前に書いて放ったらかしにしてるやつ。
その内続きを書きたい。
その時は最初から書き直そうと思う。
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一、文字の読み書きができること。
二、余計な詮索はしないこと。
三、吸血行為を受け入れないこと。
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ブラムに親はいない。幼き日に父親はいたが、流行り病で亡くしてからは、孤児院に身を寄せていた。
その孤児院は教会が運営しており、積極的に文字の読み書きを子供達に教えていたことから、ブラムは本を友とすることができた。
教会の信徒より寄贈された本はそれなりに多く、学術書に旅行記、料理本に、珍しい物では遠き異国の巻き物なんてものもある。その中でもブラムは文学を好んで読み、気が向けば手遊びに自分でも書くことがあった。
穏やかな日々の末、ブラムは十三歳になる。
その日、孤児院に一人の年若い紳士がやってきた。
身に纏う紳士服や靴は黒く、手袋も肌も染み一つない白さを誇るが、それらの色よりも、その紳士の『赤色』が、ブラムの目を強く惹いた。
腰まで伸びた艶やかな赤色の髪を太い三つ編みにし、微塵も感情を宿さない赤色の瞳で、思い思いに過ごしている孤児院の子供達を眺めている。
紳士に群がり話し掛ける子供もいた。紳士に構わず遊び呆ける子供もいた。その中でブラムは、壁を背にして床に座り込み、紳士をじっと眺める。
その視線を、紳士は無視しなかった。
子供達に断りをいれながら、紳士はブラムの元へ。ブラムは腰を上げることなく、一言も発することなく、紳士を見つめ続けた。
紳士はブラムの傍まで来るとしゃがみこみ、ブラムと目線を合わせて、形の良い唇を動かす。
「──お前の髪も赤いんだな」
「……はい」
確かに、ブラムの短い髪も赤かったが、紳士のような明るい赤色ではなく、くすんだ赤色だった。おまけに手入れもしていないから髪はパサついている。
「瞳の色は俺とは違うようだな、綺麗な緑色じゃないか」
「そうですか」
「あんまり嬉しそうじゃないな、褒めているのに。言われたことはないのか、その目、綺麗だって」
「ないです」
「そうかよ。ところでお前、本が好きなのか?」
ブラムの足元に置かれた本に一瞬視線を向けてから、紳士は訊ねた。
「はい」
紳士が来るまで、ブラムはいつものように本を読んでいた。その時読んでいたのは、ブラムが気に入っている作家の本だった。
「俺の弟もお前みたいに本が好きな奴だったんだ。いつも本ばかり読んで、よく壁にぶつかっていたよ。あいつ、よっぽど文字に飢えていたのか、歩きながら本を読んでいたんだ。おかしな奴だろう?」
「……変わった方ですね」
「……ああ、変わっていた」
紳士の宝石のごとき透明感のある赤い瞳には、待てども待てども何かしらの感情が宿ることはなく、ブラムはその瞳に映る、呆けた顔の自分をぼんやりと眺めた。
どれくらい経った後だろうか、紳士の口角がゆっくりと上がる。
「お前はあまり言葉が多くないな」
「そう、ですか」
「それだよ。俺が何か言わないと自分から言葉を発さない。さっきのガキ共を見ていなかったか? 頼んでもないのにべらべらべらべら話し掛けてきて、中には服を掴んでくる奴もいた」
「ご迷惑をお掛けしました」
「後で教会の奴にでも言うから、お前は気にするな。そんなくだらないことよりも、今はお前と俺の話だ。なあ、小僧。お前、文字が読めるなら書くこともできるのか?」
「できます」
「それは良かった。じゃあ──俺と来い」
「……っ」
驚きに目を見開くブラムの前に、紳士はそっと右手を差し出した。
「ある仕事を頼みたくてな、お前みたいな奴を探してたんだよ。文字の読み書きができて、余計なことを言ってこない奴を」
「……」
「俺の手を取れ。俺と来い。そうしたら、そうだな……もっとその作家の本が読めるぞ」
「……本が」
「ああ」
ブラムお気に入りの作家の本は、孤児院には三冊しかなく、何度も何度も繰り返し読みながら、新しい物語に触れてみたいと常日頃から考えていた。
紳士の手を取れば、それが叶う、かもしれない。
「……その仕事というのは、僕みたいな子供でも構わないんでしょうか」
「構わない。そもそも、お前を気に入ったから、お前がいい」
「……ご期待に添えられるか、分かりません」
「難しいことは頼まない。文字が書けるなら簡単なことだ。ほら、早くこの手を取れ」
「……では、よろしくお願いします」
ブラムがゆっくりと手を伸ばすと、先んじて紳士がその手を掴んだ。
「──クロノス・スタフォードだ。こちらこそ、よろしく頼む」
「……ぁ」
紳士が自身の名を口にした時、唇の隙間から鋭く尖った牙があるのが目に入り、ブラムは思わず声をもらした。
とても、人間のものとは思えぬ牙。
ブラムが何も言えずにじっと見ていると、紳士は苦笑を溢して、握手をしている手とは反対の手を口元に持っていき、指を一本立てる。
紳士の手を振り払って叫ぶべきか、一瞬ブラムは迷ったが、結局、恐怖よりも好奇心が勝り、無言で頷いて、紳士が手を離すまでそのままでいた。
◆◆◆
諸々の手続きを終えて、ブラムが紳士ことクロノスに連れられやってきたのは、古びた小さなホテルだった。
「ここで今後は暮らしていく。俺の許可なく外出はするなよ」
「はい」
通されたのは四階の一室。
部屋の奥にある窓は薄汚れた白いカーテンで閉じられ、シングルベッドが部屋のほとんどを占領し、ベッド脇のサイドテーブルには小さなラジオが置かれている。出入口付近にあるユニットバスは、掃除がきちんとされているのか、カビは見当たらない。
「ご覧の通り、ベッドは一つしかない。お前は床を使うんだ。貸せる枕はないが、毛布くらいは使わせてやる」
「ありがとうございます」
「……冗談だ。ここはお前の部屋、ベッドもラジオも好きに使え。俺は隣の部屋にいるから、何かあればそちらに来るように。まあ、多分俺からお前の部屋に来ることの方が多いと思うが」
その後、クロノスは隣の部屋から三つ、いや四つの物を持ってきて、サイドテーブルの上に置いていく。
真っ白な紙の束に、ペンとインク、そして──ガラスの小瓶。小瓶の中には赤く綺麗な、飴らしき物がいくつも入っていた。
「朝起きた時と夜眠る時に、一粒ずつ口に含みながら、これから教える祈りの言葉を心の中で唱えろ」
「分かりました」
「絶対に忘れるなよ? 中身がなくなりそうになったら必ず言え。祈りを怠れば最悪、死ぬことになるからな」
「気を付けます」
「いいか、こうだ。──クロノス・スタフォードは血を吸いたくならない」
「……」
復唱、と強い調子で言われ、ブラムは慌ててクロノスが言った言葉を口にした。求められるまま二度三度。クロノスは満足げに頷き、ベッドに腰掛けると隣を叩いた。座れ、ということらしい。ブラムがベッドに腰を下ろすと、クロノスは足を組んで、語りだす。
「はっきりさせておこう。俺は、人間じゃない。吸血鬼だ」
「……はい」
「だが、お前の血を飲むつもりはないから、安心して仕事をしてくれ」
「……は、い」
「血を求めない理由が気になるか?」
「……気にならないと言えば嘘になりますが、その、訊いてもいいのか」
「これは訊いてもいい。話しておくべきことだからな」
ブラムはちらりとクロノスに目を向ける。クロノスは何の表情も浮かべずに、じっと虚空を眺めていた。
「俺は今、断血中なんだ」
「……だん、けつ?」
「血を断っている。吸血鬼にはたまにあることなんだ。あんまり飲み過ぎても身体に良くないからな、人間でも断食とかする奴はいるだろう?」
「本や噂で聞いたことがあります」
「今、俺はその状態にある。だから、間違ってお前の血を飲まないよう、毎日二回祈ってくれ」
「……はい」
そうして、彼らの日常は始まった。