自分でも意識せずに行動を起こすということがあります。
人から言われて、はじめて自分の行いに気づいた例です。
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中学1年生の時のはなしです。
中学校の図書館で「口笛を吹くのをやめなさい」と国語の先生が言いました。
ぼくは、『誰だろ、口笛を吹いている奴は』と思いました。
口笛がやまないので、先生は名指しまでして、やめるように言いました。
ぼくの名前でした。ぼくは自分でも気づかず口笛を吹いていたのでした。
怖すぎです。いまだに自分自身を信じきれません。
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中学3年生の修学旅行のときの話です。
「いやらしいなあ、女子トイレを覗いて」
化学の先生が名指しで、ぼくに注意したので、自分の無意識の行動に気が付きました。
たしかに女子トイレを覗き見していました。
でも決して、いやらしさから見ていたのではありません。違和感を覚えたからでした。
トイレ休憩が終わりバスに戻ってから考えて、やっと自分の行動に気づきました。無意識の対応力です。
その時まで、ぼくは意識していませんでした。
奥行きのあるトイレの場合、入口近くに男子トイレがあって、女子トイレは奥にあります。
覗き見防止のためです。男湯女湯もそうですね。奥行きのある場合です。
経験上そういう構造になっていることを体が覚えていても、頭は知識として把握していませんでした。
でも修学旅行のときのそのトレイは、女子トイレが入口近くにあって、男子トイレはその奥でした。それをぼくは無意識に普段と違うと思ったのでしょう。体が困惑して無意識に警戒したのでした。
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最後は大学時代のお話です。
友達が早稲田大学に通っていて、そこのカフェに行きました。
ずっと会話を楽しんでいました。
「どうした。何をきょろきょろしている」
と友達に言われて、ぼくもハッとしました。
何できょろきょろしていたんだろう、と自問自答したら、すぐに答えがでました。
ピアノの曲が流れていたのです。ぼくは無意識に、それが生演奏だと気づいていたのです。録音の音と生ピアノの音の違いを感じ取っていたわけです。
本物のピアノがある飲食店に入ったのはその時が生まれてはじめてのことです。警戒態勢です。
だから、「どこにピアノがあるのだろう」とぼくが意識するまえに体が動いていたのでした。
位置的にカフェに入ったときにピアノがあることを見ていたはずなのに、その時には気づきませんでした。友達との会話に集中していたからでしょう。その時は演奏されていませんでした。鳴っていたらさすがに店に入った時点で気づいています。食事の途中で演奏されはじめたのでした。