夏至間近の午後18時過ぎ、
クーラーのガンガンきいた肌寒さを感じるくらい冷えきったオフィスビルを1歩出ると
真っ黒いアスファルトが、これでもか!と言わん限りの力強さで、日中太陽に照りつけられ、その余熱がたっぷりと梅雨明けのジトジトした空気の中に溶け込んだ温度が身体中にまとわりつき、じゅわじゅわと身体の内側から汗がにじみ出る。
そんなうっとうしい暑さに項垂れながらも
まだ余力がある週明け初めの出勤帰り。
私は、いつもならふらふらと歩きながら
今日は緑にしようか、青にしようか、
いや、やっぱりいつもの赤色か…なんて
オフィスビルを1歩出れば、
そこら中に看板が見えるオアシスショップで、
今日の酒とつまみは何を買おうかと
考えながら歩いているのだが、
今日は違った。
会社から一直線に歩いていき、
以前前をふらっと通り掛かっただけで
まだ1度も足を踏み入れていなかった
大きな書店に、今日は足を踏み入れたのだ。
目的ははっきりしていた。
村田沙耶香さんの『丸の内魔法少女ミラクリーナ』を買う。
そう決めていたのだった。
村田沙耶香さんの単行本は全てコレクションしている。
大好きな作家さんの単行本を買った時のあの嬉しいワクワクした気持ち、少し胸がトクトクする高揚感。
こんな気持ちになったのは、中学生の時に出会った有川浩さんの『図書館戦争』以来だろうか。
とにかく私の作家さん、小説の趣味は、
奇行しているという自信はあるが
そんなことなどどうでもよくなるぐらい
村田沙耶香さんの世界観。
ただ読んでいるだけならば
単純な言葉の羅列のみで何も難しいことを書いていたり複雑な理解し難い表現をしている訳では無いのに
何故か、その単純な言葉の羅列が
珍雑で難解な組み合わせで書かれているせいなのか
読み進めていくと徐々に、
脳内へ、今まで感じたことのない刺激を与える。
その快感と言ったら、まあない。
ほんとうに、ない。
村田沙耶香さんの小説でしか
この感覚は恐らく味わえないだろうと思うのである。
その感覚が、とにかく私の好みにどストライク過ぎたのだ。
今の私には分かる。
あの太宰治が芥川龍之介を先生と呼び、心の底から敬愛し尊んだ気持ちが。
とか思いながら重要なことに気づいてしまった。
太宰治が芥川龍之介を尊ぶのはよかろう。
同じ文学を綴るものとして、敬愛する師として尊ぶのは。
しかし私は、今はまだ、小説家でもなんでもない。
ただの一般人だ。要するに、ただのファンだ。
そんな私が、太宰治の気持ちが分かるなどと軽々しく言うのは恐れ多いことだと。
ならば私も、太宰治のごとく
ことごとく敬愛する村田沙耶香さんの世界観を大切にしながら自身の己の力で文字を綴ろう。
何が言いたいかと言うと
せっかくカクヨム登録したんだから
なんでもいいから小説書こうよ、私。
ってこと。
私は私のために小説を書く。
文字を綴る。