猪俣心冷(いのまた しんれい) 二〇〇三年、東京生まれ。 都立高等学校卒。アルバイト。双極性感情障害(障害等級二級)。元いじめ加害者。創価学会員。 ●ヒューマニズムと人間不信の間隙 明朗快活な母とアスペルガー症候群の父とに育つ。 創価三世として幼少の時分より、主に池田大作氏や日蓮宗による教義を下地とした人道主義的教育を吸収する。 まもなくして両親は離婚。爾後、女手ひとつに溺愛されてゆく。 中学三年次第二学期を中心に、当時転校生であった男子生徒に対する教室間を超えたいじめが勃発し、空気に呑まれた心冷も否応なくこれに加担する。 結果、かの生徒は卒業を待たず不登校へと陥る。 この時節に感得された劣等感、甚だしい悔恨や罪悪の念、内罰、自他共へのある種の諦観が、彼にとってのコペルニクス的転回であり、後述する天邪鬼的人格を生長させた。 コロナ禍の最中、消極的な自分を変えようと一念発起して、インターネットビジネスであったり、ライバー活動であったりに奔走するうち、やがて恋愛を覚える。 ここで彼は自身の男性性に向けて強烈な自己否認を突きつけることと相成り、四年間に渡りゲイを偽る。ゆくゆくはこれが作者の二面性を彫刻する槓桿にもなる。 ●実利の文学的出発 令和四年、医学系の専門学校へと入学するも躁鬱病を悪化させたために半年であえなく中退。 床に伏す日々が悶々と続いたが、挫折から二年後、学生時代に懇意にしていた上級生によってリレー小説が企画され、これを契機として以後、創作活動を情緒の亢進剤に用い始める。 近代の写実主義や自然主義文学に学んだのち、やがて黒々と凪いだ東シナの海や濡れた檜木立、陰鬱に雲底を浮かばせる積乱雲────とりわけ山紫水明の叙景に安息を見出す。 これらの性質上、創作とはつまり単に筆者の機嫌取りの一手段でしかないとした、極めて冷めた前提に立って彼は筆を執っていることになる。 ●自然観に関する独特の自解 心冷にとっての自然界とは、ただ単に美的要求を満たし、精神の回復に資する天然の万象というだけでなく、それ以上に見えざる膜の外側へと手を引いてくれる案内人といった側面が強い。 心冷の四囲には常に磨り硝子とも思しい不透明な仕切りが浮漂しており、これが悪さを働いて、彼の人生をどこか朧気にする。 けだし、その不可視の障害とはつまり、猪俣心冷その人の心身ないし人生それ自体かもしれない。 森林や渓流を始めとした自然の景物たちはこの薄膜の内側と同じく朦朧たるものだが、しかしまた別種の解放された世界での幻想を見せてくれるのだ。 こうした外界においての境地に際して初めて筆者はおのが人生を自分事として捉え、最も鮮明に現実を生きられる。 主に文学史における自然観念の研究の成果として創作物を公開してゆくが、上述の印象が彼の作品の主題ともなっている。 ●反動の嗜好性と矛盾 作品の節々から曰く『羞恥心と逆張りの性質からなるサブカルチャーへの軽蔑が創作への原動力となっている』(日記より抜粋)悪辣な筆者をも垣間見ることができる。 こういった強迫的なまでの遡上の習性は、彼の中学時代に勃発した転校生へのいじめ事件や、先の自然観に由来する。 あれはばい菌で、無視しなければならないという同調圧力に抗しようとするあまり、思想も進路も教室の面々のそれからあえて孤立していく必要に迫られた。 また、そもそも人類の作為────ひいては人間総体そのものが心冷を見えざる膜の奥底に押し込む作用がある故に、できるだけ明瞭に生活したい筆者にとっては他者の創作物は避けるに値するのである。 もしや高校の時分、かつて学生起業家に憧れるうえで師と仰いだ大学生たちによる『ブルーオーシャンを狙え』との教育も多少の影響をしていると推察できるだろうか。 ともかく、このような来歴が少なからず擬古典主義的な作風を造形しているといえよう。 しかしながら、幼時より深夜アニメやVirtual YouTuber、ボーカロイド、違法ポルノサイトを始めとした電子コンテンツに沈潜してきた彼にはすでにサブカルチャー的な思想体系が肉体化されているので、その自家撞着に生涯苦しむことになる。 近著に『栂池湿原の抽象画』ほかがある。
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