書きながら、作品として挙げた方がリワード稼げるんじゃないか、などと不埒なことを思ってしまった天川ですがw
さっき読んだ作品で、犯罪者肯定的なことに触れてコメントしてしまったのでここでバランスも取っておこうと思います✨
とはいえ、犯罪者肯定とはちょっと違う、という事はカクヨム住民の読解力をもってすれば造作もないこと。それを、上辺だけ読んで、
『あんたの言ってることはおかしい!間違ってる!』
などと宣うボンクラは、ここにはいないでしょうw
ここでは、
作品として、狂気をにじませる、という部分に注目してみました。
それが作風の域にまで到達していれば、或いはそういうものだ、と一線引いて娯楽として楽しめるのかもしれません。
ずっと楽しい作品ばかり書いてた人がいきなりどす黒いものをブッ込んで来たりすると、おぉう!? という衝撃と意外性に驚き楽しめる、ということもあるかもしれません。
作風として、そういう方向のものばかり書いている、という事もわかるのですが、カクヨム界隈では書き手としての作者像しか知り得ません。
作品に狂気がにじみ出ている
わたしも嫌いじゃありませんしむしろ好きなくらいなのですが、ずっと同じ作者のその方向性の物ばかり読んでいると、今度は狂気の中でさえもその作者の人間性が仄見えてくるという、逆の効果も現れてしまいます。
……まあ、これは、私のようなストーカー的狂気で作品に入り込み内臓を啜り体液を採取して遠心分離器に掛けPhを測定してほのぼの系絵日記として記すような人間でなければ感じないことかも知れませんがw
狂気も、重ねればその分布と傾向、嗜好と心情、ひいては『寂しさ』が垣間見得るのです。
狂気が狂気として書けているうちは良いのですが、それが不満の捌け口を求めた結果、『露悪癖』として漏れ出てしまっているのではないか、という危惧が、私にはあります。
人に話せているうちは大丈夫
それが行き場を失い、反社会的行動へ向かわなければ
創作というのは、その点無害ですので便利です✨
私が思うのは、ほのぼのキラキラしたその物語の裏に、どんな闇が隠れているのか、ということ。