宮の庭と違い、西の離宮は青と白の花を基調とした端正な作りの庭だった。青紫のアイリスがところどころでで凛と咲くのが目を惹く。どこか日本庭園のような雰囲気にエドアルドくんはこういうのこの世界にもあるんだー、と感心した。侘び寂び、わらび餅食べたいなとか思った。
キョロキョロと周りを見回すチビ二人に護衛が追いつく。
護衛が西離宮の庭園は地味で貴婦人方にはあまり人気がないのだと教えてくれた。
貴族、派手好きだもんな、とエドアルドくんは頷く。
「へー、僕、こういうお庭好きだよお」
青いお花も白いお花も綺麗だねえ、とのんびりと言う幼馴染くんは中々渋い趣味だ。
しばらく庭を歩きながら護衛が色々と教えてくれた。
そもそも、西の離宮に愛妾がいたことはないらしい。
住んでいたのは数代前の王妹。公爵家に降嫁したものの子供に恵まれないうちに夫が亡くなり、公爵家は夫の弟が継ぎ彼女は王家に戻った。傷心の妹のために安らげる場所をと造られたのがこの離宮だ。夫亡き後、生涯をこの離宮で過ごした彼女は夫の好んだ青と鎮魂の白で彩られた庭を大切にしていたことからこの離宮は青月宮と呼ばれることもあるとか。
部屋で控えていた若い護衛はお喋り好きらしい。もしかすると下に弟か妹がいるのかもしれない。世話好きの香りがする護衛である。
「月どっから出てきたのさ」
エドアルドくんがボソリと言うと、護衛が離宮の端を指差した。
「あちらの一部だけ高くなっている場所に月見台があるんですよ。死者は星に還りますので亡きかたを偲ぶのに空を見上げるお部屋を作られたそうです」
魂は星の子に導かれて夜空に輝く星に還る、それが教会の教えだ。
見上げれば確かに離宮の一部が一階分高くなっている。月を眺めるためだけの部屋とは中々贅沢な造りだ。
「ねえ、ゆうれいいたー?」
お散歩にも飽きてきた幼馴染くんが呑気に尋ねる。
それにエドアルドくんはぶーと唇を震わせた。子供らしい不満の表し方だ。中身おっさんのくせに。
「そもそも幽霊は夜に出るもんだからな、見つかんなくても仕方ない!」
胸を張って無駄足を宣言する。
夜は暗いからお外出たくないよお、と幼馴染くんが言った。まず外に出してもらえないので安心して欲しい。
んじゃ、戻っておやつの続きだな、とエドアルドくんが揚々と護衛騎士におんぶを強請って両手を上げたところでそれは聞こえた。
幼馴染くんが顔を上げる。微かな、本当に風に揺れる葉擦れの音に紛れてしまえば聞こえなくなってしまうほどのか細い歌声。
エドアルドくんはぽかんと口を開けて幼馴染くんが見上げる先を見た。
月見台の大きなガラス戸の奥に、黒い人影。
「え、マジで幽霊いんの???」
さすがチート主人公の弟だぜ! 天然のんびり系キャラでもイベントのエンカウント率高え! などとメタ思考なおっさんを心の中に隠してエドアルドくんは意気揚々と幼馴染くんの手を引いて走り出した。
走り出したちびっ子たちの後ろを早足で護衛の騎士がついてくる。エドアルドくんが見たら足長いの自慢してんですか!? パパに言いつけてやるんだからな! と叫んだだろうから見られなくてよかったね。
庭に面したテラスから離宮の中に入る。散策に来た貴族が休憩するために鍵はかけられていない。人気のない離宮の中はしんと静まり返り、子供達の軽やかな足音と護衛の制服につけられた剣帯の金具が擦れる音がやけに響いた。
階段を駆け上がり、二階まで上がると歌声がはっきりと聞こえてきた。
か細い、少し掠れ気味の女性の歌声だった。
「あれえ、ねえ、エド、これねえ、」
エドアルドくんに手を引っ張られた幼馴染くんが何だかモニョモニョ言っているがエドアルドくんは指を唇に当ててシー! と黙らせた。
幽霊に気が付かれて逃げられてしまうかもしれないではないか。
さらに階段を登る。三階には月見台しかない。階段を登ればそのままホールになっており、その奥に月を眺めるためのテラスが突き出ていた。
音を立てないように静かに階段を登るエドアルドくんと幼馴染くんの目の前にその人影はあった。
テラスに出された1人掛け用のソファに腰掛けたその人は、エドアルドくんたちに気づくことなく囁くような声で歌を口ずさんでいた。
エドアルドくんたちに背を向けたその人は、とても美しい黒髪をしていた。
そして、その歌はきっとこの国の子供達のほとんどが聞いたことのあるもので。
「あ、やっぱり、母上だー!」
エドアルドくんに引っ張られていた幼馴染くんが駆け出す。
その声に振り返ったその人は、幼馴染くんを見て少し驚いてから、穏やかに微笑んだ。
「まあ、殿下、お散歩ですか?」
立ち上がって五歳の息子の前に膝をついて目を合わせる。
たおやかな夜に咲く花のような人だった。
エドアルドくんは幼馴染くんのお母さんを初めて見た。そして納得した。
この系が好みなら王妃とかめちゃ苦手だろうな、うちの王様。
王妃は美人だがアイメイクに命かける系のド派手美人である。美人なことは認めるが好き嫌いの分かれるタイプ。あと性格めちゃキツい。
「ううん、ゆうれい探しにきたの! 母上がゆうれい?」
久しぶりに会えただろう母親に幼馴染くんがはしゃいで言う。エドアルドくんは目を逸らした。さてはあいつ、幽霊が何か分かってなかったなと気がついてしまった。
「あら、残念ですが、わたくしは幽霊ではございませんよ」
苦笑しながら幼馴染マッマが言う。苦笑さえも儚げだった。
えー、残念、と口を尖らせる幼馴染くんだがすぐにニッコリと笑った。
「でも、母上とお会いできたから嬉しい!」
その笑顔を幼馴染マッマは壊れやすい宝物のように抱きしめた。
「わたくしもですよ」
子を抱きしめる彼女は確かに愛情深い母親に見えた。だからこそエドアルドくんは不思議だなあ、と思ったけれど正直この世界の貴族のことはまだよく分かってない五歳児ちゃんだったので疑問は胸の奥にそっとしまった。
そんなことを考えながら親子を眺めていたら幼馴染マッマが顔を上げてエドアルドくんを見た。
「ナダルニア候のご子息エドアルド様ですね、殿下と仲良くしてくださってありがとうございます」
穏やかに微笑んでエドアルドくんに礼を言う幼馴染マッマにエドアルドくんは深く腰を折って優雅な紳士の礼をとった。
「身に余る光栄でございます」
幼馴染くんの目が丸くなった。ついでに護衛騎士2人の目もまん丸だ。
こいつ、礼儀作法できたのかよ、とその顔は如実に語っていた。
できるに決まってんだろ、中身おっさんだぞ。礼儀作法の教師にやる気出した時だけじゃなくて常にやれって褒められてんだからな。
幼馴染マッマもエドアルドくんの紳士ぶりを褒めてくれた。
美人に褒められるのは良いね! なんか息子さんが複雑な顔してこっち見てますが知りませんね。
「さあ殿下、幽霊探しは終わりましたでしょう? そろそろお戻りなさいませ」
立ち上がった幼馴染マッマがそう言って幼馴染くんを促した。
幼馴染くんはそれにはあい、と素直に応じる。エドアルドくんの手を引いて母上またねー! と軽く言って幼馴染マッマの前を辞した。
引っ張られたエドアルドくんがそっと振り返ると、幼馴染マッマは微笑みながら指を口に当てた。なるほど、内緒なんだ。
階段をぴょんぴょんと降りる幼馴染くんがそういえばさー、と不意に言った。
「母上、なんで1人でいたんだろ? いつも誰か一緒にいるのに」
そりゃ王族の秘密のアレ的なアレだろ? とエドアルドくんの中のおっさんが呟く。内緒内緒。
「俺は誰も見てない」
エドアルドくんがそう言うと、幼馴染くんはぽかんと口を開けてエドアルドくんを見た。
「母上、いたよ」
「お前も誰も見てない」
立ち止まった幼馴染くんの手をエドアルドくんが引く。
階段を降り切って庭に出る。
見上げた月見台に人影はもう見えなかった。
なぜかおしゃべりな護衛も、え、どういうこと? と呟いて同僚に殴られた。
お前は察しろ。そんなんだから第三王子宮に配属されるのだ。
その後、幽霊の歌声の噂はパッタリとなくなった。
臥せっていた側妃様のご容態がいよいよよろしくない、と侯爵パッパに告げられたエドアルドくんはナイーブな思春期の幼馴染くんを労るために美味しいおやつを持って第三王子宮を訪ねた。
遠くないうちに母親と永の別れを迎える少年になんと声を掛ければいいのか、前世のおっさんも分からぬが辛い時にそばにいてやるのも親分の務めである。最近流行りの城下町でしか買えない菓子を無理やりでも食わせてやろうではないか、とやる気満々で参内したのに肝心の幼馴染くんがいなかった。おい、このやる気をどうしてくれんだ。そもそも王宮に事前の連絡なく来るエドアルドくんが悪いのだがそれはそれとして置いておく。
絶対にこの美味しいおやつを食わせてやるのだとエドアルドくんは決意して幼馴染くんを迎えに行った。
青と白の花が咲く庭園の青月宮、その月見台に幼馴染くんはいた。
懐かしい場所だ。幼馴染くんマッマにここで一度だけ会った。幼い記憶が鮮明なのはエドアルドくんが彼女に会ったのはあの時が最初で最後だったからだ。
彼女は公式の場に出ることは一切なかった。私的な茶会さえ催すことなく、王の隣には常に王妃が立った。
エドアルドくんは幼い頃、幼馴染マッマはコミュ障かな? とか失礼なことを思っていたが、流石に十年も王宮に通っていれば察する。それが彼女の生き残る術なのだと。
幼馴染マッマは元々は王妃の侍女だった。王妃の実家である公爵家から連れてきた寄子の伯爵家の娘だ。王妃と年が近いという理由だけでつけられた。特に可もなく不可もない家の娘。数年勤め上げて箔をつけてから結婚退職する腰掛け侍女だ。中位貴族によくあるやつ。実際、彼女には婚約者もいたらしいとかなんとか、その辺の大人の事情はエドアルドくんにはまだちょっとねと教えてもらえなかった。
彼女の運命は王妃との間に子に恵まれなかった王が側妃に彼女を選んだことで大きく変わることになる。
自分が仕えた主のことをよく知っていた彼女は側妃に選ばれても決して奢ることなく慎ましやかに控えた。寄子の娘だということで王妃の実家である公爵家が後見となったことで王妃も迂闊に手を出すことはなかったが、それもまた王妃の気に触った。
王妃の苛烈さ、残虐さを知っているからこそ気の休まることのない王宮生活であったことだろう。
まして第一王子であるチート様が生まれてからはいわんをや。
「子守唄は歌わねえの?」
あの日、幼馴染マッマが歌っていた歌を思い出しながらエドアルドくんは月見台に立つ幼馴染くんに聞いた。
「そこまで感傷的じゃないよ」
艶やかな黒髪のその後ろ姿は母親とよく似ていたが振り返った幼馴染くんにはあの儚さはカケラほどもない。チート様も髪色だけそっくりだけどあんま似てないんだよなあ、遺伝子の不思議、とエドアルドくんこっそり思ったり。
「エドは分かってたんでしょ、ここから見えるのが」
急に何よ? とエドアルドくんが幼馴染くんのそばまで近づく。月見台から見えるその景色を特に感慨もなく眺めた。庭と小道と他の離宮と隔てる林、その向こうには比較的近い第三王子宮、そしてそのずっと先、かすかに屋根だけが見えるそれ。
「ヴェルリッド様の宮じゃん」
ほーん、とエドアルドくんは頷いた。なるほどね、謎は全て解けたね。
「母上は本当は兄上を気にかけてらっしゃった。ずっと、ずっとだよ。私は愚か者だから、今日までそれに気が付かなかった」
ちょっと九九を教ええただけで三桁の暗算をマスターしたやつがなんか言うておる。エドアルドくんは思ったが空気の読める大人だったので黙った。
「エドは気が付いてたんでしょ? だからあの日、誰にも会ってないって言ったんだよね」
側妃が第一王子を気にかけていると知られてはいけない。
生まれたばかりの我が子と距離を置くこと、それが彼女が選んだ生き延びる道だった。
チート様が生まれたばかりで乳母の指を折ったかどうか知らんが侍女の肋骨を折ったのはマジなのは本人から聞いたのでエドアルドくんも幼馴染くんも本当だと知っている。本人ケロッとそういえば折ったなと言っていた。マジかー、すげーけど力加減の練習しようねー! と幼児抱っこチャレンジをしようとしたが護衛に止められた。結局チート様が力加減を習得したのは庭に集まる猫どもを退けるためだった。猫は偉大。
それはさておき、きっと噂の真偽は重要ではないのだ。
もしチート様が規格外の怪力を持っていなかったとしても彼女はきっと同じ選択をした。
第一王位継承者と距離を置くことで国母としての権力を欲しないと王妃と公爵家に示す。
王妃の座を脅かさないこと、それを態度で示したのだ。
そして、それは母親に見捨てられた子として王妃の溜飲を下げ、王妃の悪意から息子を守ることにもなった。
なんの力も持たない彼女が自分と息子の身を守るためにできた精一杯の生存戦略。
「いや、知らんがな。五歳児に何を期待してんだお前は」
五歳の時には分からなくて不思議だった、こんな優しそうな人が自分の生んだ子を抱き上げることさえ拒んだのかと。
少しずつ見聞きするものが増えるうちにエドアルドくんにも察するものがある。
察するものはあるが、それは中のおっさんが齧ったオタク知識と貴族教育のおかげである。五歳ちゃんが察するわけがないのである。
え? と幼馴染くんがエドアルドくんを見る。こっちの方がえ? である。
「じゃあなんで見てないとか言ったのさ! あんな意味ありげに言ったくせに!」
「はー!? 逆ギレよくないと思いまーす! エドアルドくんは良い子なので! お父様に王宮で見聞きしたことは無闇に話しちゃいけないし、特に王族に関しては見ても見なかったことにしなさいって言い聞かせられててー! ちゃんと言う通りにしたんですー!」
理不尽に怒られたのでエドアルドくんはちゃんと自分の正当性を主張した。
幼馴染くんはその主張にぐっと押し黙った。
「俺が天使のような五歳児だったからって全知全能ではないのでー、そんな期待されても困るー。天使のような美貌なのは認めるけど天使じゃないんで」
ドン引きー、と幼馴染くんからちょっと距離をとる。そう言う思い込みって後で黒歴史になるからやめた方がいいよと中のおっさんが呟いたけどエドアルドくんは優しいので黙っておいた。
幼馴染くんはしゃがみ込んで頭を抱えてしまった。
「んで、どうすんの? 行くの?」
呆れながらエドアルドくんは幼馴染くんに尋ねた。
頭を抱えていた幼馴染くんはチラリとエドアルドくんを見上げて、すぐにまた視線を床に落とした。
「行かないよ」
護衛の騎士を階下に待たせてまで1人で月見台に来たのはあの日、幼馴染マッマが来た道を探すためだろう。
容体の芳しくない側妃様は医師と王以外面会謝絶で息子でさえ会えていない。最後の時が近いと実しやかに囁かれ始めても面会の許可はおりなかった。
誰かさんの嫌がらせだろうな、と予想はつく。
十五歳の息子が余命いくばくもない母に会いたいと思って何が悪いのか。
記憶の中のわずかな希望に縋っても仕方ないとエドアルドくんは思う。
よいしょっと、年寄りじみた掛け声で幼馴染くんが立ち上った。
月見台から見える第一王子宮のかすかな屋根に目を細める。
「母上が守ろうとしていたものを、わざわざ無駄にする気はないよ」
彼女が母親として本来なら惜しみなく与えたかったであろう愛情は誰にも知られることなく消えていくはずだった。
自分と息子たちの命を守るために。
「兄上が帰ってきたら、教えてあげなきゃ」
幼馴染くんがそう言って寂しそうに笑った。
「子守唄も歌ってあげなよ」
エドアルドくんがそう言うと幼馴染くんは微妙な顔をしてエドアルドくんを見た。
十五歳の弟が二十歳の兄に子守唄を歌ってあげるのはちょっと、と顔に書かれていたような気もする。
まあ、そんなことは気にしないでエドアルドくんはあの日とは逆に幼馴染くんの手を取って歩き出した。
「めちゃくちゃうまいって評判の菓子持ってきたからおやつにしようぜ!」
引っ張られた幼馴染くんがそっと振り返る。
誰もいないテラスに、小さな子守唄を口ずさむ母の面影が見えた気がした。
チート様が母上のお話を聞けるのはさらに二十年以上の月日を要するお話。