• 歴史・時代・伝奇

「平成転生 馬事累々」の修正事項、こちらに移植しました

完結に際しまして、連載時の誤り修正のご案内を近況ノートに移植してみました。タイムパトロール的な案件から、単純ミスまで含めまして、ご指摘ありがとうございました。


【平成元年(1989年)~平成二年(1990年)】

カクヨムの読者様の指摘で気づいたのですが、今回の話で、主人公が転生場所を「諏訪平」と表現していましたが、正しくは「佐久平」となります。
諏訪と佐久は長野の中でも別の地域で、わかっていたはずなのに、誤記した形となっています。
現在は修正済みとなります。ご指摘いただいた方、ありがとうございました。

また、同じ方から上田競馬場は存在しないのでは、とのご指摘も。
上田競馬場は架空の競馬場となっています。現実にあった競馬場を舞台にすると色々制約がきつくなるので、架空の舞台を作った状態です。
作中では主人公の語りも三人称視点でも、主人公前世から存在したとの立場からの叙述なので、架空だと触れるわけにはいかなかった状態でして。

そして、上田市について触れる内容については、現実の上田市の実状とは異なっております。ほかをできるだけ現実に沿わせている中で申し訳ないのですが、上田市だけほぼ架空状態という形でご承知おきいただけると幸いです。

【平成四年(1992年)】

カクヨムの読者様のご指摘で気づいたのですが、前稿で誤記がありました。

× 山梨にもバブルの風は吹いているのだろうが、小学一年生では実感はない。
○ 長野にもバブルの風は吹いているのだろうが、小学一年生では実感はない。

ごく初期に甲府を舞台にしようとしていた時期はあったものの……、見逃しで失礼いたしました。

【平成五年(1993年)】

現時点では修復済みですが、公開時点で重大なミスがありました。
実在馬のライスシャワーをモデルとするフラワーシャワーの死期が二年早まって、この年に亡くなったことになってしまっていました。

カクヨムでの読者さまに指摘いただいて把握できたのですが、お恥ずかしい限りです。天皇賞を二度制覇しているので、どこかで混同した模様で、当初は二年後のことに言及していた仮の文章を、見直し時に変容させてしまったものと思われます。たいへん失礼いたしました。

今回のようなタイムパトロール的な修復、ないようにしたいとは思いますが、もしお気づきの点など出てきましたら、感想欄などでこそっと教えていただけると助かります。完全破綻でないようでしたら、修復作業にかかりますので。

【平成七年(1995年)正月】

読者の方からご指摘いただいたのですが、この話での牝馬三冠のエリザベス女王杯について事実誤認による誤った記述をしておりました。

牝馬三冠の最終戦が1995年にはエリザベス女王杯だったのは間違いないのですが、古馬混合ではなくて四歳馬(当時)限定戦でありました。
1996年に秋華賞が創設されて、エリザベス女王杯は牝馬三冠から外されて、古馬混合戦になるという流れとなります。

この過程を、「それなら新設するレースを古馬混合戦にして、エリザベス女王杯は牝馬三冠のままにすればいいのに。同じ名前でカテゴリが変わるのはあんまりだ」と思った記憶があるのに、いつの間にか記憶が変容してしまっていた模様です。失礼いたしました。

それを踏まえまして、当該セリフにはタイムパトロール的修正を実施いたしております。

誤)
「中央競馬の三冠……、牡馬での皐月賞、ダービー、菊花賞、牝馬の桜花賞、オークス、エリザベス女王杯も、ヨーロッパの概念の借り物だから、似たものを作って問題ないはず。牝馬に至っては最後のエリザベス女王杯が古馬混合ってとこまで踏襲しているしね。中央競馬では、いずれ、三歳馬……じゃなかった、四歳馬限定の牝馬三冠最後のレースが設定されるだろうけど」

正)
「中央競馬の三冠……、牡馬での皐月賞、ダービー、菊花賞、牝馬の桜花賞、オークス、エリザベス女王杯も、ヨーロッパの概念の借り物だから、似たものを作って問題ないはず。牝馬は近々、エリザベス女王杯の位置づけが変わるはずだけど」

なお、事実誤認やタイムパトロール的な修正を施した場合、対象となった話のあとがきと、修正後の最初の公開話の前書きでお詫び的な紹介を掲載しまして、最新話の方は数日経過後に抹消する形を想定しております。

【平成七年(1995年)夏~秋】

今回の話で触れております、新世紀エヴァンゲリオンの長野での放映時期についておことわりをさせてください。

感想欄にて、長野ではテレビ東京系列の放送局がなかったので、初回放送は97年になるとの情報をいただきました。
調べてみると、確かに信越放送での初回放送は97年からとなるようです。

反映させれば、長野の事情が盛り込めるというメリットはあるのですが、時期がずれると同級生三人の関係性が変わってくることもあって、抜け道を探したところ、その時期には長野のケーブルテレビで域外再放送という形で関東キー局が視聴可能な場合があったとのことでした。

実際に見られたのかですとか、裕福ではない状態でケーブルテレビに加入することの現実感はどんなものかといった話もあるのですが……。
ひとまず現行のままにして、こちらの情報を注釈として掲載しつつ、改稿時に何らかの対処をする方向としたいと思います。

ご指摘いただいた方には深く感謝しております。


【平成八年(1996年)夏~冬】

本文終了後にお邪魔してすみません。

読者様が競馬に詳しい方ばかりではなさそうというのを受けまして、競馬用語の概説を不定期で付け加えようかと思っております。本編とは関係しませんので、ご興味ある方だけご覧いただければ。

溜まったら、用語集としてまとめようかとも。いまいちよくわからない用語などありましたら、感想欄やメッセージでおしらせいただければ、優先的に取り上げるようにしようと思っています。

以下にも距離体系とか、年齢、中央地方、芝ダートなど、いろいろと要解説ワードが詰まっておりますが、まずは三冠からとさせてください。


<三冠>

 発祥は近代競馬の誕生したイギリスでの三冠レースとなります。

 英三冠は3歳(満年齢相当)のまだ若い馬たち限定で、いずれも芝レースとなります。牡馬は英2000ギニー(1600m、4月下旬~5月上旬)、英ダービー(2400m、5月下旬~6月上旬)、英セントレジャーステークス(2900m、9月上旬~中旬)の三つのレースが該当し、三つとも制覇すると三冠馬となります。
※ヤード法なので本当は端数がありますが、簡略化させるために十の位までまるめてあります。
 牝馬は、英1000ギニー(1600m)、英オークス(2400m)、英セントレジャー(3000m)の三つのレースとなります。

 距離体系の話はまた別に紹介したいと思いますが、時代が下るに従って専門性が分かれてきているために、また、期間が長くて調子の維持も難しいことから、三冠制覇が現実的でなくなってきていて、本家では2023年現在、1970年のニジンスキーを最後に50年以上達成馬が出ていません。

 ダート競争が中心のアメリカでは、ケンタッキーダービー(2000m)、プリークネスステークス(1900m)、ベルモントステークス(2400m)を5月から6月にかけて連続して行う形となります。
※10の位まるめ

 こちらは逆に短期間で3レース行う過酷さもあってか、1978年のアフォームド以来途絶えていましたが、2015年にアメリカンファラオ、2018年にジャスティファイが達成しています。

 日本では、イギリスに似た構成で、芝で牡牝の三冠が行われています。

 牡馬は満3歳相当の春の皐月賞(2000m)と晩春のダービー(2400m)、秋の菊花賞(3000m)の三レースです。
 牝馬も満三歳相当の春の桜花賞(1600m)と晩春のオークス(2400m)、三冠めは開始当初はエリザベス女王杯(2400m)、途中から秋華賞(2000m)となっています。

 牝馬の三冠目が菊花賞だったら、皐月賞の距離を除けばだいぶイギリスに近くなる形ですね。
 また、牡馬の三冠レースと、牝馬の桜花賞、オークスの5レースをクラシック競争と呼ぶ習慣があります。

 ダートの三冠は、かつて中央でも設定されましたが定着せず、南関東の三レースがありますが、中央の三冠に比べれば扱いはだいぶ軽い状態です。


 各国でも、日本では各地方競馬場でも、三冠が設定されている場合が多いです。

 また、同じカテゴリーで三つの大きめの競争がある場合、ほにゃらら三冠と呼ばれることも。
 中央では秋古馬三冠、春古馬三冠が公式設定として存在していますし、その他にも。

 そして、日本では三冠を制した馬が、他の大レース(GI)を制覇した場合、その数を加えて四冠馬だとか、七冠馬なんて呼ぶ場合も存在しています。


【平成九年(1997年)晩春】その1


<馬の成長>

 馬の妊娠期間は11ヶ月ほどで、日本を含む北半球では発情期の関係から、春に種付けされて、翌春に産まれるのが通常となっています。
 
 年齢表記は、日本ではかつては生まれた年が一歳とされていましたが、現在では国際標準に合わせて誕生年が0歳となっています。加齢は北半球では1月1日となります。

 生まれてすぐに立ち上がるとはいえ、0歳、1歳はまだ仔馬で、日本では2歳(かつては3歳)の春頃から早い馬がデビューする流れとなります。
 3歳の晩春に、その世代の頂点を決めるダービーが開催されますが、成長段階としては高校生くらいで、甲子園のような位置づけかと思われます。その頃までは、3歳は年長馬とは同じレースには出ずに、同世代だけで競います。
 3歳の秋からは、古馬と呼ばれる4歳馬以上の馬と混ざって戦うのが普通になり、4歳になれば古馬の仲間入りです。
 ただ、成長曲線は馬それぞれで、4歳になってから本格化する馬も存在しますし、4歳でだいぶ衰えてしまっている馬も。それぞれ、晩成型、早熟型なんて呼ばれ方をします。

 競争能力が衰えると引退という流れとなりますが、特に強い馬は、次世代へ能力を伝えていくことが期待されて、早めに引退する場合もあります。
 長く活躍できる馬も存在しますが、ほとんどの馬が8歳くらいまでには引退していき、10歳まで走る馬はややめずらしい存在となります。
 数日前に19歳で現役のまま永眠したというヒカルアヤノヒメ号はだいぶ特殊な事例としてよいと思われます。

 引退後の進路は様々で、種牡馬、繁殖牝馬になる場合もあれば、誘導馬になったり、乗馬になったりというのもあります。
 種牡馬や繁殖牝馬の活動時期は、20歳くらいまでで、長生きする馬は、シンザンで35歳、更に長寿の馬も、という感じです。

 なお、乗馬には色々あるのですが、本稿では深くは触れない形を取らせていただければ。
 

【平成九年(1997年)晩春 東京競馬場】


<競走馬としての馬生>2023/11/21の22:55頃に多少手直ししております。

 中央競馬での説明になりますが、馬がデビューして出世していく過程をざっとご紹介します。

 新馬戦は、初出走の馬限定のレースとなります。かつては、同じ開催の新馬戦なら何度か出られたのですが、2002年で生涯に一度だけというルールに改まっています。

 未勝利戦は、新馬戦で勝ち上がれなかった馬を含めた、勝利したことのない馬限定のレースとなります。

 勝ち上がりますと、条件戦、オープン、オープンの中でも大きなレース(重賞)の中から出走するレースを選ぶ形となります。
 基本的には、条件戦が相手関係が弱いために、そこから挑戦して勝ち上がっていく流れとなりますが、まだデビューした馬が少ない時期や、人気のない条件などでは、いきなり重賞に挑むこともあります。

 レースに出られる優先順位としては、獲得賞金のうちの本賞金の累積額が多い順というのが基本となります。応用もありまして、制度がわりところころ変わってきているので、あくまでも基本として捉えていただければ。
 
 条件戦は、本作の当初は本賞金の累積額によって、500万下(500万以下の馬だけ出走できる)、900万下(1000万下)、1500万下(1600万下)といった条件でした。古馬になると、額を半分にみなす、といった処理が行われた時期もあり、同一条件でも実績の差が大きい場合がある状態でした。
 現在では、勝利数によって1勝クラス、2勝クラスというカテゴリー分けに改められています。

 なお、より楽な条件で出れるのにも関わらず、上のカテゴリのレースに出走することを、格上挑戦と呼びます。


【平成十年(1998年)夏】その2

読者の方のご指摘で気づいたのですが、夏休みの時期について誤認しておりました。北海道とそれ以外で
夏休みの長さに違いがあるという主旨の記述をしておりまして、昨今は本州でも8月20日頃までになってきているけど、この頃は夏休みは8月末だったんだよね、という意外感を出そうとしたのですが、長野はこの頃から8月中旬には終わっていたそうで。

平成十四年度ですが、3ページ目に
https://www5.cao.go.jp/keizai2/2002/1009gakko-kyugyo.pdf

長野事情の把握度の低さがバレバレではありますが、タイムパトロール的な対応も含めまして、修整処理を行っております。

ご指摘ありがとうございました。

元記述)

「美冬、どうかな?」
「夏休みが終わる少し前には」
「そろそろってことか?」
「いや、八月いっぱいまでは」
 話のズレは、北海道と長野での夏休み期間の違いから生じたものだった。


変更後)

「美冬、どうかな?」
「八月の末までは」
「ああ、内地は夏休みが長いんだったか」
 爛柯牧場の場長が得心顔となったが、孫娘は首を振った。
「ううん、長野は八月の中旬まで。でも、トッキー先生に話は通してあるから」
 トッキー先生とは、美冬と智樹の担任を務める女性教諭、土岐つばさのことである。聞かされていなかった智樹は、彼女が承諾しているのなら問題ないだろうと思いつつ、美冬が家族の了承を得ているのかどうかがやや心配になった。
 母親に電話をしておこうと胸中でメモを取り終えたところで、彼は高い夏空を見上げた。緩やかな風が、牧場の樹々を揺らしながら通り抜けていた。


【平成十一年(1999年)春~夏】

カクヨムの読者様のご指摘で気づいたのですが、若番頭が名を挙げたキングカラカウアは、そのモデル馬であるキングカメハメハがまだ生まれておりませんでした。
キングリンボー(キングマンボ)系の代表馬との意識から、父親と混ざってしまったようでありまして。

ブライアンズタイムス(ブライアンズタイム)に置き換えることも考えたのですが、ちょっと意味合いが変わってくることから、キングリンボー系という形に変更をかけました。

度重なるタイムパトロール案件で、失礼しております。


変更前)
 若番頭から示された来年以降の種付け方針を一言でまとめると、現在のダート向きの頑丈な馬を出す繁殖牝馬達を整理して良質な繁殖牝馬を確保し、サンデーサイレントや、キングカラカウアをつけたい、というものだった。
「キングカラカウア牝馬に、サンデーやその後継種牡馬を付けられるようになれば最高の展開だなあ。そして、有望な馬は譜代の育成牧場に預けたい。そうでもない馬は、トレーニングセール向けに……」

変更後)
 若番頭から示された来年以降の種付け方針を一言でまとめると、現在のダート向きの頑丈な馬を出す繁殖牝馬達を整理して良質な繁殖牝馬を確保し、サンデーサイレント系や、キングリンボー系をつけたい、というものだった。この時期、キングリンボーの初年度産駒であるエルコンドルパサによる凱旋門賞挑戦は、競馬界の大きな話題となっている。
「キングリンボー牝馬に、サンデーやその後継種牡馬を付けられるようになれば最高の展開だなあ。そして、有望な馬は譜代の育成牧場に預けたい。そうでもない馬は、トレーニングセール向けに……」


【平成十三年(2001年)晩春~秋】

馬名を実名から仮名的なものに置き換えているのですが、その際に本来の日本のルールである9文字までというのを緩和させておりました。
ただ、やはり詳しい方には違和感が強そうということで、過去にさかのぼって置き換えてみております。
それと、ジャパンカップダートから変わるダートGIの名前に誤りがありました。チャンピオンズカップが正しいです。チャンピオンステークスと書いてしまっていました。

以下、既に登場していた分の変更一覧となります。ついでにオペラオーは、よりラオウ感を出してみております。
ダンシングパートナー → ダンシンパートナー
ワンダフルパヒューム → ミラクルパヒューム
ライディーンリーダー → リンドンリーダー
シークフォーザパール → サーチングザパール
ティーエムオペラオー → エムテイオペラオウ
ダンシンインザダーク → ダンスインザナイト
ドリーミンジャーニー → ドリームトラベル


【平成十四年(2002年)七月】

この回の日韓ワールドカップにつきまして。すみません、うろ覚えで書いてしまっておりまして、一度は日本開催で決まっていたのが、日韓共催に変わったように記してしまっておりましたが、決定時点で日韓共催となっていたのですね。下記のように修整をかけております。

修正前) この年に行われたワールドカップは、日本の単独開催だったはずのが、よくわからないままに日韓共催に変更されるという謎展開だった大会である。

修整後) この年に行われたワールドカップは、日本での単独開催を目指していたのが、よくわからないままに対抗馬の韓国との共催になるという謎展開だった大会である。

【平成十四年(2002年)晩秋~冬】

馬名に絡んで、もう一点微調整を実施いたしました。たびたび申し訳ありません。

従来)トウケイテイオー
変更)カイトウテイオー


【平成十六年(2004年)晩秋~冬】

ご指摘を受けての補足描写の追加を実施しましたので、お知らせさせてください。

指摘というわけではなく、こそっと触れていただいたダート系種牡馬につきまして。
前話でダートの種牡馬についての検討するくだりがありましたが、この時期にデビューしていて、今後の地方競馬リーディングで活躍するサウスヴィグラスについて触れておりませんでした。
実は、作者のリサーチから完全に漏れておりまして……。

もっとも、自身も短距離を得意としていて、種牡馬としても短距離向けの産駒を多く出すため、少なくとも主力として導入することにはならなさそうです。ただ、その理由の説明ががまったくなされておらず、不自然な状態となっていました。

短距離は、中央でも地方でもレースが比較的多く、中長距離ほどではないにしても大きな位置を占めています。そこに特化するのは、むしろ理に適っているのですが……。
主人公も作者も、長距離に漂うロマンに引きずられており、ダートにもそれを適用してしまっている面がありそうです。
一方で、天元護久氏に智樹が短距離特化を提案していたら、こういう展開にはなっていなかっただろう、というのもありまして。

ともあれ、説明ゼリフを追加する形で、せめて補足をさせていただこうかと。

//////////
「いや、芝の長距離を目指すのなら、本来的に長距離血統ではないサンデー系とは別の選択肢があるというだけで、つけたくないわけでもないんだ。ただ、多様性は確保しておいた方がいいとも思う」

 やや考え込むように、年長の方の番頭役が応じてくれた。

「短距離路線に手を出すのなら、サザンヴィグラスがよさそうですが、やはり中距離からクラシックを狙うのですよね」

「そこは……、できればそうしたい。ダートで強化していく血統が、やがて芝馬との絡みも出るかもしれないし」

 短距離は、資金効率的には魅力的な分野だし、短距離血統も長距離ほどではないにしても軽んじられる傾向があることから、保全しつつ強者の血を入れていくやり方も考えられる。ただ、なんというか、ときめきが感じられないのも正直なところだった。

 若い方の番頭役が、うんうんと頷いた。

「まあ、短距離を否定するわけじゃないが、やっぱり気分が出ないよな。……ブライアンズタイムスは、
//////////


 検討漏れに気づかせていただいて、助かりました。とても感謝しております。


【平成十八年(2006年)春】

感想欄で、改変している馬名の元ネタがわかりづらい、というご指摘をいただきました。
念のための改変で、詳しい方がわからないようにするつもりはありませんので、同様のケースでは後書きで触れるようにしたいと思います。

今回の対象馬は、作中でのスピキュールとなります。

作中)スピキュール
史実)スパイキュール

由来は「太陽の周りで燃え上がる炎」だそうで、意味的にもじってはどうやってもたどり着けなくなるので、おそらく同じ英語読みでのカタカナ表記揺らぎと思われるスピキュールに改変した(ウィキペディアでのその現象はスピキュール表記)のでありました。

芝では走らず、ダートでは7戦7勝、重賞挑戦を控えての骨折で引退という流れで、同じくダート特化型SS直仔のプラチナアリュール(ゴールドアリュール)代替的な位置づけで重宝されたようです。
初年度から地方の地域限定戦ながら重賞馬を送り出しているのですが、2013年に韓国に売却されて、その後の詳細は不詳だそうです。
2013年の種付け料は受胎条件で20万円だったそうで、種付け数も細っていたようですので、無理からぬ面はありそうですが……、2013年産でプリンシアコメータ、カツゲキキトキトといった活躍馬が出ますので、そのまま日本で種付けしていれば地方競馬の底上げに寄与したものと思うと、ちょっと残念です。
(作中のポリシーとして、海外移動を伴う種牡馬の命運は史実から動かさない、というのがありまして、そこには介入しておりません)


【平成十八年(2006年)晩春~秋】

感想欄でコメントいただいたのですが、孝志郎と雅也が誰なのかすぐにわからなかった、というのはもっともな話でありまして。

補足をかけておりますが、孝志郎の留学資金話、うまく説明できておりませんでしたので、それも併せて対応しております。
(大学には貸付型奨学金を利用して進んでおり、卒業後の海外留学を給付型奨学金を得て行く想定が審査落ちとなり、貸付型を重ねるとさすがにきついので断念想定が、天元財団によって大学、海外留学分をまとめて奨学金給付、となったのでした)

調整前)
 と考えている間に、スタンド付近にいた琴音嬢……、ことねんの元におでんとコップ酒、それにクレープらしき小洒落たスイーツがもたらされた。ビジョンに大写しになっていることねんの横で、おでん皿を捧げ持っている人物に、見覚えがある。顔は写っていないが、どうやら弟の雅也である。手伝ってくれるとは聞いていたが……。

 馬場では、既に本馬場入場を終えた馬たちが輪乗りを始めている。ことねんは、朝からそこそこの的中を出していて、増えた軍資金で有り金勝負を仕掛けるようだ。


調整後)

 と考えている間に、スタンド付近にいた琴音嬢……、ことねんの元におでんとコップ酒、それにクレープらしき小洒落たスイーツがもたらされた。ビジョンに大写しになっていることねんの横で、おでん皿を捧げ持っている人物に、見覚えがある。顔は写っていないが、どうやら弟の雅也である。手伝ってくれるとは聞いていたが……。

 六つ下の弟の雅也は、地元の高校に進学している。背は俺より大きくなったようだが、表情の柔らかさは変わっていなかった。

 馬場では、既に本馬場入場を終えた馬たちが輪乗りを始めている。ことねんは、朝からそこそこの的中を出していて、増えた軍資金で有り金勝負を仕掛けるようだ。


調整前)
 秋が深まった頃に孝

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