ここ半年ほど、ぼんやりと考えていることがある。
ハードなSFって何だろう?
というのも、SFガジェットを物語に登場させたいんだけど、仕組みをどう設定したら読者を興ざめさせないか、どこにリアリティラインを設ければ過不足なく整合性を取れるのか悩む。
前提として、小説は文学であって学術的文書ではないので、物語にする際には何らかの飛躍が必要となるはず。だとすると、既存の科学的知見(物理学なり工学なり化学なり生命科学なり、或いは社会学なり言語学なり哲学なり諸々)に対してどの程度距離感があるのか、その飛躍の度合いがSFの「かたさ」を決めると、思っていたんだけど...。
世には「ガジェットSF」なる分類もあるらしい。
SF要素がアイテムとして登場するが、物語の展開には絡んでこない感じ。
例として、これから2077年の学園青春ものを書くとする。当然、未来のガジェットがあれこれ登場するんだろうけど、あくまでそれらが作品の背景に存在するだけで、学生が学園生活で直面するあれこれの解決にSFガジェットが関わってこないなら、この作品は「ガジェットSF」になるってことか。そうでなく、プロットの根幹にSF要素が絡んでくるなら、学園青春ものハードSFになる...のか?
SFの要素って、「何が実現されたのか」と「どうやって実現されたのか」の二つがあるとともに、物語の根幹により関わってくるのは前者で、科学的リアリティをより左右するのは後者だと思う。でも、SFのかたさを決めるのは実は前者で、作中のイベントや問題、その解決に科学的手法を(科学「の」手法ではない、そこには必ず飛躍があるはず。読者が面白いと感じるのはその手法のリアリティであり、単にリアルであることではない)どの程度取り入れるかどうかで、その作品がかたいSFかどうかが決まるのかもしれない。
とすると、もしテレポートを実現する手法が魔法だとしても、テレポートによって変化した社会を描けばSFになる...本当か? でもこれ、思弁ファンタジーであって科学フィクションではないか。後者をやりたいなら、やはり適当なリアリティラインを設定する必要があるらしい。