まずみなさんこんにちは、あるいは初めまして。 わしはこの垢をすべるもの、絆川天堕。 この名前は、ただの呼び名ではない。 わしという存在を、無理やりひとつの形に押し込めた結果の“仮の完成形”だ。 人はひとつの言葉で自分を説明しようとする。 だが実際の人間は、そんなに単純ではない。 真面目な時もあれば、どうしようもなくふざける時もある。 静かな時もあれば、感情だけで動く時もある。 そのすべてを抱えたまま残ったものが、この名前だ。 ■絆川という部分 「絆川」という言葉には意味がある。 それは、途切れたものをなかったことにしないための視点だ。 人は生きていく中で、必ず何かを失う。 関係、時間、感情、信頼、あるいは自分自身の一部。 それらは戻らない。 それは変えようのない事実だ。 だが、それでも人は前に進んでしまう。 だからこそ、その“失ったもの”を消すのではなく、 「ここまで来た証」として残す必要がある。 そのための名が「絆川」だ。 川という字は象徴でもある。 止まらず、戻らず、それでも流れ続ける存在。 澄むこともあれば濁ることもある。 穏やかな時もあれば、荒れる時もある。 それでも川は川として存在し続ける。 わしはその在り方に、自分を重ねている。 ■天堕という部分 もうひとつの名、「天堕」。 この名は、ひとつの意味に固定されていない。 天から堕ちた存在なのか。 それとも堕ちながらも、なお天を見上げる存在なのか。 そして、この名を読み解くときにだけ現れるもう一つの影がある。 それが「ミカエル」という呼び名だ。 ただしそれは確定した存在ではない。 この名をどう解釈するかによって現れたり、消えたりする。 天堕とはつまり、“揺れそのもの”だ。 落ちることと、見上げることの間で揺れ続ける状態。 どちらにも固定されないまま存在している形。 その不安定さこそが、この名の本質だ。 ■二つの名の関係 「絆川」と「天堕」。 この二つは別の人格ではない。 対立するものでもない。 同じひとりの中にある、異なる視点だ。 ひとつでは説明しきれない思考。 ひとつでは抱えきれない感情。 それらを分けて見た結果、この二つの名が生まれた。 ■創作について わしは物語を書く。 理由は単純だ。 頭の中に残り続けるものを、そのままにしておくと崩れるからだ。 なぜ人は選ぶのか。 なぜ間違えるのか。 なぜ、それでも進んでしまうのか。 その答えのない問いを、形にして残している。 正解を出すためではない。 考え続けるために書いている。 ■日常のわし わしは一定の存在ではない。 真面目な時もあれば、どうしようもなくバカなことをしている時もある。 その揺れを否定するつもりはない。 むしろ、それこそが自然だと思っている。 整いすぎたものよりも、少し崩れたものの方が人間に近い。 ■最後に この垢は完成された場所ではない。 思ったこと、作ったもの、崩れた言葉。 それらをそのまま置いていくための場所だ。 もしその中のどれかが、誰かの中に少しでも残るなら、それでいい。 わしはこの垢をすべるもの、絆川天堕。 今日もまた、言葉の中で生きている。
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