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「『君に花を葬《おく》る』への感想」

こちらの作品(全2話、26,427文字)で参加します。
https://kakuyomu.jp/works/16816410413903740056

③冒頭1万字以内に出てくるなかで一番好きな登場人物と台詞

一番好きな登場人物はやっぱり男主人公の修吾坊ちゃまですね。
一番好きな台詞は彼がヒロインとの出会いの場面で語る
「蝶なら好きな所へ飛べる。でも、蜘蛛なら自分一人のおうちが作れるよ」
です。

④1万字程度としてキリの良い話数

前編(11,744文字)だけでも読んでいただきたいです。

⑤具体的な想定読者

戦前の日本作家、特に芥川龍之介や太宰治、竹久夢二ファンの方に読んでいただきたいです。
彼らの作品へのオマージュを各所に散りばめました。

*この近況ノートはこちらの自主企画に参加する条件として作成されました。
https://kakuyomu.jp/user_events/16816700426482631983

3件のコメント

  • こんばんは
    遅くなりましたが、自主企画へのご参加ありがとうございます

     当企画は、文学性の高い作品と題しましたが、まさに純文学への敬愛を感じられる作品に出会えて、嬉しい限りです。
     では、早速ながら、レポートに入らせていただきます。

     本作は、千代の昔語りによって物語が進みますので、とりたてて千代のキャラクター性を描写せずとも、
    千代が、賢さには秀でてはいないものの、実直にして慈愛ある為人ということが、よく伝わってきました。

     その千代のフィルターを通しての各人のキャラクター性も、千代の認識に対する違和感を持たせつつ、描写なされていたと感じます。

     細かいことながら、気になった点は、3つ。


    【人物描写に用いる単語の重複】

     修吾に対する描写、「あどけない」と「いとけない」が、前半約1万字の中に9回出てきます。
     同じ単語を繰り返すことで、印象付ける手法はあります。しかし、今回の場合、修吾の純真さは、蝶と蜘蛛のシーンや、落ち葉炙りのシーンなどで十分に提示されているため、ただの単語を繰り返されることには、くどさや拙さを感じました。

     言葉を置き換えるか、いっそのこと半分くらいは削除しても問題ないかと思います。


    【全体的に、説明過剰になりがち】

     年を取ると、山道はきついですね。
     まして、今日のように雪が降ったりすると。

     リアルに対面していて、同じく窓の外に雪を見ているのですから、「今、雪が降っていること」への言及は、もしかしたら、「特に、ね?」と窓の外を指すだけでも成立することもあるでしょう。
     当作は、全体としてとても良い作風を保っているのですが、しばしば顔を出す説明台詞が、リアルタイムの録音ではなく、「太宰的な書き方による作品」であることを思い出させてしまいます。
     少しの注意でなくなる点ですので、あまりに勿体ないです。


    【作品へのオマージュ】

     2点目とも内容は重なります。
     オマージュ自体は悪くないのですが、本作はそれが目立ちすぎており、作者自身が描きたかった作品というよりも、名作の切り貼りといった印象が勝ってしまいました。

     他の作品を読んでいないので、的外れな指摘になるかもしれませんが、吾妻さんの場合、オマージュはマイナスに働くと感じます。
     ご自身の筆力が、文豪の名作に頼っているものと思わせてしまうからです。

     明らかにオマージュとわかるシーンやアイテムを入れることは控え、自身の色合いを前面に出すことが望ましいかと思います。



     手短で恐縮ですが、以上です。
     私、高校2年の読書感想文を『駈込み訴え』で書いているので、とても楽しく読ませていただきました。

    ありがとうございました!
  • 小鹿さん

    拙作へのご高覧及びコメントどうもありがとうございます。

    丁寧かつ鋭い読み込みに敬服します。

    確かに太宰治や芥川龍之介、竹久夢二らのオマージュ色が過剰になってしまった面はありますね。そもそも主人公兄弟の「津川」という姓自体も太宰治の本名「津島」、「貞吾」「修吾」も「貞治」(太宰治の実兄)「修治」(太宰治の本名)のもじりですから。

    「あどけない」「いとけない」の多用については確かに過剰かもしれないと書いていて思わないでもありませんでした。

    これは修正も含めて検討してみます。

    ただ、冒頭の状況説明に関しては千代の語りで全てが成立する作品の性質上、ある程度はリアルの会話より説明的になるのは避けられないかとも思いますね。

    しかし、読者に違和感を引き起こす描写は作者としても避けたいのでこちらも再考したいです。

    繰り返しになりますが、率直なご指摘どうもありがとうございました。

    太宰治の「駆け込み訴え」は私も昔読んで感銘を受けました。

    書いている間は太宰作品としてはあまり意識しなかったけれど、拙作のラストと多少似ていますね。

    対象への敬愛が憎悪に変わる、崇拝に昇華される点でベクトルは逆ですが。
  • 追記

    改めて検索したところ、太宰治の兄弟に「貞治」はいませんでした。失礼しました。

    まあ、私としては敢えて不品行な兄に「貞潔」を意味する「貞」の字を入れて皮肉なネーミングを意図した面が強いですが。
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