人生というものは不思議である。
9月20日の近況ノートでは、たしか私はもう少し普通の場所にいた気がする。
そして今日。
なぜか港にいる。
しかも傍らには、
「おあんなってまきおか」のクィーンニーナ。
大粒で、赤くて、立派で、甘い葡萄である。
港。
クィーンニーナ。
小説を書く女。
どうしてこの3つが同じ画面に収まる人生になったのか、私にもよくわからない。
*
9月20日の近況ノートから今日まで。
作品を読んでくださった皆さま。
♡をくださった皆さま。
★やレビューを届けてくださった皆さま。
コメントを残してくださった皆さま。
フォローしてくださった皆さま。
ギフトや近況ノートへの反応まで。
ひとつひとつ、本当にありがとうございました。
いただいた言葉を読んでいると、ときどき不思議な気持ちになります。
私がひとりで書いた文章が、
私の知らない場所へ行って、
私の知らない誰かの人生にほんの少し触れて、
そして、その人の言葉になって帰ってくる。
物語って、手紙に似ていますね。
宛名を書かずに海へ流した手紙が、
思いがけない遠くの岸から返事を連れて帰ってくる。
だから、いただいたコメントやレビューには、
その場ですべてをお返しできないことがあっても、
ちゃんと読んでいます。
言葉を残さず読んでくださっている方のことも、
ちゃんと「誰かがここまで読んでくれた」と思っています。
数字の向こうには、人がいる。
最近は、それを以前より大切に思うようになりました。
*
そして現在。
次作を書いています。
まだ物語の途中です。
登場人物たちは、
作者の都合など知らずに勝手に生きはじめ、
私はそれを追いかけています。
隣にはクィーンニーナ。🍇
行き詰まったら1粒食べる。
書く。
また行き詰まる。
また1粒食べる。
このままでは小説より先に葡萄🍇が完結しそうです。
でも、それでいいのかもしれません。
物語を書くことも、
葡萄🍇を食べることも、
港にいることも、
誰かから言葉をいただくことも。
あとになって振り返れば、
きっと全部、その頃の私が生きていた風景になる。
人生には、大事件ではない日のほうがずっと多い。
けれど、
大事件ではない日に食べた甘い葡萄🍇や、
偶然見た海や、
知らない誰かから届いた優しい一言のほうを、
人は案外、一生覚えていたりする。
そんな小さなものを、
これからも物語にして残せたらと思っています。
9月20日から今日まで、
天宮涙花の物語を見つけてくださった皆さまへ。
本当にありがとうございました。
次の物語も、丁寧に書いています。
いつか皆さまのところへ届く日まで。
私はもう少し、
クィーンニーナ🍇と共に書いてきます。
――ところで。
なぜ私は港にいるのだろう。⚓️
天宮涙花🌹💫