• 現代ドラマ

今月は一作書きました載せました。趣味の産物であり、女子高生とうんこが出てきます。宜しくお願いします。
※精神的にきれいな人にはおすすめできない描写があります

毎回書き上がった瞬間、見てほしい!! の気持ちになってしまい推敲まだなのに気づいたら公開しがちなので本当に良くないです。
公開しておいてなんですが、女子高生うんこの話は本日やっと細部の推敲が終わりました。
でもほぼ何も変わってないよ!!!


※精神的にきれいな人にはおすすめできない話 を書く人が身近にあまりいないので広く募集しています。他意はなく普通に世間話とかがしたいです。
でも女子高生とうんこの話を書いている人と普通に世間話をしたい人はいないかもしれない。

2件のコメント

  • こんばんは。霞と申します。
    御作に勝手にコメントを書いて消して……あげく、当方の近況ノートまでお越しいただいてしまって、本当に本当に申し訳ありません。
    作品、本当に素晴らしかったです。読後、高揚したまま変な上からコメントを書いてしまって、イミフ!恥ずかしい!と消してしまいました。浅慮が恥ずかしいです。いらぬご心労をおかけしてしまい、本当にすみませんでした。
    いまさらですが、お話、本当に良かったです。またこっそり、応援させてください<(_ _)>
  • まずは、不躾なコメントへの返信、ありがとうございました。
    あわせて、惑いを生じさせてしまったこと、深くお詫びします。
    プロフィール欄にアドバイスを求めているとの記載があり、他の方とのコメントのやりとりでも苦心されている様子が見て取れたため、あのようなコメントを残してしまいました。出過ぎた真似だったと、反省しておりました。

    作品、全て拝読しました。
    「無題」も何度も読み直しました。

    ここからは個人的な意見なので、的外れなことを言っているかもしれません。
    長文になります。
    読んでいる途中で不快に感じられたら、その時点で即削除をお願いします。
    お手間を取らせてしまうので、返信も不要です。
    自分は年に何十冊も本を読むような読者家ではありませんし、コンテストに応募できるような作品も書けたことがありません。小説の真似事をしているだけの只の偏屈な人間です。
    それをご理解頂いた上で、以下に目を通して頂けたらと思います。

    まず、「無題」という作品について。
    この作品について、他の読者の方々が残されたレビュー・コメントの中から象徴的な言葉を以下のとおり抜粋しました。
    「狂人のリアリティ」「大人が庇護者でないという気づき」「十代の独特の正義感」「看護師が鬱陶しい」「恐怖心を盛り上げていく」「欺瞞の輪廻」「ユーモアが根底にある」

    自分はこのどれにも共感を得ることができませんでした。
    ユーモアこそ冒頭の掴みの部分で用いられていましたが、「根底にある」と言えるほどではないと思いました。根底にあるのはもっと別なモノだと感じています。
    他の読者と共通するモノが得られなかったことが、「すごさの実感が持てない」とした理由になります。
    自分も含め、この作品を正しく読めている人はほとんどいないのではないか?、とも思いました。


    「無題」は、人物の所作や、その人物が周囲の物事をどう捉えているかで、作中の人物の心の動きを読者が読み取っていくタイプの作品だと感じました。
    作者様の他の作品でいうと「通学路一方通行、道端で雑草枯れてる」が似たタイプかと思います。

    情景に重ねるようにして描かれる心理描写を、読者が読み取り、作者の伝えたいことへ辿り着く。イメージ的には、点と点を繋げて線を描いていく、といった感じです。

    その点と点を繋げていく工程が、この「無題」という作品は、なぜか難しいのです。

    文章は群を抜いて巧みです。使われている言葉のセンスも卓越しています。読んでいて圧倒されるような文章の力も感じます。

    それなのに、点が繋がらなくなってしまう。

    その理由がどこにあるのか断定することはできませんが、なんとなく、ここかな?と思うところはありました。

    (以下、「無題」からの抜粋)
    ――――――――――――
    「違うんです」



     思考が口から出た。
    ――――――――――――

    ここから台詞だけで構成されるシーンが二度続きます。
    文字通り、思考が台詞としてとめどなく出てくるシーンです。
    ここで自分は、作中の人物の感情の遷移についていけなくなり、一気に置いてけぼりにされた感覚に陥りました。何度読んでも、ここで躓きます。
    特に後半の部分。
    自分のような凡人は、ここの急激な変化についていけないのだと思います。
    この感覚は「no title」内の「塵」を読んでいるときにも少し感じました。
    まるで作中の看護師に自分自身がなってしまったかのように、「夕紗」のことがわからなくなります。
    これはこれで作者様の狙いの一つなのかもと思いました。
    「夕紗」の台詞で読者を呑む。──効果は絶大だと思います。
    「すごい」と絶賛される所以もこの辺りにあるのではないかと思います。

    ただその後が、呑まれっぱなしで、終わってしまうのです。
    これ以降、点を繋げなくなってしまうのです。

    冷静になれば、その後も点はあるように見えます。
    「夕紗」が「牧子さん」を「下手くそに作った磁器」と称してしまうほどの変化が起こっていることにも気が付けます。
    でもそれが見えないまま、終わってしまう読者がほとんどなのかもしれません。
    言葉の力の衝撃で混乱したまま、その後を読み進めて、終わってしまう。
    到底、作者様の伝えたかったことには辿り着けず、「文学的すぎてよくわからない」「読解力がなくてコメントできない」という感想が増えてしまう。

    「読み手への気遣い」が必要なのは、この辺りかも知れません。
    台詞の合間やその後に、読者を冷静にさせる一節を挟んだり、もう少し感情の緩急を緩やかにするか、もしくは段階を踏んで変化させる等、他にももっと良いやり方はあるかもしれません。
    ただ、それをすると作品の良さが損なわれてしまう可能性もあります。「読み手への気遣い」を入れるにも、その匙加減はものすごく難しいと思われます。自分だったら匙を投げ捨ててしまうレベル。
    今のままの方が作品としては強烈かもしれません。

    「ルールに気が付いた」のシーンも、「夕紗」以上に読者は唐突に感じてしまい、更に混乱してしまう人も多いかもしれません。
    よくわからないまま、冒頭のゴリラのシーンと、最後のシーンをなんとなく繋げて、無理やり納得してしまっている人もいるのでは?と思えたりもします。

    今までも難解な小説を読むことはありましたが、わからないなりにこれに違いない!と自分勝手に点と点を繋げて満足することはできるのです。でもそれが「無題」という作品では、何度も読み直した今でも満足できておりません(これは自分の非才が原因でもあります)

    すごく勿体ないと感じているのは、すごい作品だと誰もがわかるのに、それを理解できる人は限られてしまっている、という点にあります。


    以上、作者様のご期待に添える内容かはわかりませんが、自分なりに感じた点を述べさせて頂きました。

    作者様の小説に対する真摯な姿勢、自己研鑽への熱意があれば、そう遠くない未来に何れかの賞を手にすることができると信じております。
    陰ながら(また出しゃばるかもしれませんが笑)応援しております。
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