第9話『道標』で、弥生が使用した散弾銃。
敵が防衛線を突破し、もう顔が見えるほどの距離まで迫ったところで、弥生は散弾銃を構えます。
そして撃ったあと、
「使いたくなかった」
と呟く。
ここで、
「1877年に、もうショットガンなんてあったの?」
と思われた方もいるかもしれません。
結論から言います。
ありました。
それどころか『維新示現』の舞台である1877年には、欧米では散弾銃はすでに十分実用化された銃器でした。
ただし、現在映画などでよく見るポンプアクション式のショットガンとは少し違います。
今回は、弥生が使った「散弾銃」について調べてみます。
散弾銃そのものはかなり古い
散弾銃――ショットガンの基本的な考え方は単純です。
一発の大きな弾丸ではなく、
多数の小さな散弾を一度に撃ち出す。
銃身も、ライフルのように旋条を切ったものではなく、基本的には滑腔銃身です。
もともとは鳥など素早く動く獲物を狩るための猟銃として発達しました。
ですから、
「ライフルができた後にショットガンが発明された」
わけではありません。
むしろ、複数の弾を飛ばす滑腔銃という発想自体は非常に古いものです。
1854年には、すでに二連散弾銃がある
ニューヨークのメトロポリタン美術館には、
1854年製の二連式パーカッション・ショットガン
が収蔵されています。
つまり『維新示現』の1877年より、20年以上前です。
これはまだ銃口側から装填する時代の技術を残していますが、二本の銃身を持ち、散弾銃として完成された形をすでに備えています。
さらに1866年になると、同じメトロポリタン美術館に、
二連式・後装式のピンファイア散弾銃
が現れます。
後装式です。
つまり銃口から火薬や弾を詰めるのではなく、銃の後ろ側を開いて装填する。
しかも二連銃身。
現代の水平二連式ショットガンを知っている人なら、かなり「見覚えのある銃」の姿へ近づいています。
そして1873~75年にはセンターファイア12ゲージ
ここが一番面白いところです。
スミソニアン博物館には、アメリカで1873~1875年に作られた、
U.S. Arms Co.製・二連式ブレークアクション散弾銃
が残っています。
しかも、
センターファイア式、12ゲージ。
年代だけを見ると、『維新示現』開始のわずか2~4年前です。
センターファイアというのは、薬莢底部の中央にある雷管を撃針で叩いて発火させる方式。
つまり1877年には、
「散弾を入れた古い火縄銃」
のようなものではありません。
薬莢を使う後装式の12ゲージ散弾銃が、すでに実用品として存在していた
ということです。
1876年の博覧会を見ると、もっと分かりやすい
『維新示現』開始の前年。
1876年にアメリカ・フィラデルフィアで開催された博覧会に関するスミソニアンの資料を見ると、さらに面白いことが分かります。
展示銃器の中に、
・レミントン製の二連後装式猟銃
・パーカー・ブラザーズ製12ゲージ二連後装式猟銃
・12ゲージ単銃身後装式散弾銃
・スナイダー方式の二連後装式散弾銃
などが並んでいます。
さらに「six-shooting shot-gun」、つまり多発式の散弾銃まで記録されています。
この資料を見る限り、
1876年には「散弾銃が存在するか」という段階は、とっくに過ぎています。
各メーカーが、
「どんな方式にするか」
「どう装填するか」
「何発撃てるようにするか」
を競っている段階です。
ただし、現代のショットガンとは違う
ここは注意が必要です。
映画などでショットガンというと、
ガシャッ。
ズドン。
ガシャッ。
ズドン。
というポンプアクションを想像する方も多いと思います。
しかし、これはまだ早い。
ウィンチェスターがレバーアクション式の連発散弾銃 Model 1887を発売するのは、その名の通り1887年。
『維新示現』の1877年から10年後です。
したがって1877年の散弾銃として自然なのは、
単発式、あるいは二連式。
後装式。
外部ハンマーを持つもの。
ピンファイアまたはセンターファイア。
このあたりです。
現代的な連発ショットガンをそのまま持ち込むと時代が早い。
しかし、
折って開き、薬莢を装填する二連散弾銃
なら、まったくおかしくありません。
では、弥生の散弾銃は?
『維新示現』の弥生は、単に銃を撃つ人物ではありません。
壊れた銃を拾う。
分解する。
直す。
必要なら改造する。
そして戦場に必要なものを作る。
第9話で彼女が散弾銃を使うのも、長距離射撃がしたいからではありません。
もともとの作戦は、
敵を殺さずに負傷させ、進軍を止めること。
ところがその前提が崩れます。
負傷兵を捨てて進め、と命じられた清兵が防衛線を突破する。
若者たちも恐怖と善意から配置を崩す。
ついには、敵兵の顔がはっきり見える距離まで接近してくる。
そこで弥生が持ち出すのが散弾銃です。
散弾銃は、遠距離の一点を狙うライフルとは性格が違います。
短い距離で、多数の散弾を一度に送り込む。
接近してくる複数の相手を止めるには、非常に理にかなった武器です。
しかし同時に、
近距離で使えば恐ろしく危険な武器でもある。
だから弥生は、
「やった!」
とは言わない。
「当たった!」
でもない。
ただ、
「使いたくなかった」
と呟きます。
弥生らしい武器だと思っています
弥生は武器が好きです。
壊れた銃を見ると興味を持つ。
新しい仕組みを見ると試したくなる。
しかし、
武器の威力そのものを喜んでいる人物ではありません。
第8話から第9話にかけて弥生が作ろうとしていたのは、
最強の銃ではなく、
人をできるだけ殺さずに軍を止める仕組み
でした。
だからこそ、その計画が崩れた最後に散弾銃を使わせました。
散弾銃が恐ろしいからではありません。
本当は、
それを使わなければならない距離まで敵を近づけてしまったこと
の方が、弥生にとっては重い。
1877年という「ちょうど面白い時代」
『維新示現』で武器を考えていると、何度もこの時代の面白さにぶつかります。
古い前装銃も残っている。
後装銃もある。
リボルバーもある。
金属薬莢も広がっている。
二連式の後装散弾銃もある。
一方で、後の時代には当たり前になる連発銃や自動火器は、まだ完成途上。
つまり1877年は、
古い武器と近代的な武器が同じ戦場に存在できる時代
です。
これは『維新示現』を書く上で非常に面白いところです。
爆震刀のような完全な架空武器も出します。
しかしその横に置かれている銃を調べてみると、
「こんな物まで、もうあったのか」
と作者自身が驚くことがあります。
弥生の散弾銃も、その一つでした。
史実は真面目に。
武器はケレン味たっぷりに。
そして使う人間には、必ず代償を背負わせる。
弥生の散弾銃は、そんな『維新示現』らしい一丁になったと思っています。