平素より拙作をご覧くださり有難うございます。
私事ながらここ数日の体調が芳しくなく、先日来開放しておりました作品のコメント欄の閉鎖を早めに切り上げることとしました。遅くとも月曜日あたりで締め切ることになるかと思います。此方の都合で誠に申し訳ございませんが、ご海容くださいますと幸いです。拙作のご清覧、ご厚情にもあらためて心より御礼申し上げます。
(諏訪哲史『昏色の都』は数日かけて何とか読了しました……)
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【以下 後ほど 余力があれば雑記を書くかもしれません】
※余談①は書いたものの出すかどうか迷っている
【余談②】
「白亜、恐ろしいのと美しいのは僕の中では同じだよ。雷も嵐も雷魚も赤い血も。そういうものにしか僕の心は震えない。どちらかしかないとしたら、それは偽物だ。恐ろしさと美しさを兼ね備えているものにしか価値はないよ。僕はそう思っている。(後略)」
引用【 『魚神』(集英社文庫版)千早茜著、集英社、2012年 33頁】
私見ながら、「恐怖」と「美」とは紙一重のものであると思っている。
冒頭に挙げたのは泉鏡花文学賞を受賞した千早茜先生の処女作の一節。これ以外にも美と恐怖を縫い合わせた小説には枚挙に暇がないだろうと思うのだけれども、私の書く「ホラー(に分類している)」作品群はいずれもその美意識で書いた。恐怖とは、単に嫌悪や厭悪を惹起するだけでは意味がない。そこに恐怖を上回る美がなければ「恐ろしく」はならない。倫理も感情も、そこでは度外視されて、恐怖と言う感情すらも超克し得る美────寧ろ美が窮められた時、それは生理的な反射すらも超克し得る。ないし美への陶酔へと反転する。或いは顚倒といってもよいかもしれない。醜悪なものが美に昇華され、吐気を催すでなしに恍惚を覚える。それでこそ恐怖の真髄であると思うけれども、一般論における「ホラー」の範疇から逸脱しているのではないかという指摘は拒まない。私が書きたいのは美しく恐ろしいものだ。それが作品に幾許かの気韻として内包されているならば、かつて幻想文学との接点を授けてくれた恩人の薫習の賜物なのだろう。