まずはご指摘ありがとうございます、λμ様。
作者の独郎です。
「努力が二割程度しか報われない」という設定についてこれが具体的な数値である必要性があるのかというご指摘で良いのでしょうか?
まずは謝罪させてください。
この設定が上手く機能していないように見えてしまうのは私の作者としての力不足もあります、「努力」という曖昧なものを数値化したことが読者様を混乱させてしまう結果になってしまい申し訳ありません。
ここからは、疑問点について回答を行いたいと思います。
まず「努力」というテーマでものを書くことにおいてこの小説における
「努力」の定義が詳しく書かれていないことがこの疑問の重要な要因になっていると考えられます。
若干、これから明らかになる設定についてのネタバレを含みますのでご注意ください。
まず、この小説内での努力はこの作品における才能を作るためのエネルギー「我力」と深い関わりを持ちます。
我力の定義は
「運命を一つの運動する物体と見たとき、その進行方向と速度を変えるために必要なエネルギー」と
「存在そのものの質量」という二つからなります。
そして「努力」はその「我力の自己生産行為」もしくは「存在そのものの質量を増加させる行為」を指すものと定義されます。
つまり、「努力は数値化できるのか?」という問いについてはこの作品内では運命を変える際に必要となる「存在の質量」を量ることである程度は可能です。
「存在の質量」とは我力の量からなる存在の強さとも言えます、物語で言うなら主人公は存在の質量が大きく、主人公の敵はそれよりも少ない。
サブキャラやモブキャラはもっと低いです。
なので物語上戦ったりするなどしてお互いがお互いの運命が真正面からぶつかり合った場合、この「存在の質量」が大きい方が勝ちます。
存在の質量が大きい方が進み、もう片方は運命のぶつかり合いで進行方向を変えられる、もしくは全ての我力を失います。
このように運命は別の存在の我力によっても動かすことが可能です、
例を挙げるなら誰かに殺されることや医者による延命措置などです。
なんらかの要因で我力を全て失った場合、存在の質量が0になり運命を変えることができなくなります。
これを「作我崩壊」といい、全方向の運命の速度に対しての抵抗力が0になるため全ての運命の最終到達点である「消滅」や「死」に著しいスピードで近づきます。
この「作我崩壊」が同次元の存在以外からの干渉によって起こった場合、
一時的に我力は0になりますが、その次元からの消滅後に取り戻され存在そのものと強く結び付き、高次元からの干渉への耐性を獲得します。
この小説の主人公の持つ「徒労の才能」は努力が全て我力に変換されるというもの。
これはもっと詳しく言えば主人公の存在とは同じ所であるものの運命や存在の質量には関係しないところに我力が蓄積される才能です。
よって存在の質量が増えないため、主人公は自らの力で運命に干渉することが出来なくなっていました。
ですが、ヨンの使途となって二元素世界で行動する際に運命を変えられないのは致命的なものとなります。
自分の運命を変えられないから理不尽な死を迎えてしまう可能性があり
他人の運命を変えられなければ仲間にすることが出来ません。
ですが徒労の才能の性質は最強チートに対する対抗策の才能を生み出すためにどうしても必要になります。
なのであくまで二割程度にとどめる必要があったのです。
「努力が二割程度しか報われない」というのはつまり存在の質量が増える速度が本来その努力を行った場合の二割程度になるということ。
具体的には毎日三時間やって一年ですむ修業が毎日三時間だと五年かかるということです。
数値化した意味はあくまでヨンが主人公に分かりやすい目安を与えたものだと思ってください。
作品内において「努力」を書いていくにあたって、長期連載による主人公の強さのインフレーションを避けるためというのもあります。
そして主人公と同じ強さのキャラがいるとしてそれが比較される場合、
この主人公は同じ強さになるのに五倍の努力を要したという主人公が味わった苦労が具体的に想像できる要素が単純に欲しかったのです。
努力が報われない虚しさとフラストレーション、努力が報われた時の喜びと達成感を同時に表現したいからこそこの小説の主人公は
「人の五倍頑張らなくてはならない努力の主人公」
でなくてはならないのです。
このような長いだけの駄文では納得してもらえないかも知れません、なので後は出来るだけ小説の中で時間をかけて表現して行きたいと思っています。
λμ様、貴重なご意見を頂きありがとうございました。
それだけこの作品を読んで下さっているということなので
作者としても嬉しい限りです。
これからも最強チートのヒトバシラをよろしくお願いします。