ふと、人の生活を感じてなんとも言えない気持ちになる。
こんな所にも誰かが生活を築いているという不思議。その誰かが何人も連なって、大小様々な関係を築いていること。最近流行り(?)の吉野源三郎『君たちはどう生きるか』にもこんなこと書いてあったな。
いつも使っているブラウザのキャッシュを削除したから、さっきカクヨムにログインしようとしたらログインを要求された。ブラウザにユーザー名とパスワードを記憶させているから、自動で入力された。とうの昔に削除したメールアドレスを使っていて驚いた。そのアドレスを、なんで作ったか、なんで消したか、それは内緒。
音楽はその時の生活を内包する。中学の頃の合唱曲を聞き返すのも、受験期に縋っていた作品に使われた曲を聴いて懐かしくなるのも、死にたいときに見つけた曲に再会するのも、みんなやっていると思う。多分初めて聴いた曲に感動するのは、それが私の生活に馴染んだということだろう。
私はよく旅をする。独りでどこかにいくことが多い。そんな私が、自分で言うのも……、珍しく二人で行こうと決めた。恋人ではないので悪しからず。彼は別に好きなタイプ(知り合いとしてね)でもなければ、惹かれる何かもなければ、一緒にいて特段利益はない。結局そういう人と一緒にいると、私が何者かわかってくると最近実感する。
すごく長く書いてしまった。
誰も読まない文章には、意味はないのか。