幽霊やら行方不明やらが怖いのは正体がわからないからで理由がわからないからで、マジックに魅了されるのはタネが明かされないから。
わからない人はミステリアスで男女ともに魅了され、気になる人の蓋を開けてみれば思った人と違う。
未知は嫌悪と魅力の対象で、どう未知かが重要でどんな種明かしかが人の感情に直接影響を与えて、わからないものに触れたいと思いつつもわからないものはとんでもなくエネルギーが必要です。
わからないものに触れるというスタンスは自分を広げるためにも、それこそ成長だの、新しいアイデアだの、ポジティブな意味を生み出すには必須の行為ですが、わからないものに積極的に触れるには生命的な強さが必要になります。
なぜなら恐怖する思いを乗り越えて、まず恐怖に立ち向かわなければならないですし、仮に勢いだの強がりでわからない恐怖に触れられたとしても、発狂せずにその後の人生送れる保証はありませんし発狂せずに恐怖を乗り越えるにはやっぱり生物的な強さが必要です。
なので恐怖を傍観するのか、恐怖に立ち向かうのか、恐怖を乗り越えるのか、そもそも恐怖を避けて生きるのか、恐怖に対するスタンスはその人を表す特徴であり大きな自己紹介になりますし、なにかを生み出すときのその人の価値観であったり価値にも直結するのでしょう。
怖いからこそどうするのか、怖いものをどうするのか、どうして怖いのか、怖くないと思ってるのはじつは未知に触れていないんじゃないのか、怖いと思わないということはそれは強さではなくそもそもそれは異常なのかもしれません。
ひとつ思うのは怖がること自体はとても大事ですし怖がるものはあればあるほど価値につながると思うので、怖いものなんてないというスタンスよりは個人的にはいいと思います。
しかし怖いものにじゃあどう対応するのかが次に必要なアクションで、じゃあそのあとは怖いものに触れた後でどう動くのかという段階に入るので、怖いにまつわるあれこれは面倒ごとがつきものです。怖いだけに。
でも怖いからと言って立ち止まるだけでは論外で、怖さをごまかして突っ走れば勢い任せで残るものがないどころか蓄積してぶっ壊れるかもしれませんし、大事なのは自分の怖さと共存するってのは一番難しいけれど健全なのかなと思います。
難しいからこそリターンもメリットもでかいという。
なら苦労するのがいいのだと思います。
苦労の末の努力には価値がありますから。