小林計一郎著の小冊子『川中島の城』によると、
「古文書絵図に上高田南向塚の処を「長尾塚」の銘あり。塚上に大樹3本余りある。直前に裾花川の本流、その南方は犀川の本流。更に南は千曲川。武田軍の大土塁の陣地。それを越後軍の斥候の少人数の兵が大樹頂上より睨んでいたと。
現在はその大土塁のあたりを「大塚」と称す。
「北斗」
甲斐の武田軍に攻撃されし北信の六将「村上・栗田・島津・井上・須田・高梨」は天文22年5月越後の国守上杉謙信公へ命乞いに謁を請い助力を懇願す。越後軍は秋に、八千騎を以て入信、武田方へ対陣した。謙信公を星にたとえれば、大将として7つ星の尊なり。」
とある。父の遺品だ。父の友達の名前もある。
よーするに、越後と北信濃は同盟。上杉謙信公に武田信玄の侵略に助けを求めた。そこで、上高田の地で戦闘になり、上杉謙信の子孫の長尾家の誰かの墓だと父と父の友だちは予想してると?