世間的にやって許されることと許されないことの区別が、時々わからなくなる。
友人関係であれば最悪開き直れるのだが
アルバイトなどであればそういう風にはいかないだろう。
どこにあるか分からない地雷を警戒する結果、過剰にオドオドしなければならず、周囲からも逆に心配されてしまう。
小さい頃なら周囲をみてそれに合わせるというのが苦手だった。
気がついたら、そうなってしまっていたのだ。
生まれた時から自分は罪人であるような気がしている。だから世間というものがなんとなく怖い。
理由もなく、他人に罪悪感や申し訳なさ、後ろめたさを感じていて、それ故に他人が怖い。
大学に入った頃は、自分は単にコミュニケーションが苦手なだけで、慣れによって解決する問題だと思っていた。その認識は正しくはあるのだろうが。
だから、サークルに入ったあとは活動の企画に積極的にか変わるようにしたし、1年後期にはサークルの役員に立候補した。(幸運にも役職につくことができた。)
人と関わらざるを得ない環境に入り、関わってきたが、一年たってもなかなか変わらない。
仲のいい友達はできてその人らとは話せるが、その人以外は相変わらず怖いし、知らない人が多い空間は正直、"無理"だと感じる。
先輩に相談してみても、あまりピンと来なかった。
ある先輩は自分は恋愛経験の無さゆえに異性の前だと緊張するのだろうと考えた。
他の先輩は自分にどんどん自己を出して欲しいとアドバイスをしてくれた。
そもそも人を信頼できるできないだったり、存在していていい、いてよくないといったことをあまり意識していない様子だった。
彼らからしてみれば誰かに話しかけるということは話しかけるということであり、それ以上でもそれ以下でもないのだろうか?
人と話せない原因としては一言でいうと自信がないからなのだが、その背景には他人への不信感があるのだと思う
努力している限り愛される。結果を出している限り愛される。自分は裏で陰口をたたかれている。嫌われている。
形は色々だと思うが、どれも不信感ではあると思う。
不信感を持つに至るきったけはいじめ、挫折、虐待、などあると思う。
そういう人が少しでも不信感から解放されて生きるためにできることは、誰かを信じることだと思う。誰かを信じて自分の抱えてるものの一部でも声に出してぶつけてみることだと思う。
家族でも友達でも、いなければカウンセリングでも。
自分というキャラクターそのものを好いてくれる人がいるという感覚が自信に繋がるのではないのだろうか。
自分が幸せになる事を祈っているし、
自分のために考えようとしてくれたり、
自分がより良くなるようにしてくれる
そういう人がいると感じるのことが第1歩だと思う
そして信じたことで事態が好転するという経験が出来れば、なおよしだと思う。
ただ、信頼することの痛みというのもあると思う。
大事な人に裏切られた経験があるなら尚更だ。
これはなかなか人に共感してもらえない苦しみだと思う。
信頼することが怖いというのは特有の感覚だからだ。
正直それはどうすればいいかわからないが、
自分は、そういった恐怖にはネットに文章をアップすることを通して、対処している。
こういう習慣をもつことの利点は最悪の場合、何がが起こっても小説のネタにすればいいと考えられるようになることだと思う
ネットはマイナスな経験が人々の共感を呼び、バフになる特性を持っているので、割と現実的で有効な気持ちの整理の仕方なのかなと思っている