星の一族における、設定、考証について……
◯序章
・作品内のセリフ
時代劇語(実際にそんな言い回し、発音で用いられた事はないけど、時代劇でお馴染みの昔っぽい言葉使いのこと)はいれないようにしました。
また、
セリフは全て実際に話されている言葉の『意訳』であるという前提に立っています。
この当時の倭では、上代日本語が話されていました。
・鸕野讚良、珂瑠という呼び方
当時、まだ天皇という号は少なくとも普及してはいなかったはずで、
持統、文武というのは後の時代で付けられた諡号です。
存命中、彼らは名前やオオキミ、と呼ばれているはずです。
万葉集や木簡を見ても、オオキミの字は様々な字が当てられていますが、
本作では大王と統一しています。
・志良守叡草
日本書紀に記述がある、粛慎とされる人物。
斉明朝の頃に、錦袍袴(にしきのきぬはかま)・緋紺絁(ひはなだのふとぎぬ)と斧等を賜っています。
・草薙剣
天国が大極殿に訪れた少し前の時代ですが、草薙剣が盗難されかけた、という事件の顛末が日本書紀にはあります。
本作では、草薙剣の実際の姿について描写する事はありません。
作品のカメラワークとして、決してカメラのフレーム内に草薙を収める事はありません。草薙は決して見てはいけないもので、それは我々も同じだからです・・・!
・髪を束ねている
当時は多くの人々は伸ばした髪が邪魔で纏めていて、それを辮髪(べんぱつ)と言ったりしますが、日本では美豆良と言ったりします。(とは言っていない)
美豆良は出土する埴輪から想像するかぎり様々なバリエーションがあったはずですが、この当時どうだったかというと未知です。
本作では、地方ごとにもいろんな髪型があったはずだろうという立場です。
・赤紫の袍
日本書紀にある志良守叡草がもらった緋紺絁で作られた袍がこれです。
当時の位階としても高位に属していそうな色ですが、実際は位階ごとの色は使う原料が定められている可能性が高く、
正式な原料でなければ、ましてそれが絁という質が絹より劣る(ただし、律令が用意された当時では、絁と絹と呼ばれる織物の品質差が確認できません)織物であれば「あ、位の高い人しか着れない服を勝手に着てる」という事にはならないはずです。
・無聊な態度の役人
虎尾達哉氏の『サボる官僚』を元に考証したものです。
割とフリーダムというかテキトーな人達というのが、古代人の実際……?
・国振立命
天国について記述がある宇多郡誌、八坂神社の社誌には、崇神天皇に言われて霊剣を造った。とだけありますが、草薙の事だと思われます。
天目一箇神の孫にあたる人物だそうです。
・「神話や伝説の類は遥か西域から辺境の蛮族のものまで集めさせた」
日本書紀で語られる日本神話や歴史には、どう見ても他神話など逸話の模倣が存在します。様々な神話や逸話を持った民族が長い時間をかけて分派、移動、融合しつつ日本の土着信仰として伝播、収斂してそうなった、という部分は当然あるはずですが、
それとは別に「ナウいハッタリの効くエピソードを模倣して土着信仰に混ぜ、独自宗教としての権威を高めようとした」という可能性がかなり高く、本作でもその立場に立っています。
・藤原京の大極殿
概ね平城京の大極殿には仏教系の絵画が描かれていたのだろうと推測がなされています。
然し、藤原京の大極殿には、仏教ではなく、日本神話についての絵画を(も)描いただろうと考えました。
持統らは日本書紀を編纂させ、伊勢神宮などの神社や儀式を整備していますが、これは明らかに他国に対して「威信を示す事」と同時に「国家の独自性を示す事」を強く意識しています。
威信の中核たる藤原京の大極殿を「日本の独自の神話、宗教」を描いた可能性は決して低くない、と考えました。
後の時代ではより仏教を振興するように政治が変化しますが、したがって平城京では日本神話を元にした何かを殊更用意しなかった、と解釈しています。
・当時の直刀の戦い方
当時の直刀は完全な片手剣とは言えませんが、体配として、両手で青眼、といった構えにやや向きません。
そもそも素肌での斬り合いというのは小手を撫でる事さえ致命的になりかねない無防備かつ危険な綱渡りです。捨て身かチャンバラや剣術の型ならいざ知らず、自由組手状態で懐深く出入りする戦術は採り難いです。
生存率を高めたいなら、
遠い間合いを作り、隙を伺い、攻撃したらすぐ残心して下がる。といった戦術を採る必要があります。
したがって、その動きに適した半身の構えをし、片手で敵に刀をかざしつけて牽制、突くような小さな動きで敵の末端部(小手など)を狙いつつ、隙を見て体幹部への攻撃を試み、或いは間を詰めて組み付く、というのが定石となるはずです。(斬る動作はテレフォンパンチと同じで予備動作がモロバレなので、遠い間合いでは刀をすりあげる動きすら危なくて出来ません)
たとえばフェンシングはそういった戦闘方法に特化した素肌剣術用の武器ですが、互いに徒歩、無防備な状態で殺し合う場合はこうなる、という示唆の一つかもしれません。
桜田門外の変では現場に指がいくつも落ちていた?そうですが、リアルな刀同士での戦いとなると、どうしてもこのような状況になるのでしょう。
「互いの技を競い合う」「一対一で決闘する」という極めて平和な闘争が隆盛するのは、古今東西でも近世以降であり、それ以前は襲われる時も襲う時も集団なので、天国のような「一対一に向いたフェイントやコンビネーション、身体の動かし方の妙」の技術の習得や洗練に労力を割く事は、当時としてはかなり異質……どころか全く無意味な努力だったと言えるかもしれません。